第237話 二つの提案

「……どういう意味? 君だって魔女だと今言ったばかりじゃないか」

『ええ、引きこもり生活が長すぎたせいですっかり忘れられていますが』

「だったらどうして? 魔道士を消すっていうことは、君自身の存在も否定することになるんだぞ」

『ええ、その通りです』

「わけがわからない!」


 サイは立ち上がり、頭の中を整理しようと部屋の中をぐるぐると歩き回る。


「ん?」


 と、外がなんとなく明るいことに気づいて窓辺に近づく。

 見下ろす騎士団の練兵場では、あかあかとかがり火が焚かれていた。揺れる炎に照らされ、騎士団全員が勢揃いし、今まさに出立しようと隊列を整えているところだった。


「アッシュ!」

『何でしょう?』

「今僕らがいるここ。現実の魔女の塔と全く同じなのか?」

『ええ、現実の光景をほぼ時間のズレなしで投影していますよ』

「窓の外の光景も?」

『ええ、それが何か?』


 ひょうひょうと答えるアッシュの様子にサイはかすかないらだちを感じた。


「じゃあ、あれは何だ? どうしてこんな夜更けに騎士団全員が王都を離れようとしている?」

『東部の有力貴族が造反したようですね。騎士団だけじゃなく、軍にも大きな動員がかかっているようですよ』

「東部?……クラバックか!?」


 サイは瞬間的に確信した。

 何者かが自分を鎮守台から遠ざけ、洞窟に生き埋めにした理由が、まるでジグソーパズルのピースがすべて揃ったようにピッタリと合点がいった。


「スリアンは!?」

『ご覧になりますか?』


 次の瞬間、サイははるか上空から猛烈な勢いで地上のある一点に向かって急降下する。


「わぁああっ!」


 思わず叫び声を上げるサイの背後で、アッシュがクスリと笑うのが聞こえた。


『怯えなくても大丈夫ですよ。今は私の使役する鷹の目を借りてタースベレデ南東部国境付近を舞っています。あなた自身が空を飛んでいるわけではありません』

「そういうことは事前に言ってくれ。心臓が止まるかと思った」


 額の冷や汗が風で飛ばされるリアルな感触すら感じながら、サイは本気で文句を言う。


『スリアン陛下はあそこ、視界中央部のかがり火の焚かれている天幕に』

「おかしくないか? 騎士団がまだ王都を出てもいないのに、なぜスリアンだけがあんな最前線にいるんだ?」

『陛下は少し前まで南方鎮守台にいらっしゃいました。そこから移動されたので、このタイミングで――』

「どうして?」


 サイの疑問に、アッシュはニヤリといたずらっぽい表情を浮かべた。


『どうして? サイプレスともあろう人が変なことを聞きますね。一国の女王がわざわざ誰かさんが総監を務める辺境の砦を訪ねる理由なんてそういくつもないでしょう?』

「僕に……会いに来た?」

『さて? どうでしょうか?』


 サイの勘違いを、アッシュはあえて正そうとはしなかった。





「陛下、そろそろ騎士団と陸軍が王都を出発する予定です。騎士団の到着は明日の午後、軍は各貴族領の領兵を徴発しながら進軍しますから、明後日の夕刻以降になるかと思われます!」


 伝令兵の口上を受けてスリアンは小さくうなずく。

 彼女の目の前の作戦卓には付近の地図が広げられている。だが、青色で塗られた味方の駒は呆れるほど少なく、周りのほぼ全方位を敵軍の赤い駒が取り囲んでいる。


「ここ数刻でクラバックの兵力がさらに増えていないかい?」

「ええ、日和見ひよりみを決め込んでいた下級貴族が、プライ子爵領が占領された顛末や、兵力差を知ってなだれを打ってクラバック側についた模様です」

「……思っていたよりボクは人望がなかったということだね」

「いえ、決してそういう訳ではないかと……」


 騎士団隊長は決まり悪そうに語尾を濁して額ににじむ汗をぬぐう。


「下級貴族はクラバックには逆らえません。金の工面や、ことあるごとにもろもろの便宜をはかることで何重にも恩を売ってますから。その上、プライ子爵領が落とされたと聞いて肝を冷やしたのでしょう」

「そこまで力をつけてたんだ。道理でね。彼の態度は一貴族らしからぬ尊大さだと思ってたよ」


 スリアンはクラバック軍の本陣を示す駒を爪で弾きながら苦笑いする。


「それよりも、彼らはいつ仕掛けてくると思う?」

「騎士団本隊や陸軍が駆けつけて彼我ひがの兵力差が狭まるのを待つとは思えません。恐らく、明日の内に一斉攻撃を試みるのではないかと……」

「いきなり絶体絶命だね。ボクが早く動きすぎたんだ」


 恐らくクラバックもこれほど早くスリアンが前線に出てくるとは思いもしなかっただろう。だが、クラバックにくみする下級貴族が一気に増えたことでスリアンは逆に窮地に追い込まれた。


「今さら後退も難しいか」


 後方に位置するのは男爵領二つと子爵領が一つ。

 スリアンたち一行が通過するときには「すぐに我々も駆けつけます!」と言っていたはずなのに、いざフタをあけてみるとこれだ。


「前に出て敵の本隊を一点突破するべきか、あるいは下がるか。隊長はどう思う?」


 いきなり難問を振られ、騎士団隊長は目を見開いて絶句する。


「……後続と合流すべきで——」

「俺なら前に出るかな」


 元異世界軍かつ賊徒のリーダー、そして今はスリアンが雇う私的工作員という立場におさまった男が隊長の言葉を遮って口を挟む。


「な、何を!」

「ふむ、どうしてだい?」


 無謀な提案に隊長は息を飲み、スリアンは興味深げに問う。


「下がるって、一体どこまで? 王都か? 今兵を挙げている下級貴族たちおくびょうものはまだわかりやすいが、様子見を決め込んでいるそれ以外の連中が絶対に味方だと言い切れるかね?」

「そ、それは」

「俺はあやしいと思う。陛下が下がればクラバックはさらに勢いに乗るだろう。味方を装って陛下を捕らえ、クラバックにこびを売ろうとする奴らが出ないとも限らない」

「しかし、後続さえ間に合えば——」

「確かに、このタイミングでの会敵は早すぎた。だがそれは向こうだって同じだ。こっちは後続を待つものと確信しているだろう。だからこそ、連携ができる前に一気に頭を落とす。烏合の衆は頭が落ちれば一瞬で瓦解する」

「何を! 貴様こそ、言葉巧みに陛下の身柄をみすみす——」

「まあ、あんたに信用してもらえるとは思っていない。決めるのは陛下だ」

 

 リーダーは口論に乗らずあっさり引いた。

 騎士団としては、自分たちを出し抜いて陛下をさらったこの男にひとかけの信用すら置いていない。スリアンをあえて敵の本陣に近づけ、再び裏切る可能性を考えないわけにはいかなかった。


「ふむ」


 スリアンはしばらく考え込み、やがて顔を上げて宣言した。


「この兵力差だからね。定石通りならまず勝機はない。だったら、いちかばちかに賭けてみるのも悪くないね」

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