第232話 混乱と混迷
「南に? 団長、それは確かですか?」
「はい、間違いございません」
混乱の収まらない大広間で収拾のため采配をふるいつつ、大臣は耳にしたばかりの報告に違和感を持った。
「奴らの仲間、異世界兵はほとんどゼーゲルに留め置かれているはずですよ。合流するつもりなら当然西へ、そうでなくても一旦国外……サンデッガあたりに逃亡するのが定石では?」
「しかし、陛下の拉致をくわだてた賊徒の一派は少数派らしく――」
「少数派? どういうことです?」
「ええ、今日の恩赦に参加した仲間の兵たちも、本件については何ひとつ知らされていなかったようで……」
「なんと!」
大臣は目を丸くするが、すぐに頭を振って気持ちを切り替える。
「ところでクラバック侯の消息は?」
「申し訳ございません。混乱の隙を突いて逃げ出したようです。候の馬車が走り去るのを衛兵が目撃しています。もちろん追っ手はかけていますが、まだ捕縛にまでは至っておりません」
「バカなことを……これも南へ、か」
「いえ、東街道です」
「はあっ?」
大臣は眉をしかめて首をひねる。
「東? 南に逃げた賊徒とは合流しないのですか? 一体なぜ?」
「さあ、クラバック領に戻るおつもりでは?」
「ううむ。確かに、あからさまに暴露されて無関係を装うのも無理がありますが、今姿を消せばもはや言い逃れができないではありませんか」
大臣の疑問に、王直騎士団団長は呆れた表情で小さく肩をすくめた。
「さあ、高貴な方のお考えは小職には判りかねます」
「……まあ、いずれも捕縛を急いで下さい。今、陛下に万が一のことがあればこの国は瓦解します」
今やそれは大臣だけでなく、王宮の全員が同じ気持ちだった。
「承知しました。では、小職はこれで」
団長はさっと敬礼し、素早い身のこなしで広間を出て行った。と、式典の間給仕を務めていた内務の職員が顔色を変えて吹っ飛んでくる。
「大臣!
「何だって!!」
慌てて駆け寄ると、それまでずっと騎士の口に息を吹き込み続けていたオラスピアの魔道士が、汗まみれの顔を二の腕でぬぐいながら笑顔を見せている。
「オラスピアの……一体どんな魔法で」
「いや、これは魔法じゃない。単なる人工呼吸。救急法の一つです」
「え? しかしジリコーテは猛毒と——」
「だから、ジリコーテではないようです」
「え?」
大臣はその場に上半身を起こし、赤い顔でうつむいている女性騎士を見下ろしながら返す言葉を失う。
「正体は不明ですが、呼吸中枢を混乱させる薬ではあります。ものすごく息苦しくなったでしょうが息が止まったわけではありませんし、処置すればこの通り」
まだ肩で息をしているが、泡を吹いて倒れたときのような赤黒い顔色はすっかりおさまっている。
「もう大丈夫ですよ。後遺症もないはずです」
何気なく答える魔道士の青年に、大臣は深く頭を垂れる。
「ありがとうございます。魔道士殿はそのようなことまでよくご存じで……」
「いえ最近たまたま知人と交わした話を覚えていただけです」
「しかし」
「まあ、礼ならマヤピス図書館の筆頭司書アルダーまでお願いします。それよりも……」
魔道士は不意に深刻な表情になると、女性騎士に顔を向けた。
「彼女は結婚されたり恋人がいたりしますか?」
「は?」
上気した顔で魔道士を見つめる騎士と魔道士を交互に見やりながら、質問の意味がわからず困惑する大臣。
「いえ、命を救うためとはいえ断りなしに口づけのような……やばいな、フォルに知れたらまた面倒なことに――」
「それなら大丈夫です。私にお付き合いしている人はおりませんし、状況はわきまえております。魔道士様には感謝こそあれ、非難するようなことなど万に一つも……」
そう返しつつも、口にするセリフとは裏腹に顔を朱に染め潤んだ瞳で魔道士をじっと見つめる騎士の様子に、大臣は頭痛の種がこれ以上増えなければよいが、と内心ため息をついた
しかし大臣の予想は悪い方向に的中する。
東に逃げていたクラバックを守るように、突如百名を越える大規模な軍勢が現れたという報告がもたらされたからだ。
「一体どこの兵です!?」
「は、かなり着崩れてますが、旧ドラクの軍服らしきボロをまとっている者が多数見受けられました」
「ドラクの残党? 南方鎮守台が掃討作戦を遂行中なのでは?」
「恐らく、ゴールドクエスト伯の動きで隠れ家を追われ、東の国境に逃れてクラバックと結んだのではないかと思われます」
伝令はそれだけ告げると足早に執務室を出て行った。
「訳がわからん! 一体何がどうなってる。いつからだ!?」
大臣は立て続けに起きた事件と、その後の事態の急変に、もはや完全にキャパシティオーバーだった。
彼は思わず立ち上がり、ショートしかけた頭を整理するために執務室内をグルグルと歩き回る。
「一つ、推測。
大臣は口に出しながら右手の親指を折る。
「二つ、ドラク帝国は恐らく昔から異世界兵と何らかのつながりがあった。これも推測」
人差し指を折り、部屋の隅でくるりと振り返る。
「三つ、状況証拠。異世界兵が持ち込んだ大量の麻薬は政権崩壊時にドラク軍の残党と共にブラスタム山脈の奥地に隠された」
執務室に入ってきた伝令兵が奇行に走る大臣を見て目を丸くする。だが、大臣はそれに気づかない。
「四つ、確定。近年サンデッガ国内を汚染したヘクトゥースはドラク残党が供給し、一部は我が国内にも流れた」
「大臣? あの、至急のお知らせが——」
「五つ、捕虜の証言から推測。異世界兵はサンデッガ魔道士団にも麻薬を供給して間接的にゼーゲルを支配しようとした」
「あの、大臣?」
「六つ、現実。現在、ゴールドクエスト伯はドラク残党を刈りだして徹底的に追い詰めている……ああ、何か用か?」
左手の親指まで動員してくるりと振り返った大臣は、そこで初めて立ち尽くす伝令兵に気づいた。
「は! 陛下を追っていた騎士より伝書鳥が……〝至高の冠は南の砦にあり〟どうやら、陛下を拉致した賊徒は南方鎮守台に入った模様です」
「どういうことだ!!?」
誰が味方で誰が敵なのかまったくわからず、大臣はひたすら困惑した。
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