第233話 敵と味方

 猛スピードで走り続けていた馬車がようやく停まった。

 瀝青アスファルトで平らに舗装されたタースベレデの街道を走り、それでもなおシェイカーで振られたように激しく揺れていた客室キャビン内がようやく静まりかえる。御者席の方からは、長時間の責め苦から解放された馬たちの抗議のようないななきが響きわたった。


「陛下、着きましたぜ」


 両手を縛られ、目隠しをされたスリアンに賊徒のリーダー格の男が馴れ馴れしく呼びかけてきた。


「で、いったいボクはどこに連れてこられたんだい?」

「ほぉ」


 長時間の激しい揺れでむち打ち気味に痛む首をゴリゴリ回しながら、スリアンは不満たらたらで男を責める。


「さすが肝が据わってらっしゃる」


 一方、男はあごに手を当てて感心したような声を上げると、スリアンの目隠しを取り、にやりと笑った。


「危害を加えるつもりはねえ。だが、説明が終わるまで戒めは解かないでおくぜ。陛下はそれなりに武芸の達人と聞いてる。下手に暴れられたらかなわねえからよ」

「説明?」

「ああ、俺達があんな騒ぎを起こした理由。俺達は陛下に逆らうつもりで暴れたわけじゃねえ」

「ふーん」


 まったく信用していない様子でおざなりの相づちを返すスリアンに、男の方も苦笑いを隠そうとしない。


「……ところでさ、その言葉づかい、似合わないからやめたら?」


 途端、男は驚いたように目を見開いて笑いを引っ込める。


「……なぜそう思う?」

「いや、だって、君らは元異世界軍の捕虜だろ? 言葉はいつ覚えたのさ?」

「ああ?」

「君たちの交渉役はローグって名前だった。ゼーゲルの戦いでは、あのいけ好かない男以外、こちらの言葉を話す者はいなかったと思う」


 スリアンは男の顔を睨みつけながら断言する。


「だとすれば、恐らくほとんどの者が戦後ゼーゲルの収容所で言葉を覚えたはずだ」

「ふうん、それで?」

「だったら、彼が君たちにそんな荒っぽい言葉使いを許したとは思えないんだけど?」

「彼?」

「サイプレス・ゴールドクエスト伯だよ」


 男は一瞬魂が抜け落ちたような顔つきになると、再びニヤリと笑った。


「魔導伯様か? 確かに、あのお人は俺たちに神経質なほど正確な大陸共通語を叩き込んだな。ま、ご想像通りだ。荒くれ言葉は必要があって後から覚えた」

「必要?」

「まず説明させてもらえないか? 陛下だって、訳もわからずさらわれたままっていうのは落ち着かないだろう?」


 スリアンがあきらめたようにうなずくと、男は改めてスリアンの向かいの席にどっかりと腰を下ろした。

 同乗していた毒使いは男に小さく目配せをすると、先に客室キャビンを降り、外の仲間と何事か話し合っている。


「さて、最初に言っておくが、俺達は陛下に敵対するつもりはない」

「ふーん」

「クラバック侯爵に陛下を始末するように頼まれたのは事実だが、俺達がいなければ誰か別の悪党が依頼を受けることになったはずだ。それでは状況をコントロールできないだろう?」

「コントロール?」

「ああ、ゴールドクエスト伯は言ってたよ。異世界の武器や技術を密かに求める有力者は多い。陛下の帰りが長引けば、後ろ盾のない自分は必ず追い落とされる。その時、異世界に精通した裏社会の人間がいれば必ず接触してくるから、と」

「つまり、君たちはサイに命じられて裏社会に身を投じたのか?」

「いや、違う。俺たちが勝手にその気になっただけだ」

「……どうして?」

「クラバックの横槍は最初ハナから割と強引だったからな。いずれ彼が追放されることは充分予想できた。伯には色々と世話になったし、どこかのチンピラに暴れられるよりいいだろう?」

「そりゃそうだけど、でも……」

世界ふるさとを失った俺たちの心情を理解してくれたのはあの人だけだった。ゼーゲルは言わば俺たちの新しい故郷だ」


 ふと目をそらし、外を眺めながらそう言い切る男の表情に、スリアンはかすかな寂しさや後悔の色を感じ取った。


「俺たちは軍人。暴力以外、この世界で使い物になる知識も技能もねえが、それでも何か役に立ちてえと思うじゃないか」

「そう……」


 スリアンは黙り込んだ。

 幼児の身体で異世界に飛ばされた自分自身の体験が不意に頭をよぎったからだ。

 記憶を完全に失って、薄着一枚で街をふらふらとさまよっている自分を保護してくれた若い女性は、最終的に身元引受人になって、名前と住むところまで与えてくれた。

 後になって記憶を取り戻す治療を勧めてくれたのも彼女だし、実際に記憶を取り戻した時には自分のことのように喜んでくれた。

 本当に、いくら感謝しても足りないくらいだ。

 だから、この男の理屈も理解はできる。かなり歪んではいるけれど、サイに恩義を感じているのは間違いないらしい。


「……でもさ、わざわざこんな辺境ところまで逃げてこなくても良かったんじゃないの?」

「クラバックが王宮のまわりに私兵を忍ばせていたとしても、かい?」

「え!?」

「陛下を殺害すると同時に兵を王宮に呼び込み、前女王と第一王女の身柄をおさえて王位を簒奪する予定だったみたいだな。俺たちがたくらみを暴露して王宮を飛び出したことで、ヤツの思惑は大幅に狂っただろう。さぞや焦ったことだろうぜ」


 面白そうに話す男の顔を見つめながら、スリアンはサイと連絡がつかなかった理由を何となく理解した。


「てわけで、今この国で一番安全なのは王宮じゃない。ゴールドクエスト伯がいなさるこここそが、陛下の身を守る最適の場所なんだ」


 男が言い終わると同時に、客室の扉が乱暴に叩かれ、先に降りたはずの毒使いがしかめっ面で乗り込んできた。毒使いが耳打ちすると、男の顔が不快そうに歪む。


「陛下、ちょっと計算が狂った。俺たちはゴールドクエスト伯が鎮守台に足留めされていると思ってたんだが、どうやら違う」

「行方不明なんだろ?」


 スリアンの答に、男は驚いたように目を見開いた。


「陛下……。知っていなさった……いや、知っておられたので?」

「ああ。こんなことがなくても、ボクは式典が終わり次第ここに向かう予定だったんだ」

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