第231話 女王誘拐
午後に入り恩赦式が始まると、会場は午前の厳かさとは一転し張り詰めた空気に包まれていた。
恩赦の対象はもともと敵だった人間ばかりだ。本人がタースベレデへの恭順を示し、加えて事前に入念な素行調査もしているのだが、それでもどこか異質で近寄りがたい空気をまとっている者が多い。
旧サンデッガからタースベレでに鞍替えした者たちの恩赦が一段落し、見慣れない様式のカーキ色の軍服をまとった一団が入場した時点で、会場の緊張はさらに高まった。
彼ら異世界兵はごく最近まで牢につながれていたため、ほとんどの者は今日初めて彼らの姿を目にするのだ。
「おい、やつら、ゼーゲルに侵攻してきた異世界の……」
「なんで全員黒髪に黒い瞳なんだ? あいつらも魔道士なのか?」
「どうせあいつらもヤーオと同じ穢れた血の――」
参列する貴族たちがささやき交わす声が、静まりかえった広間の隅々まで響き渡る。うっかり余計な口を滑らせた小国の元首はスリアンのしかめ面に気づくと赤面して黙り込んだ。
「寛大なるスリアン・パドゥク・タースベレデ女王陛下。このたびは陛下のご尊顔を拝す便宜を頂戴し、また陛下の慈悲により恩赦の運び、まこと感謝に……」
恩赦を受ける異世界兵たちは一人一人スリアンの前に進み出ると教えこまれた作法通りに口上を述べ始める。スリアンもまた、儀礼に基づき
「貴殿らの犯した罪は言うまでもなく本来ならば許されざるものである。しかしながら、古来より罪を憎み人を憎まずとも言う。そこで、我が命をもって今ここに貴殿らの
スリアンの言葉にあわせて全員が無言で深く頭を下げる。
「では、一同、
大臣の声に、異世界の兵士達は一斉に顔を上げた。
「!」
憎悪のこもったいくつもの視線がスリアンを刺す。
突如膨れ上がった殺気を察知して女王を警護する騎士たちが一斉に剣を抜く。だが、それよりも一瞬早く、異世界兵の一人がスリアンに走り寄り、みずからの頭髪に編み込んでいた極細の針を抜き取るとスリアンの首筋に突きつけた。
「全員その場を動くな!! ジリコーテの毒だ!! 体内に入れば数分で死亡する!」
その声に誰もがその場に凍りついた。
ジリコーテは砂漠地帯のサボテンの茎から抽出される猛毒で、解毒薬は存在しない。
「バカことを言うなっ!」
「はぁ? だったら試してみるか!?」
女王の警護をつとめる若い女性騎士が思わずこぼした叱責に、異世界兵は口を歪めて邪悪に笑う。次の瞬間、騎士はのどをかきむしりながらその場に崩れ落ちて泡を吐いた。その肩にはスリアンに向けられているのと同じような針が突き立っている。
つんざくような女の悲鳴が響き、途端に会場はパニックになった。
「オラ! 死にたくなければ全員両手を頭の後ろに組め!!」
貴族国賓の区別なく、全員が両手を上げて壁際に後ずさった。
恩赦に臨む元敵兵たちには、恩赦式典の会場である広間に至るまでに何度も繰り返し身体検査が行われる。最後は〝陛下に失礼がないように〟との名目で浴室に放り込まれ、一人ずつ、全身を頭の先から足のつま先まで入念に洗われる。頭髪ももちろん検査済みで、本来毒針など持ち込む隙はないはずなのだが。
「まさか、内部の者が手引きを……」
羽交い締めにされ、こわばった表情を浮かべるスリアンを見つめながら、大臣はギリリとほぞをかんだ。
恩赦の対象者は徹底的に検査されるが、式典の参列者である貴族や外国賓客には武器の預かりと簡単なボディーチェックだけしか行われない。そのことに今さら思い至ったからだ。
もちろん、恩赦対象者と参列者の控え室は完全に分けられ、両者が直接接触するチャンスはない。だが、広間前の通路は(もちろん時間は区切られ見張りもつくが)部分的に同じ場所を通る。
髪の毛と見まがうほどの細い毒針であれば、どこかに置き捨てられ、そのまま見過ごされた可能性もゼロではない。
「それ以上近づくな! おい、お前ら、とっとと武器を床に置いて下がれ!! うかつに動けば女王が死ぬぞ!!」
剣を構えていた騎士達は悔しそうな表情を浮かべながら長剣を床に置き、そのまま数歩後ずさる。異世界兵のうち新たに三人が背後に向き直ると剣を拾い集め、主犯の男と女王を背にして守るようにまわりを取り囲んだ。そこにさらにもう一人、両手に何本もの毒針を扇子のように広げ持った毒使いの兵が加わる。先ほど騎士に毒針を放ったのはこの男だろう。
「………お前たちはボクに何をさせたいんだ?」
左手をねじり上げられ、首を抱え込まれ、毒針を突きつけられながらもスリアンは落ち着き払って訊ねる。
「簡単だ。今すぐ第一王女に王位を譲って退位を宣言しろ」
「……それはできない。今の姉さまに国政は
「知るか! 適当な
暗に、王位を譲れば用済み、と言わんばかりのセリフにスリアンは思わず苦笑いする。
「ああそうか。新女王が立てばボクは処分されるんだね。そこまで話ができているのなら、今すぐここでボクを
「それじゃ都合が悪いんだろ? 雇い主の意向ってやつ――」
「あ、馬鹿者っ!」
思わずこぼれた小声の罵倒。だか、この広間は小さな音もとてもよく響くように設計されている。
たちまちまわりから距離を取られ、その場に孤立するクラバック侯爵。
「し、知らん! わしはただ、信じがたい暴挙だ、と
「おいおい、ずいぶんとつれないな、雇い主様よ。そんな様子じゃ俺たちを逃がす約束だってどうなるかわからんなぁ」
完全に面白がっている異世界兵のリーダー。
「女王の次は俺らも始末する気か? だったら自力でずらかるしかねえか」
リーダーはあっさり方針を変えた。
「おし、脱出だ! オラ、そこの連中、道を開けろ!! ということで陛下にはもう少し付き合ってもらうぜ」
「イヤだよ。さっさとその毒針を突き立てればいいだろう」
「そうはいかねえ。知ってるぜ、あんたは暗殺されてもあっさり戻ってきた化け物ってうわさだ。人質にする方が使い勝手がいい」
異世界兵はお膳立てされたシナリオに乗るのをやめ、自力脱出の方針に切り替えたらしい。スリアンを羽交い締めにしたままひとかたまりになってジリジリと入口に移動し始めた。
騎士達はスリアンを人質に取られてなすすべもなく、彼らはすぐに王宮の外に出た。
「お、あの馬車がよさそうだな」
リーダーはどこかの貴族が持ち込んだらしい四頭立ての大型馬車に目を付けた。
「よし、あの馬車を接収する。乗り込め!」
恐らく事前のシミュレーションも完璧だったのだろう。打合せもなしに御者席、天蓋にそれぞれ乗り込み、毒針使いともう一人は後方デッキに陣取った。
スリアンは問答無用で客室に放り込まれ、すぐにリーダーも乗り込んで来た。
「オラ! 急げ急げ急げ、ゴーゴーゴーッ!!」
鞭を当てられた馬が激しくいななき、馬車は弾かれたように走り出した。
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