第230話 大臣の懸念
叙爵式はつつがなく終わった。
新たに二名の男爵が誕生し、二名が昇爵した。今回サイの昇爵はならなかったが、式典に先立って短時間行われた会議では、山賊掃討が落ち着き次第、彼を鎮守台から王都に戻すという女王の方針に表立って反対する貴族はいなかった。
「まずは穏当に終わりましたな」
午前の式典が終わり、大臣がほっとした表情で執務室にスリアンを訪ねてきた。
「本当はサイを侯爵に上げてすぐにでもゼーゲルに戻したかったんだけど」
不満を隠しもせず今にも毒を吐きそうな勢いのスリアンを大臣はやんわりと押しとどめると、セラヤの運んできた緑茶を一口すすって「はあ」と息を吐く。
「焦りは禁物です。先日の会議で陛下がクラバック侯に無造作に釘を刺されたのも、見ていて私は本当にヒヤヒヤしました」
「どうして?」
「候は恐れているのですよ」
「恐れる?」
「ええ。ゴールドクエスト伯が彼と同じ侯爵に昇られるとなると、間違いなく伯を中心にクラバック候に対抗する派閥が生まれます。伯は最前線でずっと戦って来られましたから、若手の貴族や騎士団、軍の面々に人気があります」
「まあ、ね」
「そこで、です。仮に、伯が繁栄いちじるしいゼーゲルを拠点を構えられたとします。ご本人は強力な魔道士。騎士団や軍にも顔が利き、なぜかは知らぬが大国の後ろ盾もある。本人の性格を知らなければ、私だって最大級に警戒します」
「ふーん。そんなものかね?」
「ええ、そんなものです。一方で、クラバック候につく貴族は次第に数を減らし勢いをなくしておられる。国の安定を考えるに、これ以上侯が思い詰めて余計な反発を生むのも困ります」
「……大臣は弱気だね」
「陛下が無頓着すぎるのですよ。
大臣が本気で心配しているのは表情からも伝わってくる。さすがのスリアンも先代女王時代からの忠臣である大臣の言葉を無視できるほど身勝手ではない。
「まあ、大臣の言いたいことはわかったよ。なるべく気をつける」
スリアンの返事に、大臣はようやく一息ついたように身体から力を抜く。
「それより午後は恩赦式だけだよね。さっさと終わらせて今夜中に出発するつもりだから」
「……本当に陛下みずから捜索に動かれるおつもりで?」
「当たり前だ。むしろ遅すぎるくらいだよ。もっと早くサイを迎えに行くべきだった」
ゼーゲルの戦乱直前に彼と交わした婚約は今も有効だ。というか、戦の混乱で誰もが忘れていた約定をあえて放置し、即位を済ませた後でちゃっかり掘り起こしたというのが正しい。
もちろん、山岳民族ヤーオの血を王族に入れることに懸念の声はある。だが、もともとタースベレデはあちこちからの移民や旅商人が作った国だ。異民族を嫌う意識は薄い。その上オラスピアとマヤピス、二か国の元首による後押しがあると聞き、公然と反対するのはクラバック侯爵一人だけになっている。
「いやあ、あの時の自分を褒めてあげたいよ。強引に外堀を埋めておいて本当に良かった」
この世界の暦では二年だが、スリアン自身の認識では十数年がかりの話になる。ようやく、という感慨すらわいてくる。
「ゴールドクエスト伯のことですから、よっぽどのことがない限りご無事かと思いますが、いまだ消息が一切ないのは気になりますな」
そう言って首をひねる大臣にスリアンもうなずく。
「確かにね。彼をどうにかできる人間はさすがにもういないはずなんだけど。だから余計に心配」
「いえいえ、いかな魔法使いといえど不意打ちを仕掛けられたら不覚を取ることもございましょうし、毒やワナのたぐいを完璧に防げる訳ではありませんし……」
「ええ〜、不安をあおるようなことを言わないで」
ゼーゲルで異世界の軍をほぼ単独で撃退したサイに、正面から力で対抗しようとする者はほとんどいない。
一方で、凄惨な経験をいくつもくぐり抜けて、なお彼が冷徹になりきれないお人好しなのはわかりやすい弱点だ。幼い外見も手伝って、敵対するものに付け入る隙があると思わせてしまうのはそれが原因だろう。
スリアンはそんな彼の甘さを補う覚悟で女王になった。
これまでのように自由に動けなくなることを承知で譲位を受けたのも、無理を通せるだけの力を欲していたからだ。
「……手遅れになる前に見つけないと」
スリアンの心中はサイのことで一杯で、午後に控える恩赦式は単なる雑事としかとらえていなかった。
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