第228話 闇の中
漆黒の闇の中。
胸元の魔法結晶の手触りを確かめながら、サイは幾度となくアーカイブとの接続を試みた。だが、まるで不可視の壁に遮られたように、外の気配を感じることはできなかった。
坑道の入口は完全に崩れ落ち、大きな岩が折り重なってゆく手を阻む。
脱出は……もはや絶望的だ。
「……間違いなくはめられたな。僕もうかつだった」
サイはため息をついた。
周囲の何もかもが朽ち果てており、ここがかつて何を掘り出していた鉱山なのかわからない。
だが、妙に魔法の通りが悪いのは坑口に立った時点で気づいていたのだ。推測だが、上空の魔法衛星との
今となってはもはや後の祭りだが、もう少し慎重に動くべきだった。サイはため息をつきながら後悔する。
敵は魔法原理に詳しく、またサイのえげつない戦い方も熟知している。
恐らくこの場所が魔道士にとって不利な場所であることも調べが付いていたのだろう。ならず者二人の命を使い捨てにしてまでサイを誘い込み、魔法を封じ、落盤に巻き込まれたよう巧妙に偽装もした。
目的のためなら他人の命をなんとも思わないごう慢さと、確実にサイを排除しようとする冷たい悪意が透けて見える。
地位が高く、機密に近い情報に触れられる立場。間違いなく国内の有力貴族に違いない。
「……にしても、僕は一体誰の恨みを買ったんだ?」
サイは賊の剣に刻まれていた消えかけの柄模様を思い浮かべる。
貴族に任じられた時点でサイ自身も紋章を与えられており、貴族のたしなみとして国内外の紋章についてもひと通り学ばされた。だが、あの紋章に見覚えはない。
「タースベレデのフォーマットには違いないけど……いや、まてよ」
タースベレデの紋章は、女王から下賜されたクレストという共通の頭飾りが特徴だ。また、交易商人だった時代の名残で、それぞれの一族が主にあきなっていた商品がモチーフになっていることが多い。
「大麦の穂と樽。とすれば、エールか……」
今でも酒を主力で扱っているのは三家。だが、あの紋章はいずれの物でもない。
「だとしたら、没落した貴族?」
賊が振り回していたのは手入れの悪い、ガラクタも同然の剣だった。現役貴族の持ち物とは思いにくい。
「しかし、どうして?」
サイは首をひねる。
ゼーゲルを任されるまで、サイは領地を持たない一代貴族の扱いだった。魔導伯の肩書はもともとは単なる名誉職に過ぎない。
また、ゼーゲルはもともと他国領だ。タースベレデの貴族にそこまで大きな利害はない、はずだ。
「いや、違う」
そこまで考えて、サイは自分の思い違いに気づく。
賊は、身元のわかるものを何ひとつ身につけていなかった。
「だったら所属につながりそうな紋章を見逃すのは逆におかしい……」
むしろ、何者かが没落貴族から流出した古道具を使い、ミスリードを狙った可能性のほうが高い。
「だとしたら、東部国境……」
旧ドラク帝国によって、東の国境線はたびたび侵犯された。戦乱からの復興が及ばず、爵位を返上した貴族家があったと聞いたことがある。
領地は国の預かりとなり、最近になって高位の貴族が買い取ったはずだ。領内に旧貴族の遺物が出回っていたとしてもおかしくない。
「……なるほど、クラバック侯爵か」
侯爵はサイの昇爵に反対し、サイのゼーゲル領有が認められなかったのも彼の反対姿勢が強硬だったためと聞く。因縁がまったくないとも言えない。
「ふがいない王ですまない」
女王にはそう頭を下げられたが、スリアンが戻る確証のない中、二年近くゼーゲルへの横やりを防いでくれただけでも十分ありがたかった。
「しかし、なぜ、今、なんだろうな?」
サイはすでに領主代行を退き、以来辺境にこもって王都にも一度も出向いていない。クラバックからしてみればサイはすでに追い落とした格下の相手で、今さら犯罪に手を染めてまでサイを排除しようとする理由がわからない。
「もしかして……本当の狙いは」
瞬間、サイの背中にぞくりと
サイをここまで周到にけん制してまで狙う相手と言えば、ただ一人しか思いつかない。
「……目標は、スリアンか!?」
サイはふうと大きく息を吐くと、猛然と脱出のための手段を探り始めた。
式典を明日に控え、夕刻からは招待客や受勲者のための晩餐会が始まった。
スリアンは始めに二階のテラスから会場を見渡し、女王として短いあいさつを述べると、すぐに席を外して私室に閉じこもった。
「陛下、せめてもう少し会場に留まってはいただけませんか? 出席者が面食らっておられますよ」
大臣が苦虫をかみつぶしたような表情で苦情を言うが、スリアンはそっぽを向いて聞こうともしない。
「サイが来るって言ったじゃないか!」
「いえ、私は、総監もよもや出席をお断りはされないだろうと——」
「来るって言った!」
まるで駄々っ子のように口を尖らせるスリアンに、大臣は困り果てたように額にハンカチを当てる。
「……まあ、それに類することは確かに申し上げましたが」
「来てないじゃないか!」
まるで子どものような口調で大臣を責めるスリアン。だが、眉尻を下げて口ごもる大臣を見て肩を落とすと、自分で両頬をパンと叩いて大きく息を吐く。
「はあ、ごめん。大臣を責めてもしょうがない話だ。ボクが悪かった」
「……いえ、陛下の心中はお察しいたします」
スリアンが分別を取り戻したことで、大臣はようやく安堵の息を吐く。
「今回、ゴールドクエスト総監には重ねて伝書鳥をお送りしているのですが、なぜかお返事をいただけず、私も少々いぶかしんでおる次第で……」
「いつもだったら速攻〝欠席〟の返事が来るよね」
「ええ、しかし、今回は、来るとも来ないともはっきりせず……」
大臣の言い訳を聞きながら、スリアンはただ待ち続けるということがいかに精神的に〝くる〟ものなのかを痛感していた。
ゼーゲルの戦役で大ケガをして異世界に飛ばされたとき、スリアンの身体は欠損を補うため七〜八歳相当にまで巻き戻されていた。その時点ではこちらの世界での記憶はひどくあいまいで、夢の断片のようにしか感じていなかった。
ほとんど記憶喪失状態で生活力皆無の彼女を保護し、成人まで養ってくれた女性の勧めで催眠療法を受けなければ、恐らく一生をあの世界でなんの疑問もなく終えていたに違いない。
スリアンは、こちらの世界での記憶を取り戻した瞬間のことは今でも昨日のことのように思い出すことができる。
サイの顔を思い出した瞬間、全ての記憶がまるで電撃を受けたように脳裏によみがえった。
彼に会いたくて会いたくてたまらなくなり、自分がいかにこの少年に恋い焦がれているのかを自覚して全身がかっと火照ったのをよく覚えている。
彼女の保護者でもあった女性が、いくつもの世界線を管理する機構の職員であることを知らされたのはその少し後だ。スリアンが二十四歳になった夏、久しぶりに顔を見せた彼女はスリアンに、この世界に戻る気があるかと訊ねた。
スリアンは一瞬も悩まず食い気味に大きく頷き、気がつくと彼女はこの私室のベッドに横たわっていた。
「だけど……」
彼女の帰還をそばで待ち望んでくれているものとばかり思っていたサイは、ゼーゲルを追われはるか辺境に追放されていた。
スリアン自身がすぐに女王即位のための準備に忙殺されたこともあり、以来、彼とは一度も会えていない。
いつとも知れぬ帰還を待ち疲れ、あきらめてしまったのかとも思った。
でも、それでも彼に会いたい。
彼の口から直接、今の気持ちを聞きたい。
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