第227話 届かない返事
スリアンの女王即位にともなって、大規模な叙勲や恩赦が決まった。
サンデッガや異世界軍との戦で功績をあげた者、捕虜となった後タースベレデへの
特に、もともと身分の高い受勲者や敵将クラスは王宮に招き、スリアンが直々に声をかける手はずになっている。
「えー、面倒くさいよー!」
スリアンは渡された計画書を放り出して一言。
「今さらじゃない? ボクが直接立ち会わなきゃダメ? いっそ大臣が代わりにやるのは——」
「バカを言わないでください陛下。鎮守台総監も受勲者に名を連ねていらっしゃいますよ。彼は多忙を理由にめったに王都に近寄りませんが、討伐戦も終わりが見えてますし、さすがに
面倒を押しつけられそうになった内務大臣は慌てて言いつくろう。
「ああ、そうかっ! 大臣ナイス! さすがに来ないわけにいかないよねっ!」
理由を付けて辺境を離れず、姿を見せないサイに業を煮やしていたスリアンは、パチンと両手を打ち合わせて大臣を称賛した。
「いいよ! 進めて! いつやるの?」
「ええ、ひと月後を想定しています。では早速進めます」
スリアンの快諾を得て、内務大臣はホクホク顔で執務室を出て行った。
サイが鎮守台に着任してから数カ月。ブラスタム山脈を根城にしていたドラグ軍残党はほぼ一掃された。
ドラク帝国崩壊時に持ち逃げされた
山あいの集落に時折現れてはケチな盗みを働くチンピラたちを一人ずつつぶしていく根気のいる任務。これが終われば、タースベレデ南方の治安は回復し、鎮守台の役割はほぼ消滅する。
「これが終われば心おきなく南に下れる……」
大陸を南北に分断して延びるラスタム山脈を越えて南麓に下れば、その先には広大なタンギール砂漠が広がっている。砂漠のオアシスには大小の集落が点在し、さらにその先、大陸南岸の商業都市ペンダスに至る重要な中継地になっている。
サイは、討伐戦が終わった時点で鎮守台総監を辞し、タースベレデを離れる腹づもりをほぼ固めていた。
十才年上お姉さんになってしまったスリアンに会うのは正直気まずい。彼女が異世界で過ごした十数年のブランクを乗り越える自信はなく、もし忘れられていたら多分二度と立ち直れない。
だが、迷いが彼の判断を鈍らせていることに自分では気づいていなかった。
その日も単独で哨戒任務に出たサイは、ひょっこりと二人組の山賊に遭遇する。
苦し紛れに矢を放ちながら山奥に逃げ込む賊を追い、朽ちかけた廃坑に追い込むと、坑道の入口に立って大声で呼びかけた。
「逃げてもムダだ! おとなしく投降しろ!!」
だが、奥から返ってくるのは汚い罵りの言葉。
「ったく、毎度毎度、往生際の悪い!」
サイは馬を下りると荷物からランタンを取り出し、右手に短剣を構えて洞窟に入る。
賊の人数は二人。だが、今のサイは脅威とは感じていなかった。
早速索敵魔法を展開するが、掘り残された金属鉱脈の影響なのか、坑道に潜り込んだ賊の動向ははっきり見通せなかった。
「なんだ? 魔法の通りがずいぶん悪い……仕方ないな」
ならば直接追い込もうと、サイはため息をつきながらさらに坑道の奥へと足を進めた。
いつしか背後から差し込む光が小さな点になり、足音が次第に水気を帯びる。
「……こっちか」
ランタンを地面に近づけ、薄く堆積した泥に残る賊の足跡を確認して立ち上がった瞬間、サイの背後で鈍い爆音が響いた。
坑口がガラガラと崩れ落ちる音が続き、坑内の空気の流れが変わった。サイは自分がワナにはまったことを悟って舌打ちをする。
「「死ねっ!」」
次の瞬間、先行していたはずの賊が、隠し持っていた長剣を振りかぶって同時に飛びかかってきた。
サイはランタンを賊の顔面に投げつけ、相手がのけぞった一瞬を狙って大腿の動脈を切り裂く。飛び散る鮮血。
さらに敵の腰を回り込むように短剣を滑らせ、倒れ込んでくる賊の横から脇腹を深くえぐった。
「ひとりっ!」
崩れ落ちた男の背後から振り下ろされる長剣を短剣の峰でするりと滑らせて姿勢を崩す。剣を振り抜いた勢いでがら空きになった横腹を蹴り飛ばし、斜めに傾いだ賊の体に心臓めがけて思い切り短剣を突き刺した。
「ふたり目っ!!」
勝負は一瞬でついた。
身長差を生かし、低い位置から敵の大動脈ばかりを狙うえげつない戦法だ。だが、小柄なサイをなめて大きく振りかぶってくる敵には効果的だった。
「……にしても、変だな。ドラク帝国兵崩れの山賊とは雰囲気が違う」
なんとなく引っかかったサイは血まみれで倒れ伏す敵の懐を探る。二人とも身元に繋がるような物は何も身につけていなかったが、彼らが握っていた、錆の浮いた長剣の柄文様がどうしても気にかかる。
「すり減っていて良くわからないけど……タースベレデ貴族の紋章に似てるような気もする……」
砕けたランタンから流れ出した油が次第に大きく燃え上がり、粗く掘られた坑道を天井まで明々と照らし出す。行く手は行き止まりで、抜け道や横道はおろか、空気抜きの小穴さえ見つけることはできなかった。
「くそ、最初から生き埋めが狙いか」
もう一度魔法結晶に念を込めてみるが、どうしてもうまく魔法が通らない。そのうちに炎は消え、すぐに鼻をつままれても判らないほどの濃い暗闇がサイの周囲を包み込んだ。
「ねえ、そもそも知らせの文が届いてないってことはないよね?」
式典前日。
衣装の着付けの手伝いで私室を訪れたセラヤに、スリアンは思わずグチをこぼした。
「そうですね。伝書鳥は時間を置いて複数放たれていますから、ワシやタカのような天敵に襲われた可能性は低いでしょう。ただ、これまでは欠席の返事がすぐに返ってましたから、それよりはまだ希望はあると思いますよ。迷っていらっしゃるのでは?」
「どうして? 迷う要素ある?」
「さあ、さすがにそれは本人にしか……」
セラヤは口を濁す。
同時に、彼らしくない踏ん切りの悪さをいぶかしく思ってもいた。
サイは確かに優柔不断なところがあるが、基本的に善良な少年だ。こんな風に他人に気を揉ませるのを何より嫌う性格だったはずなのだが。
「まったく、らしくないですね。今の旦那様は」
セラヤは小さく鼻を鳴らすと、かつて仕えた少年の面影を脳裏に思い描いた。
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