第226話 クラバックの誤算
タースベレデ王都。
貴族街にある高級レストラン最上階の特別室では、とある会合が催されていた。会合は開始早々から紛糾し、今なお男たちの怒号が飛び交っている。
「クラバック侯、今回の一件、一体どう収まりをつけるおつもりですか!?」
痩せた、青白い顔の子爵が、裏返ったヒステリックな声でクラバックに詰め寄った。
「私は貴殿のお言葉を信じてゴールドクエスト伯の
懇願する若い子爵に、クラバックはイライラと怒鳴り返す。
「うるさい! 当家の密偵がスリアンの瀕死と失踪を確かに確認したんだ。まさかあの小娘が今さら五体満足で戻って即位するなど、あの時点で予想などできるわけないだろう!」
「そ、それに、あの魔道士のガキはすぐに破産するとも明言されましたよね。その話も間違いだったじゃないですか!!」
「間違ってなどおらん! あのガキが個人で莫大な借財を抱えているのはまぎれもない事実。だが、まさかオラスピアとマヤピスの二国が裏書きするとは……ほとんど国家レベルの債務保証ではないか! あり得んっ!」
「だから、それが何だって言うんですかぁっ!」
子爵の絶叫が響き渡る。
「あのガキは、事実上無限に金を借りることができるということだぞ。借金がいくらふくらんでもあの二国がケツを持つ。破産の心配がないんだ。誰だろうが喜んで金を貸すさ。そんな奴に我ら一貴族ごときが太刀打ちできるわけがない」
「だったらどうするんです!? 貴殿がゼーゲルの領主になれば我々も間違いなく儲かると――」
「ああ、言ったともさ!」
ついにクラバックは開き直った。
「奴が莫大な借金を抱えて姿を消せば、後に残るゼーゲルは文字通り金のなる木のはずだった。まさか、債務ごと引き継げなどと……」
「でも、ゼーゲルは儲かるんでしょ? だったらそれくらいの借金、貴殿が引き継げばいいじゃないですか!!」
「バカモノ!! そんなこと、できるわけないだろうがっ!!」
「どうしてですかっ!? あのガキにできることがなぜ貴殿にできないんですかっ!?」
「額がでかすぎるのだ!! 国家予算レベルの借財をどうやってわしに担保しろと言うのだ! 一族郎党ことごとく奴隷落ちしたところで到底まかなえんわ!!」
詰め寄っていた子爵は、ようやくことの異常さに思い至ったらしい。
呆然とした表情でその場に崩れ落ちた。
「破滅だ……私は、私の借金は一体どうすれば……」
そのまま両手で顔を覆ってブツブツとつぶやく。どうやらクラバックにいいように言いくるめられ、身に余る借財を抱え込んだらしい。
「……我らは、おもねる相手を間違ったということですな」
それまで、無言で議論の行方を見守っていた老伯爵が残念そうにつぶやいた。
「陛下が正しかった。我らは、ゴールドクエスト伯の卑しい出自や見た目に惑わされ、力量を見誤っていた」
同じように傍観していた貴族たちが相次いでうなずく。
「……いや」
老伯爵は自嘲するように首を振った。
「小僧に責を問うのは筋違いか。むしろ、あれほど見せつけられていながら、これまで信じようとしなかった我らの目が腐っておりましたな」
彼のつぶやきを耳にして不安そうな顔を見せる周囲の貴族達に、老伯爵はヘニョリと眉を下げて苦笑する。
「成人すら迎えていない小僧が……いや、わしも歳をとったということか。さて」
老伯爵はよっこらせと立ち上がり、その場で杖をトンと突いた。
「クラバック侯よ、悪いがわしはここで失礼する」
「え、どういう――」
「言葉通りの意味だ。陛下は我々に個別に諮問をはかるとおっしゃられた。ならば、ここで
「伯爵、お待ち下さい!!」
「貴殿もお覚悟めされよ。今、総監に攻められれば、我らのかかえる軍など数刻で吹き飛ぶ。わしは家督を息子に譲っておとなしく領地に
「伯爵!!」
クラバックの声にも老伯爵は歩みを止めず、そのままゆっくりと部屋を出ていった。
気まずい沈黙がその場を支配する。
それまで日和見をしていた貴族たちはお互いに顔を見合わせるとバタバタと立ち上がり、まるで沈みゆく船から逃げ出すネズミのように、我先に部屋を出ていった。
「あ、あの、クラバック様?」
彼らと入れ違うようにメインディッシュのワゴンを押してきた給仕は、空席だらけになったテーブルを見て困惑の声をあげた。
「これで八件目ですよ。まだ陛下は何もおっしゃっていないのに、貴族からの面会要望が後を絶ちません」
「今になって慌ててもねぇ。昨日の爆弾発言が効いたかな」
「さすがに、二国の債務保証は予想外だったでしょう。いくらゼーゲルの経営が上向きでも、あれだけの借財を背負って平気でいられると思う貴族はおりません」
「まあ、うちの貴族はみんなもともと商人だからね。どうしても損得を第一に物ごとを考える。
スリアンは面会を申し出てきた貴族の一覧をテーブルに投げ出すと、ソファの背もたれに身体をあずけながらため息をつく。
「それより、サイ……ゴールドクエスト伯からは何か連絡、ない?」
無言で首を振る侍従に、スリアンは再び大きなため息をついた。
「避けられてるよねぇ」
「避けられてますね」
「……なんで避けるかな」
「でも、わたしは彼の気持ちが少し判るような気がします」
「ええ? どういう?」
「怖いんですよ。もし陛下が自分のことを忘れていたら、そうでなくても別の場所で違う経験を重ね、自分に対する気持ちが変わっていたら……そう思ったらとてもとても——」
「そんなわけないじゃないか!! ボクが一体どんな想いで——」
「それを言う相手は私じゃございませんよ」
年配の侍従は穏やかな口調でそう諭すと、冷めてしまった紅茶を回収し、改めてポットから熱い紅茶をカップに注ぎ直すと、スリアンの前に置いた。
「即位されたばかりでお忙しいこととは思いますが、あまり遅くなると取り返しがつかなくなりますよ」
侍従はそれだけを言い残して執務室を出て行った。
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