第222話 スリアンの行方
ゼーゲル港の片隅。
仮屋根がかけられ、臨時の領主館として使われている崩れかけの倉庫。
日が暮れて職員の出入りもまばらになったころ、サイはつえをたずさえて自室を出た。
廊下部分は補修も後回しで、床石があちこちがめくれ上がって車椅子ではまともに走れないためだ。
いつもならサイのそばにはセラヤが控え、車椅子を押してどこにでも付いてくるのだが、今夜は無理を言って外してもらった。
壁に片手を添え、明かりの少ない暗い廊下をそろそろと歩く。幸い目的の客室はすぐそばだった。
「女神様、サイです」
「どうぞ」
ドアは内側から開かれ、おぼつかない足取りのサイにさっと手が伸ばされる。ソファに導かれ、女神は向かいのソファに疲れた表情でどさりと腰をおろした。
「ご無沙汰しています。ずいぶんお忙しいようですね」
「まあな。一つの世界線を消去すればあちこちに微調整が必要になる。ずっと後始末に走り回っていたよ。それより……」
言葉を切ると、サイが椅子の手すりに立てかけたつえを見やる。
「足、まだ駄目か?」
「いえ、これでもだいぶ良くなりました。一人で歩けるようにはなりましたから」
「そうか……大変だったな」
女神はつぶやくように言った。
サンデッガ軍による王都急襲から始まった一連の
王宮は王配に加え第一王女をも実質上失った。
サンデッガとの戦がようやく落ち着いたところ、ゼーゲルに降ってわいた新たな戦いで、今度は第二王女までもが消息を絶つ。
サイの魔法でかろうじて敵を退けたものの、後継者を相次いで失い、女王の力は大きく削がれた。地方貴族の中にはこの機に乗じて王家を追い落とそうと周囲を扇動する動きまで起きた。
ゼーゲルの戦乱を鎮め、自身の強大な魔法に加えて、異世界の重火器や投降兵まで取り込んで今やタースベレデ最大の軍事力を有するサイを自分たちの陣営に取り込もうと、貴族各家の密使がひんぱんにゼーゲルを訪れた。
だがサイは、多忙を理由にして使者との面談をすべて拒絶した。
一方で、現地視察に訪れたセイリナ女王を大々的に出迎え、領主代行を受任すると同時に臣下として忠誠を誓う式典をとり行った。貴族たちの動きはそれきりおさまったが、彼がこれ以上国政に影響力を持つのを嫌ったのだろう。王宮からの推挙にもかかわらず、サイの身分は魔導伯のまま留め置かれ、ゼーゲル領主はあくまで臨時代行とされた。
「それよりも、スリアンの件、何か新しい情報はありましたか?」
暗い表情で黙り込む女神に、サイはあえて明るくたずねた。
「あー、まあ。いいニュースと悪いニュースがあるな。どちらから聞きたい?」
「いいニュースから」
サイは間髪を入れずに答えた。
「じゃあ……ようやくスリアン殿下の居場所がわかった。これがいいニュース」
女神の短い言葉に、サイは瞳を輝かせた。
周辺で吹き荒れる権力争いの嵐に表向きはひょうひょうと対応したサイだったが、内心は毎日が緊張と不安の連続だった。
タースベレデ独特の決まり事や貴族同士の力関係など、よそ者のサイには見当がつかないことが多すぎた。スリアンの豊富な知識に頼れないのは本当に痛手でしかなかった。
自由にならない身体にいらだって人知れずかんしゃくを起こすことも一度ではなかった。
それでも、今日までなんとか耐えることができたのは、スリアンの無事を信じ、その生還を心の支えにしてきたからだ。
「緊急だったからな。とにかく一番早く呼びかけに応じた周辺世界線の〝わたし〟に向かって殿下を
女神は決まり悪そうにそう付け足した。
「で、スリアンはいつ戻って来るんですか? それとも僕が迎えに行ったほうがいいですか?」
サイの問いに女神はますます困った表情になる。
「申し訳ないが、当分は無理だ」
「え?」
「これが悪いニュースだ。彼女を送りこんだ世界線は少しばかり特殊でね……」
目をつぶったまま天井を見上げ、そのまましばらく思案した様子の女神は、やにわにソファの背から身体を起こし、膝の上で両手を組んでサイをじっと見つめた。
「前にも言ったが、世界線は一本の太いロープに例えられるな。中心を貫く世界線の周りに、まとわりつくように他の世界線がいくつも絡みつき、〝世界線群〟とでも言うべき太い流れになる」
「はい、聞きました。僕らの世界が中心的な位置づけだ、とも」
「そう。だが、そんな世界線群のさらに外側を、らせん状に取り巻きながら付かず離れず、という世界線もある。ロープの外側を、らせん状のバネが巡っているようなイメージだ」
「それは、他の世界線とどう違うのですか?」
「ああ、第一に時間の流れが違うな。真っ直ぐなロープの周囲をぐるぐると取り巻いているわけだから、当然他の世界線より長い。高次空間での長さはすなわち時間とイコールだから」
「ということはつまり?」
「ああ、こちらでの一年が向こうでは何年にもなる。その上、こちらとの接触機会はらせん状の一周につき一回だけ。こちらの世界のおおよそ二年につき四日間だけ行き来が可能になる」
「ええ? じゃあ……」
「ああ、次に行き来ができるのは一年と八カ月先。そして、向こうではその時八年が経過していることになるな」
「八年!」
サイは思わず息を飲んだ。
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