第九章

第221話 再建の槌音

「はーっ、湿気はともかく、この埃っぽさだけでもなんとかならないでしょうか? 街を少し歩くだけで体中がザラザラになります」


 サイと顔を合わせた途端、セラヤは「本当にイヤになる」といった表情で、懐から取り出した手巾で額をぬぐう。


「仕方ないよ。街全体が一斉に建て直しをやっているんだ。再建が落ち着けばおさまるさ」

「確かにそうですが、せめてもう少し加減というものをですね」

「セラヤ、何か僕に用があって来たんじゃなかったのか?」


 サイは自身の乗る車椅子に背中を預け、両手を広げて肩をすくめて見せた。

 半分開いた窓からは威勢のいい槌音が響く。穏やかに凪いだゼーゲル湾のかなたには、海面に乱立する四十五本の鉄杭がかすんで見える。


「そうでした。投降者の処遇がほぼまとまりましたのでご報告に」


 サイは無言でうなずくと、執務机に車椅子を寄せて手渡された皮紙に目を落とす。


「サンデッガへの移住を望む者十一名、タースベレデに忠誠を誓い帰順を望む者が七十八名。そして、いまだ抵抗の姿勢を崩さない者二名か……例の司令官と使者?」

「ええ、その通りです」


 サイは顔をしかめた。

 異世界からの侵攻者は、ほとんどが自らの艦と運命をともにした。

 生き残った者たちは捕虜となり、自分たちの世界がすでにないと知らされると、ほぼ全員が戦いを放棄してサイに投降した。

 タースベレデへの服属に気の進まない者は、暫定君主である元外務卿と話し合ってサンデッガへの移住も認めた。とはいえ無条件とはいかず、当面は南部の鉱山で働くのが条件だ。

 元外務卿も、面倒の種でしかない異世界人の受け入れにいい顔をしなかった。だが、山岳地帯を根城に山賊と化し、各地で暴れ回る旧ドラク帝国兵みたいになるよりはマシだと考えたのだろう。最後には渋々ながらも受け入れを認めてくれた。


「であれば、二名には毒を飲んでもらうか、あるいは公開処刑になると思う」


 サイは気が進まなそうにため息をつく。

 街を破壊し、多くの人命を損なえば当然極刑だ。反省の色を見せてくれれば減刑もあり得るのだが、本人にまったくその気がないとなると、助けるのは難しい。


「そのことなんですが……」


 セラヤはサイのため息をさえぎって付け足した。


「参謀達と話し合いまして、両名ともすでに処分いたしました」


 まるで夕食のメニューを読み上げるような、なんの気負いもない報告。


「処分……ごめん。イヤな役回りを——」


 眉間にしわを寄せてそう切り出したサイを押しとどめ、セラヤはいつも通りの淡々とした口調でさらに続ける。


「私からお願いいたしました。私はこれ以上旦那様に心労が及ぶのを望みません。もちろん、私の勝手な判断です。罰も覚悟しています」


 淡々としたセラヤの言葉に、サイは無言で小さくうなずいた。

 二か月前のあの日、サイは怒りにまかせ、四十五本の鉄杭をはるかな高空から敵艦に叩き込んだ。アーカイブによる演術支援も魔方陣の展開もなしに巨大魔法を無理やり行使した。そのためサイの脳神経は過負荷で焼き切れショートかけ、視力や言葉を失っただけでなく、一時は生命すらも危うかった。

 体中の穴という穴から血を吹き出し、突然ぶっ倒れたサイを二ヶ月間献身的に看護したのはセラヤだった。おかげでサイは再び視力を取り戻し言葉もしだいに戻ったが、手足のマヒはまだ完全にはとれていない。


「まあ、タースベレデのお城が焼かれた経験もありますし、旦那様は何をするにも楽でしたね」


 一面のがれきと化したゼーゲルの街では、治療のための薬品はおろか寝台ベッドの確保すら難しかっただろう。本人は決して口にしないが、相当な苦労があったはずだ。それでも無表情でナチュラルにサイをディスる性格が相変わらず健在なのは心強いというか残念というか。

 それはたぶん、彼女の精一杯の強がりだろう。それが理解できてしまうと、彼女の判断をとがめることはできなかった。


「ありがとう。助かった」


 セラヤは心なしか顔を赤くするとぷいと横を向いた。


「……いえ、旦那様にはもっと大切な使命がございますからね」


 言われるまでもない。がれきの山になったゼーゲルの街を更地にするところから始め、街の再建には領主代行をつとめるサイの采配が欠かせなかった。

 がれきを処分し、まっさらな空き地になった港の倉庫街に避難民を収容する大天幕を何百張も張るのが手始めだった。

 タースベレデ中、いや、大陸中から大工や資材をかき集めてようやく主要な建物の再建に取りかかったのが先月のあたま。二十四時間三交代制の作業で主だった建物の壁の石積み作業がほぼ終わり、今は柱や屋根を仕上げる工事が最高潮を迎えている。


「まあ、僕ひとりだけではなにもできなかったけどね」


 資材や人の手配や輸送には、オラスピア王国が全面的なバックアップを申し出た。

 都市計画には復活した図書館都市マヤピスのアーカイブが持てる計算力をフルに提供してくれた。それぞれの建物の設計は、意外にも魔道士ユウキがその才能を発揮した。なんでも、元の世界では建築士見習いとして建築設計事務所に勤務していたのだとか。

 街を覆い尽くす大量のがれきの処分方法として、浅瀬を埋め立てて港を拡張し、桟橋を増設することを提案したのも彼だった。結果的に大陸中から集まった多くの商船が何隻も一度に停泊でき、再建に必要な資材の搬入がよりスムーズになった。

 肝心の建築資材は、一時スリアンが身を寄せていた商業都市ペンダスの商人たちが採算度外視で提供してくれた。

 商人が儲けを取らないのは違和感しかない。だが、異世界の戦艦数十隻を一瞬でほふった最強の大魔道士に貸しを作る方が長い目で見てメリットがあると判断したのだろう。


「いざという時に手助けが得られるのもまた人徳ではありませんか? まあ、旦那様の場合、大きさ的についつい手助けをしたくなるというのも——」

「背丈の話はやめて! 僕だっていずれは……」


 こうして、文字通りよちよちと、ゼーゲルは再建に向けて歩み始めた。

 だが、サイには解決すべき大きな心配事がもう一つ残っていた。


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