第220話 神の鉄槌

 サイは、身体の中のどこかでブツンと何かがちぎれる音がしたように感じた。同時に、これまで必死に我慢を積み重ねてきた自制がガラガラと崩れていくのを抑えることができなかった。

 身を挺してサイを守り、致命傷を負った騎士を抱え起こすと、サイは自分に照準を合わせていたドローンを鋭く睨みつけた。


〝銀針!〟


 心の中で念じた途端、ドローンは何かを叩きつけられたように姿勢を崩して墜落し、小さな火柱を上げて爆ぜた。


「閣下!」


 駆け寄る護衛たちにこときれた騎士を託し、サイは立ち上がって右手を高く掲げた。天に向かって開いた手のひらをグッと握りしめた瞬間、目の前にまばゆい紫電が走る。雷光は空中で木の枝のように複雑に折れ曲がり、枝分かれしながら浮遊していた全てのドローンを貫くと、直後、空中に綿花のような白煙がいくつも弾けた。





「船長!! 海中から泡が大量に沸いてます!」


 同時刻。ゼーゲル湾の東岸から一海里ほど離れた沖合に投錨中の帆船ディレニア。

 甲板員が大声で船橋のスケイリーを呼ぶ。


「お、ついに始まったな」


 スケイリーはニヤリと笑みを浮かべると、大声で甲板員達に怒鳴り返す。


「荷重が抜けて喫水が一気に上がるぞ! 錨を緩めろ! オラっ! 急げ急げ急げっ!!」


 スケイリーの命令で巻き上げ器のくさびを緩めた途端、ディレニアの船体は見る間に浮き上がった。錨に繋がる鎖がガラガラと激しい音を立てて海中に引き込まれ、竜骨がギシギシときしむ。

 海中に沈めて浮力の助けを借り、それでもなおディレニアの甲板が波で洗われるほど喫水を下げていた積み荷は、ゆっくりと両舷の水面近くに浮かび上がってきた。それは、直径が人間の胴回りほどもある赤さびた巨大な鉄の杭だった。

 その尖った先端が海中でゆっくりと上を向き、まるで生きているように次々と海面を割って空中に飛び出していく。

 その信じられない光景に、船員達はあっけにとられたように目を丸くしている。


「おーし、行け行けっ!!」


 鉄杭からしたたり落ちる豪雨のような激しい水滴を全身に浴び、スケイリーは大声で笑いながら拳を振り上げた。

 この極太の鉄杭は、元々はタースベレデに侵攻してきた旧ドラク帝国が、自らの領土への逆侵攻を防ぐため国境のオラテ湖の岸辺にびっしり打ち込んだ巨大な逆茂木さかもぎだった。

 だが、雷の魔女はそれを強大な魔力任せにすべて引っこ抜き、逆に高空からドラクの陣地に落下させて軍を壊滅し、ドラクの侵攻を退けたという。

 後にフォルナリーナが国を取り返すことができたのは、この大敗によるドラク国力の低下も一つの要因とされている。

 特に使い道もなく長いことオラテ湖岸に野積みされていた鉄杭だが、実はその後一本だけ雷の魔女によってサンデッガ王都に落とされたことがある。サンデッガ王と密談中のアルトカル大魔道士の屋敷に突き立てられ、サンデッガのタースベレデ侵攻計画を一時的に食い止めた、いわゆる〝魔女の鉄杭〟だ。

 そのときの逸話エピソードを思い出したサイの依頼で、帆船ディレニアは河口から湖までオラテ川をさかのぼり、鉄杭を引き取って海岸沿いにゼーゲル湾まで運んだのだ。


「よーし、はしけを切り離してできるだけ沖に離れる! 揺れるぞ! 振り落とされるな!!」


 ディレニアが曳航していた急造のはしけは、鉄杭離水の衝撃で起きた激しい波にもまれて分解寸前だ。だが、海中に吊っていた何十本もの鉄杭は今や残らず空に舞い上がり、バラバラになりながらもその役目をかろうじてまっとうすることができた。


「あとは頼んだぜ、ボウズ」


 スケイリーはそうつぶやくと、勢いよく舵輪を沖に向けて切った。





 空に舞い上がった鉄杭は、そのまま垂直にどんどんと飛び続け、やがて地球が丸く見え、空が暗くなるほどの高みにまで達した。

 と、それまで鉄杭を空へ空へと押し上げていた力が不意に消失した。

 鉄杭の尖った杭先は空気抵抗で自然と下を向き、圧縮された大気の熱で真っ白に発光しながら、重力に引かれて落下し始める。





「司令官! 大変です。沖の帆船周辺から対艦ミサイルらしき物体が複数発射されましたっ!」

「は?」


 リギムソンは我が耳を疑った。


「対艦ミサイルだと? 骨董品の木造船がなぜそんな物を搭載しているのだっ!?」

「いえ、船ではなく水中から発射されたようです。数量、四十五! 直上より接近します!!」

「我が艦隊の艦艇数と同じ……迎撃だ! 迎え撃てっ!!」

「我が方にミサイルを迎撃できる装備はありません! そもそも想定にありません!!」


 中世レベルの技術水準しかない世界に派遣されたのだ。高度兵器による反撃を受けることなど、最初はなから考慮すらされていなかった。


「ならば機関銃アスロックで打ち落とせ!!」


 だが、リギムソンは大きな勘違いをしていた。

 上空から落下してくるのは誘導ミサイルなどではない。鉄杭という、みっちり中身の詰まった巨大な質量の塊に過ぎない。小さな銃弾をいくら撃ち込んだところで、破壊はおろか軌道をそらす効果すら期待はできない。

 その間にも鉄杭は重力に引かれてますます速度を上げる。やがて肉眼でも白熱した杭先が見えるようになってきた。


「なんだあれ?」


 艦橋の誰かが震えた声でつぶやいた。

 機関銃弾が白熱した鉄杭の先端に次々ヒットして激しい火花を散らすが、鉄杭の落下速度は変わらず、その軌道は小揺るぎすらしない。

 その時、スクリーン一杯に拡大投影された鉄杭の映像を見て、誰かがようやくその正体に気づいた。


「あれは、単なる鉄の棒だっ!!」


 だが、遅すぎた。

 鉄杭はまるで焼き菓子ケーキにフォークを突き刺すように、ほとんど何の抵抗も受けずに戦艦の艦橋から船底までを一気に貫いた。

 船体に大穴をあけられた船艦は、まるで巨大な手で一気に引きずりこまれるように次々に海中に没し、また一部は弾薬庫に誘爆して激しい爆煙を上げながら沈没していった。

 救命艇やカッターを降ろすことができた艦はごくわずかだった。後先考えずに海に飛び込んだ兵士達は、沈む艦の巻き起こす巨大な渦に巻き込まれ、みずからの乗艦と共に海の藻屑と消えた。

 全てが終わったあと、四十隻以上の船艦でひしめいていたゼーゲル湾口に浮かぶのは、数隻のカッターボートと膨張式の救命艇。そして、物言わぬ数百の骸だけだった。





 街を揺るがしていた激しい砲声が不意に途絶えた。

 突然の静寂に違和感を感じて顔を起こし、ふと沖に目を向けた兵士達は、何十本もの白熱した巨大な鉄杭が音もなく飛来し、はるかな高みから神の鉄槌のように海面に浮かぶ敵艦に叩きつけられるのを見た。

 それはまるで現実感のない、神話の中で語られる神々の戦いの描写のようだった。

 激しい爆発が立て続けに起こり、敵艦を飲み込む海面の激しい渦巻と、もうもうたる爆煙がおさまるまでに一刻ほどかかっただろうか。

 不意に太陽を遮っていた雲が晴れ、切れ間から金色の陽光が差し込んで海面にいく本もの光のはしごが立った。

 光のはしごは、がれきと化したゼーゲルの街にも同様に差し込んだ。

 かろうじて生き残った者たちの目には、それはまるで、この戦いで命を落とした多くの魂を天上に迎える神の慈悲のように映った。

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