第219話 伝令来たる

 あたりに満ちる重苦しい静寂を突き破るように、海沿いの街道から汗まみれの馬が単騎、サイのもとに駆け込んできた。

 騎手の肩に掲げられた紋章はオラスピア王室のものだ。

 何ごとかと身構える騎士たちを尻目に、鞍上の小柄な人物はひらりと身軽に飛び降りると馬の首をねぎらうようにすらりと撫で、振り返るとサイに向かって右手を上げた。高めのポニーテールにまとめられた長い黒髪が印象的だ。


「って、陛下っ!?」


 目を風圧やホコリから守るゴーグルを脱ぎ捨て、額の汗をぬぐいながらつかつかと歩み寄ってきた伝令は、なんとフォルナリーナ・アーネアス女王その人だった。


「陛下、護衛も付けず一体何を!?」


 だが、女王は両手を広げ、まとっている伝令士の衣装を見せつける。


「え? この通り伝令よ。それよりもサイ君! 血まみれじゃない!? どこを切られたの? 大丈夫なの?」

「返り血です。僕じゃありません。それよりも、どうして陛下おんみずから!?」

「え〜? オラスピア王室はスリアン殿下と急ぎの相談がある。長距離を駆け抜ける馬の負担を考えれば騎手は軽い方がいい。では、手近で馬に乗れる一番小柄な人間は? 以上、消去法で私」


 女王は自分の顔を指さし、ニッコリと笑う。


「私が出向けばその場で判断もできるし」

「しかし非常識では……」

「……まあね、でもうちはこれが普通なのよ。それよりサイ君、スリアン殿下はどちらかしら? あなたに頼まれてた例の物、運んできたんで早速引き渡したいんだけど」


 フォルナリーナの登場でなごみかかっていたサイの周囲が、その一言で再びビシリと凍りつく。


「スリアンは……」


 言いにくそうに顔を歪めるサイを見てフォルナリーナの顔色が変わった。


「まさか、もしかしてその返り血は!?」

「……ええ」

「殿下のお加減は? 今どちらにいらっしゃるの?」


 サイは首を横に振った。


「命だけは取り留めました。ですが、彼女はこの世界にはいません。以前の姿で再びお目にかかることも恐らくかなわないでしょう」

「この世界? それに以前の姿って一体どういうこと!? それってつまり……」


 口を開きかけたフォルナリーナだったが、サイの顔色を見て、全てを悟ったようにその先の言葉を飲み込んだ。


「生きてはいる……いずれ、また会える。それだけは間違いないのよね?」

「……ええ、たぶん、きっと」


 サイの口調には、状況の説明というより、強い願望ねがいが込められていた。


「判ったわ。今はそれで我慢する。で、戦況は?」


 フォルナリーナはそれ以上の追求を切り上げ、表情を引き締めて為政者の顔になる。


「敵のミサイル攻撃はすべて迎撃しました。今は小康状態ですが、恐らくまた砲撃が始まると思います。あるいは航空機を出して来るかも」

「……また?」

「ええ、また」


 両手を広げてがれきと化した背後の街並みを示すサイの身振りに合わせ、フォルナリーナは街を見渡して悔しそうに顔を歪ませた。単なる同情を超え、彼女自身もこの街になんらかの強い思い入れがあるらしい。


「……あんなにきれいな街だったのに。で、君はどう対抗するつもり?」

「敵の戦艦はすべて沈めます」


 サイは断言した。


「あれはたぶん、この世界にあってはいけないものです」

「うん。まあ、同感。兵や乗組員はどうするの?」

「向こうの出方次第です。ただ、捕虜交換をかたって暗殺者を送り込む奴らに、ことさら慈悲が必要だとは思いません」


 拳を握りしめてそう吐き捨てるサイの姿に、女王は何が起きたのかをほぼ正確に悟ったらしい。


「……ふうむ。これはあなた方の戦争だし、我が国は全面協力を申し出た以上、決断に異を唱えるつもりはないわ」


 フォルナリーナもまた一国の王であり、暴虐の限りを尽くす独裁者ドラクからクーデターで父王の国を無理やり奪い返した経歴の持ち主だ。きれい事だけで国が成り立たないことは誰よりも判っている。彼女が扇動したクーデターで流された民の血に見合うだけの責任を背負う覚悟はとうに決めていた。


「そのことだが、少々口を挟んでもいいだろうか? 二人に話がある」


 ハリネズミのように怒りをまき散らすサイから距離をとっていた女神が、そこに突然割り込んできた。


「……この方は?」

「女神様です。僕をこの世界から連れだして、また連れ戻した——」

「ああ!」


 フォルナリーナはポンと手を打つと深々と頭を下げた。


「初めまして、私はフォルナリーナ・アーネアス・オラスピア、不肖ながらオラスピア王国のまつりごとを担っております」

「頭を下げるのは止めて欲しい。私はそれほど偉いわけでもない」

「でも、貴女はコンゴージ神の御使いであらせられるのでは?」

「コンゴージ神? 知らないが?」

「あれ? タースベレデの雷の魔女は、時空を統べる神コンゴージの導きでこの世界に顕現したと吟遊詩人の詩で聞いたことがありますが?」

「……さて? ただのうわさ話だろう。それに私は雷の魔女と直接の接触はないし。私は周辺諸世界から派遣された人間で、女神と名乗っているのも実はハッタリなんだ」


 きまり悪そうに薄い苦笑いを浮かべる女神に、フォルナリーナは片眉をピクリと動かしたのみで再び驚くほどの割り切りを見せた。


「ま、わかりました。で、どのようなご用件?」

「あの、異世界からの軍団について。奴らは異世界からの派遣軍で、滅びに瀕した自分の世界を捨て、ここに侵略的移住をもくろむための尖兵だ」

「……ええ?」

「一方、周辺諸世界は彼らの大規模軍事侵攻を重大な協定違反とみなし、彼らの属する世界線を消去する決定を下し、すでに実行した」

「つまり?」

「ああ、彼ら自身は後続があることを疑っていないが、彼らの世界線はもはや存在しない」

「……まったく躊躇ちゅうちょないんですね」

「あたり前だろ! サイにはもう話したが、この世界線の安定こそが文字通り周辺諸世界群の生命線だなんだ。それをわずかでも脅かす存在など許すことはできない!」


 女神は拳を握りしめて力説した。

 彼女の故郷もまた、この世界線のわずかな揺らぎの影響で消滅しているのだ。そこは彼女にとって決して譲ることのできない大原則なのだろう。

 そんなことをぼんやり考えていたサイに、女神は不意に強い視線を向けてきた。


「つまり、奴らはこの世界に留まる以外の選択肢はない。この先奴らの処遇をどうするにせよ、将来に禍根を残さぬよう、お二人には慎重な判断を期待する」


 女神はそう締めくくると、二人に向かって深々と頭を下げた。





「閣下! ゴールドクエスト閣下! 敵に動きが!」


 教会の塔の残骸から沖を警戒していた物見の一人が突然大声を上げた。

 見れば、沖からクモともアメンボとも形容しがたい奇妙な飛行物体がブンブンといううなり声を上げながらいくつも近づいてきている。それに遅れることわずか、沖の戦艦から再び砲弾が放たれた。


「待避ーっ!! 大砲だ!!」


 身を乗り出して叫ぶ物見の大声に、地上の兵士たちはクモの子を散らすように岸壁から離れ、かろうじて無事な建物の影に身を隠して頭を覆う。直後、砲弾は狙いすましたように教会の塔を崩壊させ、物見の兵士はそのまま崩れた石積みに飲み込まれた。


「女王陛下、例のヤツ、どちらにお持ち下さったのでしょうか?」

「ゼーゲル湾両岸の灯台を結ぶ線を東にまっすぐ延ばしておよそ一海里、帆船ディレニアと、ディレニアが曳いているはしけの直下です」


 淡々と位置情報を告げるフォルナリーナのそばで、サイは目を軽く閉じて脳裏に衛星からの映像を描く。


「閣下! 危ない!!」


 いきなり護衛の騎士がサイの小さな身体を押しつぶすようにのし掛かってくる。


「おい、重い!」


 サイは彼を押しのけようと彼の背中に腕を回し、ぬるりとした手触りに気づいて表情を歪めた。


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