第218話 憤怒

 まばゆい光と共にスリアンの姿はランダムな格子状に欠けていき、輪郭が不安定に明滅したかと思うと、次の瞬間、全身が一気に消滅した。


「……」


 誰もが無言だった。

 結界の外で驚愕の表情を浮かべる騎士たちを無感動に見回したサイは、血まみれの姿のままゆらりと立ち上がった。

 体中スリアンの返り血で真っ赤に染まり、顔も髪も、血しぶきを浴びて酷いありさまだった。たまたま目が合った騎士達は、まるで幽鬼に出会ったように身をすくませる。


「……向こうにも私のクローンがいる。事情はちゃんと伝えた。イレギュラーな事態だが、決してぞんざいな扱いはしないはずだ」


 女神がスリアンの処遇を請け合うが、サイは聞いてはいなかった。


「女神様、僕はもう、自分を抑えられそうにありません」

「あ、ああ……」


 サイの全身の毛穴から怒気が蒸気のように吹き出すのが見えるようで、女神は思わず後ずさる。

 結界は解かれ、居並ぶ騎士や兵士たちも、サイのこの小さななからだのどこから、と驚くほどの威圧感にほとんど身動きができなくなる。不気味な沈黙が続き、やがて誰かが小さく「あっ」と声を上げた。


「……まだ隠し持っていたのか、ムダなことを」


 サイは声を上げた兵士の視線を追って水平線に停泊する敵の軍艦を見る。甲板からまっすぐ立ち上がり、やがてこちらに向きを変えようとする火矢ミサイルの軌跡を睨みつけ、唸るような声をあげた。


「弩弓兵!」

「は、は、はいっ!!」


 弩弓兵が裏返った声を上げて大慌てでサイの前に飛び出してくる。

 サイはあくまでスリアン付の従軍魔道士であり、タースベレデ全軍の指揮権は持たない。だが、今のサイの異様な迫力に逆らえる者は誰もいなかった。


矢弾ボルトはまだ残ってる?」

「は! 後方の荷車に」

「数は?」

「恐らく数百。お恥ずかしながら、すでに千は切っております……」


 弩弓兵は残弾の不足をなじられるのではないかと身を硬くする。だが、予想に反してサイはニッコリとほほ笑んだ。

 まるで悪魔のような、ぞっとするほど鮮やかな笑顔だった。


「うん、十分」


 サイは小さく頷くと、両手をさっと掲げた。見えない糸で吊られたように、ボルトが荷車ごと空中に浮かび上がる。次の瞬間、まるで蜘蛛の子を散らすようにすべてのボルトが一気に射出され、反動で反対側に吹っ飛んだ荷車が建物の残骸に激突して粉々になった。


「ああ、昨夜のあれは……」


 騎士の一人が思い出したようにつぶやいた。

 彼は昨晩、水平線から打ち上げられた何十本もの火矢ミサイルに向かって湾内の水面から蛍の飛跡のような淡い光の筋が高速で飛び出し、火矢を残らず打ち落としたのをその目で目撃していたのだ。

 射出されたボルトは赤熱し、長く光跡を残しながら正確に火矢ミサイルの頭部を粉砕した。

 頭を潰された火矢ミサイルは途端にひょろひょろと姿勢を崩し、ほとんどがそのまま水中に没した。


「やはり、閣下でしたか」


 騎士の声には、言葉にできない本能的な恐れがにじんでいた。





「何故だ!!」


 派遣軍司令官リギムソンは、真っ白になった戦術スクリーンを見上げて怒鳴り声を上げた。


「敵の衛星支援システムは無効化したはずじゃなかったのか? 一発も目標にヒットしないのはどういうことだ?」

「わかりません。しかし、図書館都市マヤピスに潜入させた工作員からの報告では、システムはいまだダウンしたままだと……」

「ならばなぜだ? なぜあやつは魔法をあやつる? 何のインターフェースもなしに衛星とリンクしてるとでも!?」


 悄然と答える参謀に、リギムソンは怒りの感情をそのままぶつける。


「……事実を見る限り、そうとしか……」

「だったらどうする!? 艦対地ミサイルの残基数はもはやゼロだ。お前がっ——」

「司令官、至急のご報告がございます!!」


 真っ赤な顔で参謀の襟首を締め上げていたところに、レーダー手の声が割り込んで来る。


「何だ!?」


 首元からリギムソンの手が離れ、参謀はほっと一息つく。だが、続く報告は、参謀の胃袋にさらなるダメージを与えた。


「先日、戦闘開始前に湾を離脱した現地人の大型帆船が、東方から再接近中です」

「それがどうした? 武装も持たない旧式帆船ごときに今さら何ができる? くだらぬ報告をするな!!」

「いえ、武装は見当たりませんが、前回と比べて喫水が異常に低いんです。何か相当な重量物を積み込んでいるとしか思えません」

「……重量物?」

「はい、その後方にも数隻のはしけが続いていますが、どれも甲板ギリギリまで喫水が下がっています」

「なんだ? 映像はないのか?」

「ドローン画像、出します!」


 レーダー手の声と共に、正面の戦術スクリーンがカメラ映像に切り替わった。かなりの望遠らしく、像は陽炎のようにゆらゆらと揺らめいて安定しない。


「なんだ? あれは?」


 リギムソンは首をひねる。

 確かに、先頭を行く白い大型帆船に砲のたぐいは見受けられない。だが、船首から船尾までびっしりと、舷側から何十本ものロープが海中に向かって伸びている。


「なんだ?」


 カメラはゆっくりとパンし、後方に続く何隻もの粗末なはしけを捉える。レーダー手の言ったとおり、急ごしらえのいかだと言ったほうが正しい雑な作りだが、どのはしけも今にも甲板に波をかぶりそうなほど喫水が下がっている。

 甲板上に貨物を積み上げている様子はない。ただ、舷側から海中に延びる大量のロープが不気味と言えば不気味だった。


「先頭の船がはしけを曳いている? いえ、海中で何かを宙吊りにしている?」


 今次作戦で失点が続く参謀のつぶやきはリギムソンに黙殺された。だが、彼はそこで参謀の言葉をきちんとただすべきだった。

 参謀の推測は、今度ばかりは正鵠を突いていたからだ。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る