第217話 暗殺未遂

 結局、サイについては何ら新しい消息を得られないままに夜明けを迎えた。

 朝もやの中、スリアンの見つめる先には、体のあちこちに血の滲む包帯を巻かれた土色の軍服の一団があった。顔がわからないほどぐるぐる巻きにされ、力なく荷車に横たわっている者もいる。返還予定の捕虜、合計九十名だ。

 一方、敵方には顔に麻袋を被せられ、後ろ手に縛られた十人ほどの人影が見えた。遠目には確かにタースベレデの軍服をまとっているように見えるが、スリアンの視線は最後尾に立つ背の低い捕虜に釘付けになる。


(背丈はサイと同じくらい。でも……)


 一人だけダボッとした飾りのない服を着せられていて、体の線から性別を推測することもできない。


「第二王女、このたびの貴殿の寛大なご決断、心より感謝申し上げます」


 敵軍の士官ローグはまったく心のこもっていない慇懃無礼な態度で話しかけてきて、スリアンの感情にさざなみをたてる。


「……人道的な見地で判断しただけだ。謝辞など不要。それよりもくれぐれも約定を違えることのないよう心して頂きたい」

「ええ、それはもう。では、受け入れの準備がありますので私はこれにて失礼いたします」


 スリアンのそっけない返事にニヤニヤ笑いながらぞんざいな敬礼をすると、ローグはさらに一言付け加えた。


「とはいえ、貴殿と戦場で相まみえることは二度とないでしょうが……では」


 それだけ言い残すと、彼は返還された捕虜を導くように、先に立って桟橋へ歩み去った。


(なんだ?)


 言わずもがなのことをわざわざ付け加えた理由がわからず、スリアンはかすかに眉を曇らせる。

 最初の十五人が開放され、代わりに敵方も捕虜を一人返して寄こした。人数的にまったくバランスが取れておらず、じっと見つめる兵士たちはどこか不満そうだ。

 捕虜は戦力には何ら寄与せず、抱えているだけでムダに物資を浪費する。これだけの人数になると食事の量も決して馬鹿にならない。貴重な薬や包帯もガンガン減っていく。スリアンは、たとえ少しばかりプライドの傷つく不利な取引であっても、捕虜を手放し、自軍のためそれらを温存するメリットの方を選んだ。


「さて、彼で最後ですな」

 

 護衛騎士がホッとしたような口調でつぶやいた。

 捕虜交換は淡々と進む。敵兵の最後の一団が寝たきり捕虜を乗せた荷車と共に歩み去り、腰縄を引かれた小柄なタースベレデ捕虜が入れ違いに近づいてくる。

 捕虜が眼の前に立ち、先導してきた敵兵がせいせいした表情で走り去っても、スリアンはまだ確信が持てなかった。


「サイ?」


 だが、麻袋を被せられたままの捕虜は、呼びかけても返事をしなかった。


「どうしたの? さるぐつわでも噛まされてる?」


 スリアンは自ら捕虜に近づくと、顔を覆う麻袋の紐を緩めようと手を伸ばす。だが、その手は乱暴に払いのけられた。


「殿下!」


 捕虜のただならぬ様子に違和感を感じた護衛騎士が制止するより早く、後ろ手に縛られていたはずの捕虜はみずから麻袋をむしり取る。袋の下から現れたのは、サイとはまるで別人だった。


「おまっ!!」


 スリアンの驚いた表情を見て捕虜は血走った目でニタリと笑う。右手には、いつの間にか斜めに削った笹竹のような、細い異形の刃物が握られていた。


「殿下、お下がり下さい!!」


 護衛騎士は二人の間に割って入ろうとしたが、捕虜はヘビのように素早くスリアンの後ろに回り込んでそれをかわすと、背後から軽鎧の隙間にずぶりとナイフを突き立てた。

 大きく目を見開いたまま、言葉を発することもできず崩れ落ちるスリアン。


「はっ! やってやった! これで私は——」


 次の瞬間、暗殺者は護衛騎士たちの突き出した剣でずたずたに貫かれた。


 



「スリアン!!」

 

 サイは悲鳴をあげた。

 打ち上げられた漁村で痩せ馬を借り、限界まで急いでゼーゲルに戻ってきたサイの目の前で、スリアンは鮮血を吹き出しながら倒れた。


「早くナイフを抜いて!! このままじゃ失血死する!!」


 暗殺者がスリアンに突き立てたのは、ストローのように中が空洞になっている特殊なナイフだった。肝動脈をめがけて打ち込まれたそれは、体内の血液を速やかに排出し、対象者を短時間で失血死させることを狙った暗殺特化のナイフだ。


「誰か! 何でもいい、傷を押さえるものを!」


 サイは馬の背からから転げ落ちるように降り立ち、そのまま血溜まりの中に膝をつくと、手渡されたシーツらしき布を犬歯でぴーっと切り裂いて丸め、傷口に強く押し当てる。

 だが、出血は少しもおさまらず、サイの手もすぐに血まみれになった。


「どうしよう? このままじゃ」

「……ああ、サイ」


 スリアンがうっすらと目をあける。


「無事で良かった。心配したんだよボクは……」

「しゃべらないで!! 少しでも体力を温存するんだ!」

「でも、ボクはもう……」

「そんなこと言うな! ああ、一体どうすれば――」


 その時、サイの頭に天啓のように閃くものがあった。


「女神様! 女神様! どこですか!?」


 サイと共に浜に打上げられ、サイの直後に漁村から戻って来ているはずの女神を大声で呼ぶ。


「ここにいる。何……」


 人垣を割って姿を現した女神は、眼の前の状況に言葉を失った。


「女神様、スリアンを助けて! 僕と同じように――」

「しかし、血が流れ過ぎて……」

「お願いです。僕にしたように、彼女の体も巻き戻して――」


 女神の躊躇は一瞬だった。周りの兵士や騎士を遠ざけ、その場に結界のようなシールドを構成すると、サイの耳元でささやくように言う。


「覚悟して欲しい。以前君に施した身体年齢の巻き戻しは、世界間転移システムの穴を突いた、いわば裏技チートなんだ」

「はい?」

「身体構成情報のデータ化プロセスと、転送先での再構成に意図的にエラーを仕込んで身体年齢を巻き戻す。ケガや欠損は確かに修復されるが、仕組み上対象の世界間転移はどうしても避けることができない」

「……つまり?」

「ああ、第二王女はこの世界から姿を消すことになる」

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