第216話 使者

 たいまつの灯りの中、敵側の使者が白い旗を掲げて一人で近づいてきた。

 護衛の騎士は危険だと強く進言したが、スリアンはその言葉を退けた。それではせめてと拝み倒され、軽鎧で全身を固めると、前線の先頭に立って彼を待ち受ける。


「お初にお目にかかります。タースベレデ女王国、第二王女殿下とお見受けしますが?」


 使者は、土色のポケットの多い軍服を着て、分厚い板を継ぎ合わせたような不格好な軽鎧と、厚みのあるヘルメットを身につけていた。階級章らしき縫い付けは捕虜にした兵よりかなり多く、それなりの地位がうかがえたが、全体として色味にとぼしい。そんな中で、使者の胸に付けられた親指の爪ほどの小さな徽章がスリアンの目を引いた。


(薬に溺れた魔道士達のマントと同じ紋章だ)


 スリアンは奥歯をギリリと噛みしめ、脳内の警戒レベルをさらに一段上げる。

 ゼーゲルを好き放題に荒らしていたサンデッガ魔道士団の生き残りたちと、〝派遣軍〟を名乗る軍団のつながりはもはや決定的だ。ヘクトゥースの出どころも同じだろう。だが、ここで激昂するわけにはいかない。

 スリアンは深呼吸すると、使者をキッと睨みつけた。


「いかにも。貴殿は?」

「私は休戦の使者として派遣軍司令官リギムソン大佐より親書を預かってまいりました、ローグと申します」


 使者はそう口上を述べ、仰々しい仕草でさっと一礼した。


「派遣軍? 休戦?」

「ええ、捕虜交換のための一時休戦を申し入れます。貴軍は当方の兵士を多数捕虜とされていらっしゃるかと存じますが」

「さて、どうだったかな?」


 前線の維持をあきらめ、あえて市街に誘い込んでのゲリラ戦の末、タースベレデ軍は三桁近い捕虜を抱えることになった。負傷者も多い。ほとんど言葉が通じないこともあって、このままでは面倒なことになると感じていた。


「だが……」


 スリアンは首をひねる。


「交換もなにも、貴軍に我が方の捕虜はいないだろう? 貴軍は捕虜にする間もなくかたっぱしから我が方の兵を肉片ミンチに変えているじゃないか」

「ええ、せいぜい数名、といった所ですが……」

「話にならない! そっちは一方的に殺戮しておいて、自分たちの兵は返せという」


 ローグと名乗った使者は、スリアンの強い口調にもまったく顔色を変えず、意味ありげに片眉をピクリと上げてみせた。

 スリアンは呆れた表情で腕を組んだ。突然一方的に攻めてきて、旗色が少し悪くなると手のひらを返すように交渉を持ちかけてくる。面の皮が厚いにもほどがある。だが、何かが気にかかる。


「では、もう一つ条件をつけましょう。我らが欲するのはこの港湾都市ゼーゲルただ一つ。捕虜の返還に応じていただければ、それ以上の侵攻は行わない。これでどうです?」


 そんなはずはない。

 これだけの大部隊で攻め込んでおきながら、港町の占領程度で満足するだろうか。ここを足がかりに、サンデッガの王都まで一気に攻め込んで国を陥落おとす腹づもりだろう。いや、その勢いがサンデッガ一国で済むとも思えない。


「……貴殿らはご存知ないのか? 我々は先ごろの戦で当地を割譲され、今、まさに統治を始めようとするところだ。背後に我が国の領土はなく、貴殿らの要求は地理的にも受け入れがたい」

「え? でもタースベレデ本国がありますよね?」

「我々にそこまで引けと!?」

「ええ。わが戦闘艦の威力はすでにご存知でしょう。無駄な抵抗で被害をこれ以上拡大するのは無意味かと。それにどうせここは他国からむしり取った飛び地でしょう? 統治も面倒でしょうし、今引くなら貴殿らにそれほど損もありますまい?」


 スリアンは相手の主張がまったく理解できなかった。いや、言葉としては理解できるが、なぜこんな厚かましいことを堂々と主張できるのかがまるで判らない。

 その非常識さがスリアンを迷わせた。確保しているという捕虜の中に、彼らの強気を支える重要人物が混じっている可能性はないだろうか。


(まさか!)


 視線に気づいて傍らに進み出てきた護衛騎士に、スリアンはささやき声で尋ねる。


「サイの消息はまだ?」


 騎士は無言で首を振り、スリアンはきゅうと顔をしかめる。


「……結論はすぐには出せない。せめて明朝まで待たれよ」

「では、明日の日の出までお待ちしましょう。それが最終期限です」


 スリアンは使者の勝ち誇ったような表情に唸り声をあげた。


「仮に捕虜交換がなったとしても、引き渡せるのは身柄だけだ。武器や装備の返却は一切しない」

「まあ、それはしようがありません。あ、できれば命を落とした兵の遺体も返却頂けますか」

「それは難しい。すでに埋葬を始めている。遺体を放置して流行病を引き起こすわけにはいかない」


 ローグと名乗った使者はあごに手を当てて少しだけ考える素振りを見せ、やがて顔を上げてスリアンの目をじっと睨めつけた。


「判りました。殿下の賢明なるご判断をお待ち申し上げます。では明朝」


 それだけ言い残すと、使者はきびすを返して闇の中に消えて行った。


「……また、ずいぶんと厚かましい男でしたな」


 護衛騎士が呆れたようにつぶやいた。


「あそこまで一方的な要求を突きつけて堂々としているとは、呆れを通り越して感心――」

「うん。全然わからなかった」

「は?」

「……いや、あの男の主張が理解できなかった。あいつの言葉、大陸共通語だったよね?」


 スリアンはその場にへたり込んで大きなため息をついた。


「交渉と言いつつ全然そうじゃないし、条件と言いながら明らかに恫喝してきた。ボクは自分が未開の蛮族になった気がしたよ。異世界人というのはみんなああなのか?」

「い、異世界人ですか!!?」

「そうだろ? ベースとなる技術のレベルがぜんぜん違う。この戦い、一体どうやって決着をつけたらいいんだろう。本当に頭が痛い。吐きそうだ」


 そうぼやくと、気持ちを切り替えるように大きく頭を振って立ち上がった。


「ところで、サイの捜索はどうなっている?」

「は、漂着の可能性を信じて湾の出口近くまで部下を走らせておりますが、今のところ発見のしらせはありません。もしや——」

「ない! それは絶対にない! サイは生きている!」



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