第212話 上陸

「信じられません!」

「残念ながら事実だよ」


 女神はつまらなそうに口をとがらせてボソリとこぼした。


「だったら、あなたは一体どうやって生きのびたんです?」

「偶然この世界に研究者として滞在していて、だな」

「あなた自身には何も影響はなかったんですか?」

「ああ。世界が滅んでも、残念なことに私自身は消えなかったよ」


 彼女はうつむいて足元の小石を蹴る。


「故郷を失って難民になり、維持機構に身を寄せるしかなかったし。まあ、その後いろいろあって、結局私は周辺諸世界を繋ぐ連絡調整員になったんだよ」

「でも、理彩の世界……向こうにもあなたにそっくりな――」

「ああ、彼女は私のクローンだ。いや、向こうの私の方が本物かもしれない」


 女神は皮肉っぽく唇を歪め、小さくため息をつく。


「君の身近にもいるじゃないか。同一人物のクローンには、一種の精神感応力が備わるんだ。双子同士で虫の知らせを聞いたって話はよく聞くだろ?」

「シリスとセラヤ、ですか? 彼女たちが!?」

「そう。雷の魔女や君の世話をしていた双子のメイドだな」

「でも、どうして……都市伝説じゃないんですか?」

「いや、量子のもつれ……だったか、科学的にも一応説明がつくらしい。おまけに君たちが〝魔法結晶〟と呼ぶデバイスの力を借りれば世界線を越えても情報の共有ができる。だから連絡調整員は複数のクローンを造ることが職務上の義務なんだ。記憶まで全て同じだから、誰がオリジナルか自分たちでもよく判らないけどな」


 女神は自分の説明にうんうんと小さく頭を振る。


「そんなわけで私は……」


 そこまで言いかけた女神はふと顔を上げ、船尾方向に目を向ける。


「何か感じないか? まるで見えない圧が……あ!」


 死角から音速を超えて飛来する砲弾は、狙われている当人からするとまったく無音で着弾の瞬間まで認識できない。二人が気づいた時はすでに遅く、船は直撃を受けて一瞬で海の藻屑と消えた。




 まだ朝もやの残る小高い丘の上。

 突如響き渡った轟音は木々のこずえを激しく揺らし、飛び散った夜露はまるで突然のにわか雨のように降り注いでバタバタと天幕をたたいた。

 不安の中で互いに身を寄せ合い、浅いまどろみの中にいたゼーゲルの避難民たちは、まるで襟首をつかんで強引に寝袋から引きずり出されたように現実に引き戻された。


「何があった!?」


 慌てて天幕から飛び出してきたスリアンは、昨夜突貫工事で建てた物見やぐらに向かって叫ぶ。


「わかりません! 沖でなにか……」


 沖に向かって遠眼鏡を目にあてていた物見の兵士が叫び返す。


「水柱とともに大きな炎が上がりました。白い湯気のような煙が上がって炎はすぐに消えてしまいましたが」

「何だって!?」


 その言葉に、スリアンは背中にすっと冷や汗が流れるのを感じた。今しがたの轟音は明らかに砲声だろう。

 炎が上がってすぐに消えた……つまり目標が砲弾を受けて撃沈し、炎が燃え広がる間もなく一瞬で海中に没したことを意味する。


「サイから連絡は?」

「ありません」


 スリアンはゴクリと唾を飲むと、側近の騎士に命じた。

 

「兵を起こして民の被害を報告させて! あと、港にも偵察を。何か漂着……ううん、泳ぎ着く人間がいるかも知れない」


 次の瞬間、まるでスリアンの言葉が引き金を引いたかのように、立て続けに砲声がとどろいた。そのたびにゼーゲルの街はもうもうとした土煙に包まれ、建物がガラガラと音を立てて崩れ落ちる。

 舞い上がった細かな岩の破片が朝の光を浴び、凄惨な現実とかけ離れた幻想的な輝きを見せた。

 スリアンは虚しさと悲しみで胸の奥がぎゅっと締め付けられ、その痛みにこらえきれず大きなため息をついた。

 ゼーゲルの建物は他の地域とは大きく異なる独特のデザインだ。真っ白に統一された石壁と、色とりどりの屋根瓦がいかにも港町らしい爽やかさと他民族の行き交う賑やかな風情を象徴しているようだ。

 しかし今、彼女の目の前で、街は色を失い、一面茶色くくすんだ土くれとがれきの山に変わりつつあった。


「……おお!」


 避難民の間からも、うめきとも嗚咽とも知れない声がいくつも漏れる。

 昨日は無理やり避難させられて不満タラタラだった彼らも、この光景には言葉も出ない様子だ。

 スリアンは、異国情緒の漂うこの街の雰囲気が自分でも意外なほど気にいっていた。サイに統治を委ねようと考えた理由の一つは、それならいつでも気兼ねなくこの地を訪れる理由ができるからだった。


「許さない……」


 思い描いていた未来予想図を踏みにじられ、スリアンの心に激しい怒りの炎が立ち上った。


「砲撃が止んだらすぐに敵がやって来るよ! 弓兵を中心に迎撃部隊を編成して港に防衛線を築く。なんとしても敵の上陸を阻止するんだ!」


 伝令が走り去ると、スリアンはがれきと化し、妙に見晴らしが良くなったたゼーゲルの街と、その向こうに見える水平線をキッと睨みつけた。


「殿下、水平線上に小型の船が多数! 接近しています! 敵の上陸部隊と思われます!!」

「弓兵を前線に、急げ!!」


 やがて、敵の上陸用舟艇は肉眼でもはっきり見えるようになった。

 一艘のボートに一個小隊、およそ二、三十人の兵士が乗り組んでいるように見える。総数は十、あるいはもう少し多い。合計三百人近い歩兵が街に迫りつつあった。


「撃ち方、はじめ!!」


 スリアンの号令を受けて物見やぐらの兵が赤い旗を振る。すぐさま弓兵が向かってくる小型船に向けて猛然と矢を射はじめた。

 弩弓の矢が船の動力部を打ち抜いたのか、何艘かの船からは炎が上がり、そのうちの一艘は激しい轟音と共に爆沈する。だが、残りの舟艇はそのまま桟橋に横付けされ、背嚢を背負った兵士達が次々と上陸しはじめた。


「弓兵! 密度を上げろ!!」


 スリアンの号令を受けておびただしい量の矢が雨のように敵兵に降り注ぎ、相手はバタバタと倒れていく。

 だが、突如タタタッと軽い打撃音が響き、弓兵部隊の中央部が突然沈黙した。


「どうした!?」


 この距離からでは前線で何が起こったのか判らない。

 その間にもタタタタッという連続音があちこちから響き、そのたびに敵に降り注ぐ矢の密度がガタッと減っていく。


「敵兵が黒っぽい棒のような物を構えています。どうやら火矢……いえ、小型の砲でしょうか!!」


 チカチカと光る火薬の炎を目にして物見の兵士が叫ぶ。


「重装歩兵を前に!! 盾を構えて防げっ!!」


 スリアンは、以前サイに聞いたことのある〝銃〟という武器だと直感した。

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