第210話 サイ、世界の成り立ちを知る

 サイと女神を乗せた船がゼーゲル湾を抜けて間もなく、まるでカーテンのように水平線に漂うもやの向こうに、幽霊船のような不気味な船影がいくつも現れた。


「やっぱり」


 黒々とした武骨なシルエット。この世界の一般的な船とは異なり、帆柱マストは一本もなく、船体の中央部には積み木のように積み上げられた艦橋がおぼろげに見える。

 帆船ディレニアの優美な姿とは似ても似つかない無粋な形状は、理彩の世界で見慣れた軍艦のそれととてもよく似ていた。


「女神様は予見されていたんですよね?」

「ああ、紛争への直接介入は重大な協約違反なんだが……」

「協約?」

「そう。君だってある程度予想していたのではないかな?」

「予想……というと?」

「この世界は一種の特異点なんだ。この世界はいくつもの並行世界線と薄い壁を隔てて……といっても単なるたとえだが、まあ、隣り合うように接していて、ある方法でこの壁を抜けることができる」

「……つまり、異世界に転移することができると?」


 サイの確認がお気に召さなかったのか、女神は言い訳のように付け添えた。


「うさん臭いと思うだろうが、それが事実だからしょうがない」


 サイは頷いた。自身もかつて、この世界とは別の世界でしばらく暮らした経験がある。今さら疑う理由はなかった。


「それで?」

「ああ、遙かなる太古、この世界を発見したいくつかの世界線が領有権をめぐって激しく争った。大軍を派遣し、破壊兵器を躊躇なく使い、大陸を一面の砂漠に荒廃させ、どちらも再起不能の大ダメージを受けて撤退した。その反省から、この世界はいくつかの世界線が共同管理する一種の保護区になったんだ。私はそのための維持機構の職員だ」

「え、女神様じゃないんですか?」


 途端に女神は顔を赤くして鼻の頭を掻いた。


「あー、この世界の人間に対しては、神として接するように決められている。イタいとか言うなよ。私は決まりに従っただけだ」


 照れくさそうに言い訳をする女神の顔を見て、サイは失望のため息をつく。と同時に、疑問がいくつも湧いてきた。


「もしかしたら、理彩の世界も……その、機構の?」

「いや、あの世界からの人員派遣はこの世界の時間では数千年前で一度途絶えているな」

「はい?」

「さっきも言ったが、この世界は一種の特異点なんだ。至るところで絡み合う何本もの糸のように、別の世界線と一定期間だけ接し、そして離れる。だから、安定して転移が可能な世界もあれば、極端な場合、数日で行き来が不可能になる世界線もある。というわけで、まあ……」

「じゃあ理彩の世界は……」

「焦るなよ。説明が難しいんだ」


 女神は手のひらを突き出してサイの質問を遮ると、自らも考えをまとめるようにじっと天井の一点を見つめた。


「あそこ……仮にβ世界線と呼ぼうか。前後数万年にわたって接続が確保されている近傍世界の一つだ。その上、この世界とβ世界線はわかっているだけでも十か所以上ループ状に絡み合っていて、いくつかの〝時点〟で互いの世界線の過去や未来に転移することすらできる」

「え?」

「現に、君は過去のβ世界に転移したじゃないか? 忘れたのか?」

「え? 過去? ちょっとこんがらがってきました」


 サイは船足を微速に落とし、本格的に頭を抱える。


「つまり、僕の渡ったβ世界は、この世界の過去に……」

「ああ、君が行き来したβ世界の五十年ほど未来が、この世界の千年ほど過去と連絡している」

「……ということは、もし仮に、僕が今β世界に戻って五十年暮らしたら、戻って来るときにはこの世界の千年前に?」

「そういうこと」

「なんでそんな……」

「理屈は私も知らない。そういうのは次元物理学者の領分だ」


 女神はそう言って皮肉っぽく口角を持ち上げてみせる。

 と、その時、突然窓の外が明るくなった。

 はっと顔を起こすと、水平線上に浮かぶ艦船から、幾本もの光の筋が空に向かって伸びていく。


「バカな!!現地人への物理的攻撃は禁忌だぞ!!」


 女神が慌てて自らの手首に付けたブレスレットに指を走らせるのを横目に見ながら、サイは上空に伸びる光の筋をじっと見据えて胸の魔法結晶に手を添える。


「艦対地ミサイル、ですよね?」

「あ、ああ。恐らく。だが……」


 神も混乱するんだと一瞬驚き、ああ、人間だった、ならば仕方ないと思い直す。

 だとすれば、この場をおさめるのは自分しかいない。

 サイは無言で立ち上がり、操舵室のハッチを抜けて甲板に立つ。

 波間に揺れる半潜水船の甲板には手すりの類がなく、つるりとしていて滑り落ちそうだ。それ以上立っているのを諦めその場にペタリと座り込み、ポケットから一掴みの鉄魚を取り出して空中に放り投げた。


「行け!!」


 単なる鋳鉄の塊に過ぎない鉄魚はキーンという風切り音を伴い、猛スピードで飛翔を開始する。

 空気抵抗に抗い、自身を赤熱させながら超高速で舞い上がった鉄魚の群れは上空で散開し、まさにゼーゲルの街に向けて一斉に向きを変えた艦対地ミサイルの頭部に一切速度を落とさずに突撃する。


ドーンッ!!

ドドーンッ!!


 腹に響く爆発音と共に、ミサイルが次々と爆散した。

 鉄魚は十個まとめて手のひらに載るほどの小さな鉄の塊だが、音速を遥かに越える超高速で飛翔する、その運動エネルギーは対空砲弾の威力をも凌ぐ。

 一つ残らず爆散したミサイルの光は、洋上に浮かぶ敵方の艦船をくっきりと浮かび上がらせた。


「多いな」


 十数隻の軍艦。鉄魚の手持ちはもうわずかだ。あれが再び同じ規模でミサイルを放てば、サイに抗う手段はもはや残されていない。


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