第202話 女王と王女

「どうぞお入り下さい……」


 ディレニアは実質的にオラスピア王室の専用と聞いているので、船内に女王の私室が準備されているのは特に不思議ではない。だが、部屋に招かれ、室内をひと目見たスリアンは妙な既視感を覚えた。


「驚いたでしょう? あまりにも殺風景で他国の王族をお迎えするのは恥ずかしいんですけど」


 苦笑いしながらソファを勧めるフォルナリーナ。

 実際、部屋はさっきまでいた船長室と比べてもさらに手狭で、質素だった。

 正面奥のシンプルな執務机には書類がうずたかく積みあがり、スリアンはタースベレデ王宮に放置したままの自分の執務室をつかの間思い起こしてげんなりする。窓際のスタンドに精巧な銀細工の鳥かごが下げられているのがこの部屋唯一の装飾と言えなくもないが、鳥かごの入り口は開けっ放しで、中には何もいない。


「あ、彼はちょうどお出かけ中で……」


 スリアンの視線に気づいたフォルナリーナはニコニコしながら不思議な説明をする。


「狭い上にむさ苦しくて申し訳ありませんが、どうぞ楽になさってください」


 再度促され、二人はソファに腰を下ろす。すぐに扉がノックされ、船長が手配したらしき船員が湯気の立つティーポットとティーセットを持ち込んできた。


「さあ、どうぞ」


 船員が退出すると、女王みずからお茶をカップに注ぐ。見慣れない淡い緑色の飲み物に興味を引かれて顔を上げると、向かいに座った女王とちょうど目が合った。


「これ、〝緑茶リョクチャ〟っていいます。さっき話していたチャノキから作れるんですよ。お口に合うといいのですが」

「え!」

「色々調べ回ったおかげでチャノキの産地と繋がりができましたので、ユウキが故郷ニホンの味を再現しようとけっこう頑張ったんです。確か一年くらいかかったかしら」


 無言で顔を見合わせるスリアンとセラヤ。その様子を警戒ととったフォルナリーナは、みずから率先してカップに口をつける。


「大丈夫です。ほら。毒やクスリのたぐいは入ってないです」

「いえ、申し訳ありません。決して疑っていたわけではなくて、なんというか、貴国の魔道士はホントに何でもやる人なんだな……と」

「ああ」


 スリアンの弁解を聞いてフォルナリーナは朗らかに笑う。


「違うの。これは彼自身が飲みたかったからで、馬車の改良だって、あまりの乗り心地の悪さに心底嫌気がさしたから勝手にやったって言ってたわ」

「でも、それで国民の暮らしが良くなるのなら」

「……まあ、そういう悪ぶった言い方をする人なのよ」


 そう言ってやわらかい表情を浮かべるフォルナリーナを、スリアンはなんだかまぶしく感じた。


「陛下は、ずいぶん彼に心を許していらっしゃるんですね」

「まあ、彼を無理やりこの世界に引きずり込んで命の危険すらあるクーデターに巻き込んだのは他ならぬ私だもの。私には彼から永遠に故郷を奪った許されない罪があるし、せめてもの償いに、いつどんな時にも彼の味方で、心のよりどころであろうと決めてるの。それに……」


 女王はそこで言葉を切ると、こころもち頬を赤くしてコホンと小さく咳払いした。


「そんなことより私は貴殿のことを聞きたいわ。スリアン殿下、あなた、あの少年のことをどのように考えているの?」

「え!!」


 いきなり自分に矛先を向けられてスリアンはびくりと身を固くする。さっと顔が紅潮するのを止められない。


「不思議な少年よね。突如彗星のように貴国タースベレデに現れ、有名な雷の魔女の後を継いだかと思えば、今次の戦争でも持てる魔力で貴国に相当な貢献をしているわね。貴国が彼に与えた魔導伯の地位は働きの対価としては妥当だけど、彼の年齢が〝本当に見た目通りなのだとすれば〟はた目にはかなり異例の抜擢だとも思えるわ」


 女王の表情は相変わらず柔らかだったが、スリアンを見つめるその瞳には、軽はずみなウソや言い訳を許さないだけの鋭さがあった。

 

「ああ、誤解しないでね。貴殿……いえ、貴女あなたを責めているわけでも尋問しているわけでもないわ。私は今、貴女と貴国が同盟に値するものかどうかの見極めを——」

「同盟ですか!?」


 思いがけない話に、スリアンは思わず聞き返さずにはいられなかった。


「ええ、お互いお国の事情はもろもろあるとしても、今、私たち両国は対処すべき共通の大問題が一つあるわよね」

「ヘクトゥース……ですか?」

「ええ、あの悪魔。これ以上野放しにはできないわ!」


 フォルナリーナ女王は不意にきっぱりとした口調でそう言い放った。


「貴国とサンデッガとの戦も、元を正せばサンデッガの王がうかつにヘクトゥースを身内に呼び込んだあげくの狂乱と言えなくもないわ。それに、かつてドラクが私たちの国を乗っ取った際にも、ヘクトゥースを悪用した正体不明の組織が暗躍した形跡があるの」


 そこまで言って、女王は声を張りすぎて渇いたのどを潤すように緑茶を一気に飲み干した。


「ここからは私の妄想だけど、そう遠くない将来、ヘクトゥースを尖兵にした邪悪で強大な存在が、海の向こうから押し寄せる。いえ、もしかしたら、それはもう始まっているのかも……」

「先ほどの奇妙な船がそうだと?」

「ええ。そして、それは多分、各国がバラバラに対応していて防げるような小さな嵐じゃない。このラジアータ大陸に住まう全ての国、すべての民の力を結集しなくては到底太刀打ちできない。そんな予感がするわ」


 女王は託宣を受けた巫女のようにそう告げ、スリアンとセラヤは腰のあたりから這い上がってくる悪寒にぞくりと身体を震わせ、背中に粟粒のような鳥肌を生じさせた。

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