第201話 異形の船
「全員揃ったね。じゃあ、開けるよ」
ユウキの声を合図に、室内にいたもう一人の若い男がフタの隙間に先を薄く尖らせた鉄棒を叩き込み、ぐいぐいと力任せにこじりはじめた。
そのたび軋むような音がしてかすがいはしだいに歪み、ついにはボキリと鈍い音がしてねじ切れた。
「続けても?」
若い男の短い問いにユウキは無言で頷き、彼は四隅のかすがいを順にねじ切っていく。やがてフタが外れ、中身があらわになった。
「ああ! やっぱり」
箱の中に入っていたムシロのような袋の口を短剣で切り裂き、ユウキが不快そうなため息をつく。中には、まるで氷砂糖のような不揃いの白っぽい結晶体がぎっしりつまっていた。
「これは?」
サイが問うと、ユウキは無言で中から一粒つまみだし、机の上に置かれた湯気の立つカップにポチャリと落とす。結晶は見る間にお湯に溶け、やがてあたりにはヘクトゥース特有の甘ったるい香りが漂いはじめた。
「この大陸では、茶葉に溶かした結晶をもみ込んで、天日にさらして乾かした物が〝薬草茶〟と称して売られている。君も魔道士なら名前くらいは知っているよね?」
「レンジ茶ですよね?」
サイは愕然としながら答えた。魔力を高める特別な薬草がどこかで栽培されていて、レンジ茶はその葉を加工した物だとばかり思っていたからだ。
「ああ。もう薄々気付いてるかも知れないけど、実を言うとレンジ茶の葉に薬効成分はほぼない。お茶っぱはクスリの正体をごまかすための単なる隠れミノで、麻薬としての実体はこっち。ヘクトゥースの純粋結晶なんだ」
「隠れミノ?」
「ああ、ヘクトゥースの流通ルートをごまかすための偽装だ。長いこと騙されてたよ。レンジ茶の産地をいくら探しても見つからない。それもそのはず、レンジ茶と呼ばれている茶葉の正体は山岳地帯ならどこでも栽培されているありふれた〝チャノキ〟だ」
「チャノキ?」
「ああ、この世界では紅茶としてごく普通に飲まれているね」
「……そう、だったんですね」
サイの脳裏にいくつもの思いが交錯する。
スリアンと共に深夜徘徊をして、タースベレデの麻薬窟摘発をしたのがヘクトースとの関わりのそもそもの始まりだった。
偽名で潜入した魔道士学校ではレンジ茶の負の一面を目の当たりにし、ドラク帝国の忌まわしい遺産、レンジ茶の運び手として使い潰されたかつての幼馴染みの最後の表情が今も鮮やかに脳裏に浮かぶ。
「……許せない」
一同が黙り込む中、ポロリとこぼれたのは、サイの本心だった。
「ヘクトゥース結晶がどこで、だれが、どうやって作られているのかは俺も知らない。今回の件でその手がかりがつかめればいいと思っているが」
「この紋章の宗教団体が——」
スリアンが木箱に染め抜かれた紋章を睨みながら忌々しそうにつぶやき、ユウキは同意するように、黙ったまま頷いた。
「ちなみに、今からこれを運んでいた船を検分するつもりなんだが?」
「僕も一緒に行っていいですか?」
「ああ。ちょっと人には見せたくないんで、本船の
ユウキは船長室の右に大きく開いた操舵窓を指さしながら言う。
船は進行方向左側、左舷を桟橋につけるのが普通だ。逆に右舷側につないでおけばディレニアの船体が壁になり、港を出入りする人間の目には触れにくくなる。
「そこまでして人目から隠す必要があるんですか?」
「……見れば判る」
言葉少なに語るユウキについて右舷側の階段に向かう。船倉の扉から直接問題の船に乗り移れるらしい。
「ドラクの時代には、ここに大砲を積んでいたんだ」
甲板から二層ほど階段を下っただだっぴろい船倉の壁に、跳ね上げ式の扉がいくつも開いており、なるほど大砲を据えるには都合のよさそうな構造になっている。
「ほら、あれだ」
指を指されて目をやると、大きく開いた船腹の外、眼下につや消し黒一色に塗装された細長い小型船の姿が見えた。
「!?」
「人目から隠す意味がわかっただろ?」
サイは思わず目をこする。葉巻のような異形の船体を見て、スリアンとセラヤも訳がわからないと言った表情で互いに顔を見合わせている。
「あれ、もしかして潜水——」
「ストップ。その単語は刺激が強い」
ユウキがサイの口を慌ててふさぐ。
目の前にあるのは、この世界には存在するはずのない異形の船。
申し訳程度に帆柱が立てられてはいるが、それはどう見ても潜水艦だった。
不審船の内部を調べることについてはさらにひと揉めあった。
一も二もなくサイは内部の調査に立候補し、スリアンとセラヤも同行を申し出た。だが、ユウキは二人の同行を許さなかった。
「恐らく、この船は魔道船だ。調査にはそれなりの危険が伴うし、魔道士以外は理解できない。今ここで、何かあっても対応できるのは我々二人だけだ。そもそも、魔法結晶を持たない者には乗り込むことすらできない」
「でも」
「現に、この箱を持ち出すために中に入ろうとしたが、俺以外の誰もハッチをくぐれなかった」
「いや、でも」
「殿下がサイ君の無事を気にする気持ちは俺にも理解できる。でも、悪いがこればかりは譲れない。不確定要素を増やしたくない」
「しかし! 魔道士ユウキ、ボクはサイの苦労を等しく背負うと誓いを立てた。何とかならないかい?」
「半分背負う? それは、彼の配偶者として、という意味なのか?」
ユウキは顔色も変えずにズバリと核心を突いてきた。
「あ、いや、現時点ではまだそういう、あの……」
途端に顔を赤く染めてうろたえるスリアンの様子に少しだけ表情を緩めたユウキは、フォルナリーナに小さく目配せをする。
「スリアン殿下、貴殿がサイ君の身を案ずるお気持ちは大変よく判りますが、ユウキは信頼できる男です。私からも、オラスピアを代表してご理解をお願いしたく存じます」
「あ? いえ、さすがに陛下にそこまでのお言葉を……」
次期女王が内定しているとはいえ、現時点ではフォルナリーナの方が立場が上だ。スリアンはしどろもどろに言葉を濁すと頭を下げた。
「では、船尾に私の私室がありますので殿下とセラヤさんはそちらに。スケイリー船長、ここはおまかせしても?」
「問題ありません」
「え!?」
ユウキを手伝って木箱を開封した若者はこの船の船長だったらしい。サイは、女王以下、オラスピアの重鎮がみな予想以上に若いことに内心驚きを隠せなかった。
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