第198話 邪教の紋章

「ごめん。話がよく飲み込めないな」


 珍しくスリアンが困惑気味に口を挟んだ。


「別の大陸ってどういうこと? 魔道士ユウキ、貴殿はつまり、このラジアータ大陸のような土地が他にもあると?」

「はい、そう申し上げています」


 ユウキは落ち着いた口調で、さも当然のように頷いた。

 彼の外見はスリアンよりわずかに年上、恐らく二十代に入ったばかりだろう。だが、その落ち着きぶりはまるで老練の賢者のそれだった。女王と二人きりの状態から革命を成し、国を取り戻した経験と自信がそうさせるのだろう。

 一方、スリアンは困惑もあって始終押されがちだった。この世界はただ一つの大陸で形作られ、沿岸の島々で構成された小国家群を別にすると、水平線の向こうの海は常に荒れ狂い、行けば二度と戻れないというのがこの世界の常識だったからだ。


「我々の船、王室傭船ディレニアは本日までゼーゲル湾の入り口に停泊していました。貴軍が上げた狼煙のろしを受けて監視は打ち切っていますが、昨日の深夜、夜陰に紛れて湾内に侵入しようとする見慣れない形の帆船を捕らえています」


 次いで明かされた思いがけない事実に、一同の間に緊張が走った。


「船はこれまで見たこともない様式で、船倉には厳重に梱包された木箱を満載していました。発見された途端に荷を投げ捨てて逃走しようとしましたが、まさにそのための備えで私が乗船してましたので……」


 サイは口調にほんの少しだけ得意げな色をにじませると、皮紙に黒々と描かれた紋章を人差し指の先でトントンと突いた。


「残念ながら、船員は全員毒を飲んで自死しました。そのため証言は取れませんでしたが、彼ら全員の首筋にこの紋章の入れ墨があり、積んでいた木箱にも同じ紋章が染め抜かれていました」

「僕もその船や荷物を見ることはできますか? できれば詳しく調べてみたいんですが」


 サイが訊ねると、ユウキは我が意を得たりといった風にニコリと笑う。


「ええ、まさにそれをご提案差し上げようと思いまして、ここまで急ぎ参った次第です」





「旦那様、もう少し自分のお身体のことも考えてください。一体どうするおつもりですか?」


 セラヤは静かに怒っていた。

 ユウキが明日の再訪を約束して部屋を立ち去った直後、彼女は怒気をはらんだ氷点下の笑顔をサイに向けた。


「今は安静が第一だって申し上げましたよね? どうしてそうむやみに動き回ろうとするんですか? これ以上うかつなことをしゃべれないよう、口に塩を詰めて唇を縫い付けて差し上げましょうね」


 物騒な提案をしながら、腰のポーチから取り出した針と糸を両手に構えてさらににじり寄る。

 彼女は魔女の塔のメイドで、ボディーガードも兼ねている。もちろん主人であるサイの安全を何よりも重視している。それは彼女がサイに仕えるようになって以来ずっと変わらない。

 だが、サイはたびたびセラヤの願いを無視して無鉄砲に動き回り、その都度大ケガをしてはセラヤをハラハラさせる。その上、サイの立場はもはや単なるタースベレデ王直騎士団の随伴魔道士にはおさまらず、行動範囲は他国にまで及んでいる。セラヤの目や手がますます届きにくくなっているのだ。


「ごめんよ。でも、気になるんだ」


 見ようによってはまだあどけなさの残る少年の表情で上目遣いに見上げるサイに、セラヤは腰に手を当てて大きなため息をついた。

 サイが正式にゼーゲルの領主におさまれば魔女の塔はどうなるのか。一応、塔はサイが魔導伯になったときに女王から下賜され、現在はサイ個人の所有物だ。だが、サイがゼーゲルに本拠を置くならいずれセラヤも覚悟を決めざるを得ない。あくまで塔に残るのか、それともサイのメイドとして、塔を離れて彼の元で勤めるのか。

 だが、本音を言えば、セラヤはまだ幼さの残るサイに魔女の塔を離れて欲しくなかったのだ。


「それに、今回のお話はどうもイヤな予感がします」


 セラヤは机の上に残された皮紙に目をやりながら、心中の胸騒ぎをそのまま吐きだした。


「この紋章を持つ者たちは、仲間の魔道士をかんたんに使い捨てにし、逃げられないと悟った途端に躊躇なく自死を選んだと聞きました。なんだか、人の命をとても軽くとらえている節があります」


 セラヤの指摘にスリアンも頷いた。


「それはボクも感じたね。宗教団体のシンボルマークだって言ってたけど、それが本当なら、魔道士達も、正体不明の船員も恐らく信者ということになる」

「そうですね」

「一体どんな神を信じて、どんな教えを説いているのか、教義が気になる。内容次第では禁教令の必要が出てくるかも知れない。まったく頭が痛いね」

 

 スリアンはふうとため息をつくと、眉間にしわを寄せて首を横に振った。


「宗教は本当に面倒くさいんだ。我々為政者側とうまく折り合いが付けばいいけど、そうでなければ最悪国が割れる」


 サイも無言で頷いた。日本で読んだ歴史の本にも、同じような例がいくつもあったのを思い起こす。


「とりあえず、東門で捕らえた魔道士たちはまとめて営倉に閉じ込めてあるんだ。早速尋問の手配をしよう」

「じゃあ、僕も——」

「旦那様!」


 スリアンと一緒に立ち上がりかけたサイは、背後からきつい声で呼び止められた。


「あー、いや、サイはここにいて。今日は一日部屋から出ないように」


 苦笑いしながらスリアンが逃げ出すと、部屋には怖い顔をしたセラヤとサイだけが残された。

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