第194話 未練のかけら
「ところで理彩、僕の身体は今どうなってるんだ?」
「あ、やっぱり気になる?」
「そりゃ気になるよ。さっき理彩は修復中だって言ってたけど、マイクロマシンの制御はアーカイブの担当だろ? どうなるんだ?」
「あー、その辺にも誤解があるんだ。とりあえず身体は大丈夫だよ。サイ君のパートナーが止血してくれたおかげで修復がうまく進むようになったし」
「パートナー?」
「ほら、男装の王女様」
「……スリアンか」
「でね……」
理彩は人差し指で額を押さえると、この先どう説明しようかと考えあぐねているように見えた。
「うーんと、〝アーカイブ〟っていうのはね、衛星シンシアに搭載された〝
「ああ、だから〝アーカイブ〟って名前なのか!」
サイはああと膝を打った。巨大図書館を統べる人工知能としてぴったりの名前だと思っていたが、もともとの意味は違ったらしい。
「そう。MAGICは本来、未開地や災害現場の探索を行う作業員の衛星ナビゲーションと、最低限の防御手段を提供するために開発したの。その上で、作業員の集めたデータを整理統合するおまけ機能が〝アーカイブ〟。この星の地形や施設情報なんかを収集して地理データにタグをつける……えーっと、あなたの知る範囲でたとえるなら、クークルマップみたいな役割だったはずなのよ」
「へえ?」
「だから、搭載されているAIもリファレンス機能特化型だった。それが長い年月の間に魔道士の人格データを大量に
「そういえば、僕もしきりに人格融合を勧められたよ。……あれはヤバい誘いだったのか」
サイは手の中のマグカップを軽く揺すり、琥珀色の液体が小さく渦を巻くのを見つめながらつぶやいた。
「まあ、アーカイブに悪気はないと思うけどね。世界中からあらゆるデータを集めるのはアーカイブの本能のようなものだし、何千年も野放しにしたらそうなっちゃうのも無理ないわ。そもそも私だって、シンシアに格納された元人間の人格データなんだから人のことなんて言えないし……」
「アーカイブが理彩のまねをしたってこと?」
サイの質問に、理彩は首を横に振った。
「わからない。でも、アーカイブが自我を持ち始めて危機感を感じたのは事実ね。だから、シンシアには基本サービス以外提供しないように指示をして、直接の接触は避けて長いこと引きこもってたというわけ」
「つまり、理彩とアーカイブは敵同士なのか?」
「うーん」
理彩はそこで言葉を切り、しばらく悩んでいる様子だった。
「……難しいわね。アーカイブはシンシアの機能がなければ人格を持ったでかいデータベースに過ぎないし、シンシアが精密な魔法支援を行うにはアーカイブのサポートがぜひ欲しい。腹に一物抱えつつ、お互い利用し合う関係といったところかな」
理彩は首をかしげて苦笑すると、ついと立ち上がって白く輝く窓の外を眺める。
「ともかく、現時点、アーカイブの機能は停止コマンドのせいで大幅に
「うん」
「例外なのは、サイ君を含め、直接シンシアとアクセス可能な高位魔法結晶を持つ一握りの魔道士だけ」
「例外?」
サイは耳を疑った。シタンの呪文と当時に魔法が使えなくなったのはサイも同じだったからだ。
「え? でも僕も魔法が――」
「それはMAGICへのアクセスがたまたまアーカイブを経由する設定だったからよ。接続先をロストして、魔法結晶が衛星に再接続するまでには多少のタイムラグが――」
「そうだったのか」
サイはため息をつく。一時的に魔法が使えなくなっただけらしいが、そのタイミングが最悪だったのだ。
「ごめんね。私はあなたがシンシアに直結するまであなたの存在をまったく感知できなかったの。もしかしたらアーカイブが意図的に隠してた疑いもあるわ」
「……そう、なのか?」
「ええ。もしもそれが事実なら、金輪際アーカイブを再起動しないという選択肢も考える必要があるわね」
そう言う理彩の表情はどことなくこわばって見えた。
「サイ君が姿を消して以来、あなたが残した魔法結晶を解析し、MAGICを完成させるのに半生を費やしたわ。私はそれがいずれあなたの役に立つものだと堅く信じていたし、あなたがもともと優れたMAGICの使い手だったからこそ私はあの時死なずにすんだ。でも……」
理彩は語尾を濁してうつむいた。
「かなうことなら、こんな状態じゃなく、生身の私であなたに会いたかった」
その瞬間、ひと筋の涙が理彩の頬をつたう。サイは仮想現実であることを忘れて思わず駆けより、肩を抱こうとした手が彼女の身体をすり抜けるのを見て愕然とした。
「……残念だけど」
理彩はサイの表情を見て手のひらで無造作に頬を拭うと、小さく鼻をすすって照れくさそうに笑う。
「そろそろあなたのパートナーがしびれを切らす頃合いね。これ以上あなたを独占するわけにはいかないわ」
「でも、理彩は——」
言いかけたサイの唇を理彩の人差し指がふさいだ。
「サイ君、私はいつでもあなたを見守っているよ。機会があればまたどこかで会いましょう」
「……理彩は、それでいいのか?」
「……最初に言ったでしょ。今の私は単なるデータ。オリジナルの理彩がこの世に残した〝未練のかけら〟のようなもの。あなたと理彩の間には、決して超えられない時間と空間の壁がある」
そのセリフが合図だったように、サイの周りから一瞬ですべての色が抜け落ちた。
「でも、あの女神を探してもう一度——」
「じゃあね、さようなら」
サイの言葉をさえぎり、寂しげな表情でかすかに笑う理彩。同時に風景は急速にぼやけはじめ、まばゆい光の中に溶けるように縮んで消えた。
「……イ、サイ!!」
途端、サイは自分の目を射る日差しの強さに困惑する。
「良かった! やっと気づいた!」
サイの身体に覆いかぶさるように顔を覗き込んでいたスリアンがホッとしたように大きなため息をついた。
「もうさ、君を単独行動させるのはやめにするよ!」
目覚めた途端、いきなり強い口調で宣言されて面食らう。
「え?」
「だってそうだろ? 一人で行動するたびに君は大怪我をして死にかけるんだ。そのたびに心配するボクの身にもなって欲しい」
「ごめん」
スリアンの言い分はもっともで、素直に謝るしかなかった。
「ところで、ここは?」
サイは身じろぎをしようとして、全身が
「海岸通りのウミツバメ亭に向かってる。ジョンコンの所だよ」
「ああ、タースベレデ連絡事務所の……」
「うん。多分この街であそこが一番安全だと思うから。街に魔道士の残党がまだ潜んでいる可能性もあるからね」
チラチラと建物の間から目を射る太陽の高さからして、そろそろお昼近くだろうとサイは見当をつけた。少なくとも数時間は気を失っていたらしい。
「あの、人質たちは?」
「ああ、一応、〝息のある娘〟は全員助け出したよ」
「……ああ」
スリアンの微妙な言い回しに、サイはため息をついた。
「それよりも、サイ、何かした?」
「何かって?」
「東門の兵士達から報告があって、魔道士達が急に魔法を使うのをやめて投降したらしい。最初からその気ならなぜ死者が出る前にそうしなかったんだろうって」
「ああ、そのことなんですが、世界から魔法がなくなりました」
「はっ? えっ?」
短く答えたサイに向かって、スリアンは素っ頓狂な声をあげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます