第192話 シタンの思惑

 シタンの振り上げた短剣の切っ先が朝日を反射してキラリと光る。


「じゃあな、大魔道士様よ。魔法の滅びた世の中で、過去の栄光にすがって醜く生きながらえずに済むことをせいぜいありがたく思うんだな。これで——」

「……なぜ?」


 気がつくと、思わずそうつぶやいていた。命乞いや時間稼ぎではなく、サイは純粋にそれが不思議だった。


「ああ、何だ!?」


 だが、言葉を遮られ、怒りに震えた声でシタンは怒鳴った。


「なぜそこまで魔道士を憎む? お前自身もそうじゃないか? 最初は魔道士になりたくて学校の門を叩いたんだろう? 自分自身を否定して、せっかく身につけた力の源泉みなもとを破壊してまでお前がやりたいことって、一体、何だ?」


 シタンは振り上げた剣の切っ先を下げてぐっと唇を噛んだ末、内心のいきどおりと苦渋を絞り出すように言葉を発した。


「魔道士なんてなりたくなかったさ! でも、俺にはもう、それしか身を立てる方法がなかったんだ!!」


 その叫び声には明らかな悲壮感があふれていた。


「え? どういう——」

「だがな、貴様がことごとくジャマをしたんだ。あげくにアルトカルまでぶっ殺しやがって。おかげで魔道士団で出世するもくろみがパアになったんだよ。このクソッタレ!!」


 吐き捨てるように言うと、シタンは再び短剣を頭の上まで振り上げた。

 馬乗りにのし掛かられ、その上大量の失血のためか、サイはもはや指一本動かすのすらもおっくうだった。


「おまけに貴様は、俺が狙っていた叙爵の道まで横取りした!!」


 憎々しげにそう付け足すと、サイの顔にペッとつばを吐きかけた。


「でもまあ、貴様が敵国のお貴族様になったおかげで、お前を始末すれば十分に名を上げられる。恨みも晴らせるし、一石二鳥だ!」


 シタンの顔が嗜虐に歪む。口の端から一筋のよだれを垂らし、さっきまでの悲痛な表情がウソのようにニヤニヤと笑う様子は、もはや正常な精神状態とは思えない。


(ああ)


 サイはようやくシタンの狙いを理解した。

 理由はかいもく見当もつかないが、シタンは名を上げるために魔道士の道を目指し、偶然とはいえサイがそのもくろみを潰すことになった。シタンはそれを逆恨みしてサイをこの街におびき寄せ、サイを殺すことで名声を得ようとしたのだ。

 ただそれだけのために、ヤーオの血族を集め、そして……。


(狂ってる)


 サイは内心で大きなため息をついた。

 何者かにそそのかされたとはいえ、シタンはもはや正常な人間の範囲を逸脱している。


「判ったか? だったらそろそろ死ね!!」


 サイの沈黙をあきらめととったのか、シタンは冷酷な声でそう宣言した。


(別に誰かをジャマするつもりはなかったんだけどなあ)


 次第に薄れゆく意識の中、サイはシタンの顔を見上げ、短剣の切っ先が自分の胸に振り下ろされる瞬間を待った。だが、いつまでたってもその時は訪れなかった。


「……あれ?」


 そう思った次の瞬間、シタンは驚いたように目を剥くと、そのままドサリと仰向けに倒れた。


「あ……?」

「サイ!! 大丈夫かいっ!?」


 声のする方に顔を向けると、弓兵を先頭に数人のタースベレデ兵が通りに乱入し、シタンを失って混乱する敵の護衛達を次々と射落としていくのが見えた。


「サイ、サイ!! ああ、またこんなことになってるっ!」


 悲鳴じみた声を上げ、サイに向かって一直線に飛び込んできたのはスリアンだった。

 彼女は握っていた剣をその場に放り投げると、血まみれのサイのそばにひざまずいて脇腹の傷口をぎゅっと押さえる。


「痛っ!!」

「当たり前だよ! 早く止血しないと死んじゃうよ!!」


 魔法の消失と同時に、サイの体内にあってこれまで何度もサイの命を救ったマイクロマシン群も機能を停止したらしい。出血は一向におさまらず、もはや目を開けているのさえ難しくなっていた。


「通りの奥に、人質たちが……救出を……」

「判ってる。でも、今は君の方が優先だよ! サイ、気を確かに持って!」


 サイは担架に乗せられ、そのまますぐに馬車に移された。後を追うように次々と馬車に人が乗り込んでくる気配を感じる暇もなく、サイは今度こそ気を失った。





『……イ君、サイ君』


 鼻をつままれても判らない漆黒の暗闇。どこからともなく懐かしい声が響く。


(今度こそ、死にかけてるのかなぁ)


 サイはぼんやりした頭でそんなことを思う。

 サイのことをサイ〝君〟と呼ぶのは、記憶にある限り理彩しかいなかったように思う。だが、どうして今、彼女の声が聞こえるのだろう?

 呼びかける声に導かれるように、もはや戻れない異世界での日々が、まるで走馬灯のようにサイの脳裏に浮かぶ。ぎゅっと締め付けられるような懐かしさで胸が一杯になり、サイは奥歯を噛みしめてあふれ出ようとする感情を必死で押しとどめた。


『……サイ君、サイ君』


 だが、サイの気持ちに関係なく、声は何度も何度も、延々と続く。

 確かに理彩の声のようでもあるが、それよりもっと無機質な、機械音声のようにも感じられた。


「もうっ、何だよ?」


 だが、あまりのしつこさに根負けしてサイが思わず返した瞬間、呼び声はピタリと途絶えた。


「……なんだ?」


 ひりつくような沈黙の中、そういえばそんな怪談話があったなぁ、とサイは不意に思い出す。正体不明の声に背後から呼びかけられ、思わず応えてしまった男はそのあとどうなったのだったか。確か、ろくな目には遭わなかったはずだ。

 だが、次の瞬間、サイの視界は突然明転した。

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