第191話 魔法の死

 しばらくすると、アジトの中はさっきまでの喧噪がウソのようにシンと静まりかえった。ここを根城にしていた魔道士たちは恐らく全員が東門の迎撃に向かったはずだ。

 サイはそう判断してゆっくり立ち上がると、すでに半壊している外扉に向かい、かろうじて扉を支えている蝶番に向かって電撃を放った。

 重い扉は外に向かってゆっくりと傾き、どうと音を立てて地面に倒れ込んだ。同時に、早朝の光と澄んだ空気が室内のよどみを一掃するようにどっと流れ込んできた。


「よし、もうすぐ馬車が迎えに来るから! それまでの我慢だ!」


 サイはまぶしさに目を細める女たちを励ますように大きな声を出すと、そのまま大通りまでの動線を確保するために表に飛び出した。


「はっ!!」


 次の一瞬、殺気を感じて慌てて立ち止まる。目の前に数十本の矢が一斉降り注ぎ、石畳に弾けて激しく火花を散らした。


「やっぱり潜り込んでいたか! タースベレデの魔道士よ!」


 かん高く鋭い声につられて見上げると、向かいの建物の屋上、屈強な男達に守られるように小柄な若い男が立っていた。

 護衛の多さ、そして身にまとう豪華な衣装からして、この男が魔道士達の言う〝頭領〟に違いない。


「あれ?」


(こんな光景、どこかで見たことがある)


 サイは記憶を掘り起こす。痩せた小男の朝日を浴びて輝く金髪。大柄な男達に半ば隠されるようなそのたたずまい。


「君は……」

「ほう、噂通りの博覧強記。俺みたいな人間でもちゃんと覚えてるんだな、タースベレデの大魔道士様は」

「代表生徒……確かシタン・ダフリカって……」


 若い男は、サンデッガの魔道士学校で何かとサイに因縁をつけてきた異常にプライドの高い学生だった。


「会いたかったよ、ゼンプ・ランスウッド……いや、それともサイプレス・ゴールドクエスト魔導伯と呼んだ方がいいかい? それにしてもずいぶんな仮装だな? 貴様、女装が趣味か?」


 トゲだらけの皮肉が目に見えるような口調でシタンはサイをあざけった。


「あの、クソ生意気で卑しい異民族ヤーオの転入生が、まさかまさか隣国の高貴な大魔道士様だったとはね。俺としたことが、すっかりお前を見くびっていたよ」


(……こいつ……これほど粘着してくるのは一体何でだ?)


 サイは密かにいぶかしむ。魔道士学校への潜入以来、シタンには何度も嫌がらせを受けていた。だが、呼び出しを受けて返り討ちにしたあの日、サイの存在は忌むべきトラウマとして彼らの深層心理に刻まれたのか、その後はぱったり彼の姿を見かけたことはなかったはずだ。


「それがどうした!?」

「いやね、これでも、俺も成長したんだよ」

 

 サイの問いをはぐらかし、まるで自分の言葉に酔ってでもいるようにシタンは続ける。


「貴様の、見るのも吐き気がする不吉な黒髪と黒い瞳、それが強い魔力の源泉だと知らされた時には正直驚いたよ。別にお前自身がが凄いわけでも、ことさら才能に溢れているわけでもなかったんだと判って安心もしたけどな」

「……どういうことだ?」


 サイはシタンの言葉に不吉なものを感じて思わず口を挟んだ。

 シタンの言葉はある意味では正しい。黒目黒髪のヤーオ族が強い魔力を有しているのは広く知られているし、ヤーオの血が多少でも混じっている人間は魔道士として大成しやすいのも事実だ。

 だが、シタンの言葉にはそれだけではない不気味さが漂っている。


「……お前」

「ああ、たとえ魔法の素養が乏しくても、ヤーオの血を、そして肉を、自身の身体に取り入れるだけで魔力が劇的に向上する。そう教えてくれた人がいてね……」

「まさかお前!」

「そのまさかさ。だから……」


 シタンは言葉を切って大きく両手を広げた。ローブにつけられた十数個の魔法結晶にサイは一瞬目を奪われ、それが意味することを悟って息を飲む。


「今の俺はこんなことだってできるっ!」


 シタンはおもむろに両手を高く振り上げ、サイに向かって勢いよく振り下ろした。

 途端に真っ白いもやをまとったつららのような氷塊が大量に空中に出現し、その全てがサイに向かって殺到した。


「なっ!」


 無詠唱魔法。

 呪文詠唱がなく、魔方陣の構築すらもない。サイの知る限り、あの大魔道士アルトカルでさえこれほどのスピードで魔法を発現したことはなかった。

 サイは投げ出した鉄魚を縦横に飛ばしてかろうじて氷塊を砕くが、氷塊は次々と生み出され、間断なくサイに迫る。

 質量に勝る巨大な氷塊を砕くには猛スピードで鉄魚を飛ばすしかなく、はじけ飛んだ鋭い氷の破片がサイの顔や二の腕にひっかき傷を残す。


「どうした? 大魔道士様ともあろう者がこの程度か!?」

「くそ! キリがない」


 腕に刻まれた傷ににじんだ血の珠を舐め取りながら、サイはイライラと鼻を鳴らす。


「どうした? 反撃はなしか? もっと行くぞ!」


 シタンは笑いながら眼前にオレンジ色の魔方陣を呼び出した。


「火炎魔法!?」


 氷結魔法と火炎魔法は系統が大きく違う。万能型のサイでも雷撃魔法を多用するように、魔道士個人個人によって得意不得意がはっきり分かれ、どの系統も同じように使える魔道士はほとんどいない。

 だが、目の前の少年は、余裕の表情でサイを包み込む紅蓮の炎を生み出した。

 地下にうずくまっていた女たちの数から一体何人分の血肉を食ったのかを理解し、サイは激しい吐き気を覚えた。


「そら、焼け死んでしまえ!」


 サイは反射的に氷結系の魔方陣を呼び出して高温を相殺する。もうもうと沸き起こる水蒸気が視界を奪い、一瞬シタンからサイの注意がそれた。


「甘い!」


 突然目の前でシタンの声が響く。

 サイは対抗しようと正面に防御魔方陣を展開し、背中に人の気配を感じて振り向こうとした瞬間、脇腹に鋭い激痛を感じて思わず身体をこわばらせる。

 いつの間にか護衛の一人が短剣を手にサイの背後に回り込んでいたのだ。


「ぐふっ!」


 ぐりぐりと脇をえぐられ、サイはこらえきれず血反吐を吐きだした。

 その場にうずくまりながら全力の防御魔方陣ではね飛ばすと、男は通りに面した石壁に頭をぶつけてそれきり動かなくなった。

 サイは横目でそれを確認すると、シタンを睨みつけながら口元の血を手の甲でぬぐい、震える腿を両手で抑えながらよろよろと立ち上がる。


「キリシ、アルケイオン・イ——」

「マギア・ヌリフィカティオ・カレモニアリス!!」


 呼び出そうとした魔方陣は、シタンの唱えた聞き慣れない呪文によって一瞬でかき消された。何かがブツリと切れたような感触と共に、サイは全身を激しいだるさに襲われて再びガクリと膝をついた。


「一体、何を?」


 歩み寄るシタンの姿が、かすむ視界にじんわりとにじむ。


「魔法さえなければ貴様はひ弱なガキに過ぎん。大魔道士だか魔導伯だか知らないが、そんな肩書きはもはや何の役にも立たないのさ」

「……バカ、な……。そんなことをすれば……」


 サイは薄れゆく意識を必死に立て直し、脳裏でアーカイブを呼んだ。だが、あのお節介な声はいくら待っても聞こえてこない。


『セラヤ、セラヤ、返事をしてくれ!!』


 それならば、と呼び出す相手を変えるが、一向に返事はない。


「ムダだ、もはやこの地の魔法は死んだ!!」


 シタンはニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべ、さらに一歩近づく。


「貴様らみたいな汚れた血の醜悪な異民族が、生まれつき高貴な俺たちを超える力を持つなんて、絶対にあってはならないことだ。だから俺は、その真実を知って以来、ずっと魔法を消し去ってしまおうと考えていた。そのための方法は最近になってある親切な人が教えてくれたしな」

「あの呪文が……それに、お前たち自身も魔道士じゃないか……」

「ああ、今、この瞬間、世界から〝魔道士〟という存在は消えたのさ!」

「お前……狂って——」


 途端にあごを蹴られてサイは仰向けにひっくり返る。


「魔法は消えた。消えたんだよ!!」


 石畳に大の字に倒れたサイを覗き込み、シタンは晴れ晴れとした表情であらためて宣言した。

 魔法と魔道士を消し去るための手段としてあえて高位の魔力を欲し、その為に一つの街を占領し、魔道士を使って魔道士の素質を持ったヤーオ族を大勢集め、そしてその血肉をくらう。

 その倒錯した思考にサイは頭がクラクラした。


「だがな、貴様らと違って、俺は魔道士でなくとも高貴な貴族である事実は変わらん。魔道士に何の未練もない。俺は剣が使えるし、貴様のような痩せたガキを始末するにはそれで十分だ」


 シタンは狂ったように笑いながらサイに跨がるようにのし掛かり、そののどに向かって短剣を振り上げた。

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