第190話 陽動作戦
『サイ、聞こえていますか?』
思考停止していたサイは脳裏に響くセラヤの声にようやく我に返った。その時になって、サイは心臓が激しく脈打ち、額に冷たい冷や汗がにじんでいるのにようやく気づいた。自分では冷静なつもりだったが、思ったより怒っているらしい。
『あ、ああ』
『どうしました? ずいぶんうろたえているようですが?』
『いや、うろたえているわけじゃなくて……』
内心で荒れ狂う感情をほぐすように両手を開いたり閉じたりしながら、サイは平静を装って答える。
『なにか
『だから、そうじゃないよっ! それよりなんだ!?』
『ええ……』
声はサイの激しい口調に気圧されるようにわずかに途切れ、はっきり口調を変えて続いた。
『スリアン殿下が人質救出のための陽動作戦を裁可されました。日の出と共に兵三百を都市城壁の東門付近に集め、城壁の突破を試みます。もちろんこれは陽動で、少数の別働隊が反対側の西門から救出用の馬車を突入させます』
『……そうか、ありがとう』
答えながら、いつの間にかひそめていた息を吐き、こわばっていた肩をゆっくりと回す。
『ちなみにあなたの役目は、敵を
『え? 煽っちゃっていいの? ここにいる魔道士が一斉に駆けつけたら三百くらいでしのげるとは到底思えないんだけど……』
『大丈夫! ひと当たりしたらさっさと退却しますから。それより、アジトが空になったら監禁場所から馬車がつけられる場所までの動線を確保してください』
『わかった』
サイは脳内通話を打ち切ると、大きく息を吸って暗い室内を眺め回す。意識のある者全員が不安と絶望の色を浮かべた瞳でじっとサイを見つめているのに気付き、サイは無理やり笑顔を作って大きく頷いた。
「夜明けまでの我慢だ。すぐに助けが来る」
張り詰めていた場の空気が少しだけやわらぎ、人質達の顔にほんのわずかな希望の灯がともった。そこかしこでささやき交わす声が聞こえ、やがてサイのそばにいた女が、おずおずと、といった感じでサイに声をかけた。
「あの、あなたは一体だれなんですか?」
「あ、そうか」
サイは自分のうかつさにため息をつく。
「……ごめん、僕も魔道士なんだ。タースベレデの、だけどね」
〝魔道士〟という単語に部屋の空気が一瞬凍り付いたが、タースベレデの名前が出るとすぐに緩んだ。
「タースベレデ……もしかしてあなた〝雷の魔女〟!?」
「は? え?」
〝魔女〟と呼ばれて思わず目を丸くするサイ。だが、自分の女装を見下ろして納得した。スリアンの話では、雷の魔女は単身敵地に潜入するすることも多かったようだし、伝えられている活躍は〝英雄譚〟とまでは行かずとも、吟遊詩人が好んで歌う程度には勇敢だ。
「いや、うーんと、まあ……」
期待に満ちたまなざしで見つめられ、今さら種明かしもしづらかった。結局サイは女たちの勘違いに甘えることにして、必要なことだけを短く告げる。
「夜明けと共にタースベレデの兵が街の東門を攻撃することになっている。魔道士たちが撃退に出向いて、ここが手薄になった隙に君たちを脱出させるよ。いいね」
女たちの顔に理解の色が広がったところで、サイは外に通じる扉に歩み寄った。扉は極太のかすがいと太い丸太で石壁に縫いつけられ、人力で取り外すのはかなり難しそうだ。
「無理です。とても私達の力では……」
「いいから見てて」
サイは手早く魔方陣を組み、かすがいに意識を集中させる。鎚痕の残る武骨な金物は赤く熱を放ちはじめ、まばゆく発光したかと思うと次の瞬間どろりと溶け落ちた。
焦げ臭い匂いと煙があたりに立ちこめ、女たちが目を丸くして黙り込む。
サイはそれには構わず淡々と金具を溶かていく。扉の隙間から朝の光が差し込むころには、無傷で残っているかすがいはわずか数本のみだった。
「ん?」
早朝の
「始まったか、な?」
サイは作業の手を休めて耳を澄ます。だが、再び音が聞こえるより早く脳裏にセラヤの声が響いた。
『東門に攻撃をはじめました。サイ、アジトの魔道士をたたき起こして!』
『了解!』
サイは一旦作業をやめて調理場に通じる扉に駆け戻ると、廊下に向かって大声で叫んだ。
「敵襲! 敵襲だ!! 都市城壁の東門が攻撃されているぞっ!!」
タイミング良く外から爆発音が響き、天井からパラパラと砂埃が落ちてきた。タースベレデ軍の打ち込んだ大砲が城壁を越えてアジトの近くで炸裂したらしい。
途端に途端に蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。部屋から下着姿や上半身裸の魔道士達が泡を食った様子で飛び出し、お互い顔を見合わせてわめきあっている。と、その喧噪をさらに上回る野太い大声が建物の中央付近から響いてきた。
「全員、戦闘装備で前庭に集合せよ!! 繰り返すっ! 全員、戦闘装備で前庭に集合せよ!!」
瞬間黙り込んだ魔道士たちは、次の瞬間慌てて部屋の中に引き返した。
サイはそこまで見届けると、静かに食料庫にとって返し、人質の中に自分も座り込む。万一誰かが確認に来たとしても、この緊急時に薄暗い中で座り込んでいる女たちを一人一人確認はしないだろう。
ドタドタと乱れたいくつもの足音が遠ざかり、アジトの中がシンと静まりかえるまで、サイは身じろぎもせずに待った。
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