第167話 スリアンの提案

 タースベレデ軍所属の兵は、国境の川を越え、続々とやって来るサンデッガ亡命政権の兵……そのほとんどは女王に投降した元王都遠征軍の兵士たちだったが……と交代するように領内に引き返した。ただ、タースベレデ軍一個大隊は国境近くの砦に駐留し、当面対岸の撤退状況を監視することになった。

 大けがを負ったサイも、駐留軍と共に砦でしばらく休息をとることになった。


「とりあえず、サンデッガの狂王を廃し、国を立て直すおぜん立てまではした」


 スリアンはそう言い切る。


「でも、その、もと外務卿、ですか?」

「ペルボック・ソンサルンね」

「彼は信用できるんですか? あるいはベルボックはまともでも、サンデッガの有力貴族たちをまとめられなくて、また攻めてくるとか、そういう危険は」

「さあ、どうだろね?」


 まったく興味ない様子で、スリアンは小さくフンと鼻を鳴らす。


「この策は女王が決めたことだし、再侵略を妨げる何らかの密約はあるだろうけど、基本的にはサンデッガ自身の考える話だと思う。ボクは、ボロボロになった国内を放置してそんな無謀な賭けはしないと思うけどな。ま、国外の人間がそこまで口をはさむ筋合いはないってこと」


 スリアンはそう言って、騒ぎの後始末をサンデッガ暫定国家元首となった元外務卿、ペルボック・ソンサルンに一任しさっさと国境を越えた。その後は砦の貴賓室で傷の治療を受けるサイにぴったり付き添い、そこから片時も離れようとしない。

 この部屋は先日まで女王が静養していた部屋だということで、事後処理のため王都に戻った女王と入れ替えにサイに貸し与えられたものだ。

 山積する国務を処理するため、女王が臨時に持ち込ませた机や文具類もそのまま残されており、スリアンは日中当たり前のように自分の仕事をそこで片づけている。

 こんな辺境で無駄に時間を費やすのではなく、王族の一人として、国の立て直しのためさっさと王都に戻るべきじゃないかと何度も進言するサイに向かって、スリアンはそのたび不機嫌な表情になってこう言い返した。


「サイ、君はボクがそばにいるのが邪魔だって言うのかい? また一人で何か危ない橋を渡ろうとしているんじゃないだろうね?」


 読んでいた書類をテーブルに戻して顔を起こすと、スリアンは寝台に半身を起こしたサイをにらみつける。


「でも、スリアンは軍の最高指揮官でしょう? こんな片田舎でダラダラしている余裕はないのでは?」

「それを言うなら君だって従軍魔道士じゃないか。その上わが国の魔道士最高位〝魔導侯〟だよ。職務上君は最高指揮官のボクに付き添っているべきだし、君が動けない以上、ボクはやむなくここにいるしかないわけだ」

「いや、それは屁理屈――」

「いいんだよ! それに、王都に戻るとボクは今までのように自由に動けなくなる。少しくらいわがままを言ったっていいじゃないか」

「え? それってどういうことです?」

「うぅん……」


 スリアンはそこで初めて言葉を濁した。


女王かあさまが退位を決めたんだ」

「え? でも女王はまだ譲位されるほどの年齢としじゃないでしょう?」

「今度の戦争で誰かが責任を取らなきゃいけないからだって。だから、王都に戻りしだい、ボクは正式に女王位を引き継がなきゃならない」

「えっ! でも、確か女王位は第一王女が継ぐ話じゃなかったですか?」

「うん、予定ではそうだったんだけどね……」


 スリアンの表情はすぐれない。


「女王を王都まで護衛した騎士の一人が姉さまが意識を取り戻したという知らせを持って戻ってきた。でも、麻薬漬けで凌辱されたのが相当ショックだったみたいで、結局、彼女の人格は壊れたまま戻らなかったんだ」

「……え?」


 信じられないという表情で聞き返すサイに、スリアンは泣き笑いの表情を見せた。


「まるで人形みたいに言葉も話せず、泣きも笑いもしない。ただ一日中、ぼんやりと天井を見つめたままなんだってさ。もちろん、そんな彼女に国政なんて任せられるはずもない」

「それは、その――」

「……大丈夫だよ」


 言葉に詰まりうつむくサイに、強がりのような作り笑顔を見せながらスリアンは頷き返す。


「もうね、気持ちの整理はできてる。姉さまについては無事に生きていて、意識を取り戻してくれただけでも御の字だと思ってるよ。でも、いざ自分が王位を継ぐ話となるとそれはまた別だ。いくらボクでも少しは怖気おじけづく」


 そこまで一息に言うと、握っていたペンをトレイに戻してサイに向き直った。


「だからさ、王都に戻るなら、ボクは君と一緒に戻りたいと思ってる。それに、もしボクが王宮に入った後も君がサポートしてくれるって言うならこれほど心強いものもないし、この憂鬱ゆううつも少しは晴れそうな気がするんだよね。どうだろう?」

「それは……」


 サイは慎重に考えながら返事を組み立てる。この少女は一見何も考えていないようで、その実相当に頭がいい。雰囲気に飲まれて安請け合いし、いつの間にか言質を取られて後に引けなくなることはこれまでも何度もあったからだ。


「でも、僕はもともと山岳少数民ヤーオの――」

「その言い訳は前にも聞いた。その時も言ったろ? ボクら王族だって数代前にさかのぼれば、荷物を担いでブラスタム山脈の南北を行ったり来たりするしがない行商人だったって。出自や民族にこだわるつもりはないし、だれにも文句なんて言わせない。戦争で王家もガタガタになっちゃったし、しばらくの間ボクを助けてくれないかな?」


 

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