第164話 発覚

163話を少しだけ加筆しました。

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 翌日も、朝一番で治療師がやって来た。相変わらず毒々しい赤みがかった液体でいっぱいのつぼを掲げた助手をともなっている。

 そしてもう一人、干し肉をくわえてくちゃくちゃ音をたてながらついてきた大柄な兵士は、少年の背後に回り込み、腰に下げていた長剣の柄で彼を拘束していた手かせをたたき割った。


「先生、これでいいかい?」


 短く聞いた兵士に治療師は無言でうなずくと、懐から取り出した数枚の銅貨を手渡した。


「こんなやつを自由にして後で後悔しても知りませんぜ。こいつは、なりはちっこいが悪魔みたいなやつで――」

「このことは陛下も承知してる。終わったらさっさと出ていけ!」

「あー、へいへい」


 兵士は黄色い乱ぐい歯をむき出しにしてニヤリと笑うと、受け取った銅貨を手のひらでチャラチャラ言わせながら天幕を出て行った。

 

「おい、おまえ、これを今すぐ全部飲み干せ」


 治療師は額に汗の粒を浮かべながらサイに命じた。

 これまでの処方がちゃんと効いていれば、逆らわず薬を飲み干すはず。だが、治療師ははそれでも一抹の不安を拭い去ることができなかった。

 だが、治療師の心配をよそに、少年は助手からつぼを受け取ると、無言のままぐいぐいと飲み干し、空のつぼを取り落とすと、すぐにとろけたような表情になってその場に座り込んだ。


「ちゃんと効いているようだな。おい、おまえ!」


 呼ばれて少年はぼんやりと焦点の定まらない瞳で彼を見る。


「いいか、私と、陛下の命令には絶対服従だ。逆らうことは許されん。いいな」


 少年は無言のまま、小さくうなずいた。


「よし。それともう一つ、命じられるまでこの天幕からは絶対に出るな。出たら命はないものと思え。いいな」

「……あの……」

「な、なんだ!?」


 治療師は、少年が捕らえられて以来、はじめて自分から口を開いたことに驚いてギクリと身をすくませた。


「な、なんだ!?」

「おなかがすきました。もう何日も食べていません」

「あ……ああ?」


 治療師は気の抜けたような声でうなずくと、かたわらに控える助手に食事を持ってくるように命じる。

 やがて持ち込まれた食事は、大きなおわんの中に汁物と肉と堅いパンをごちゃ混ぜにぶち込んだ、まるで犬のエサのような代物だった。だがそれでも少年は文句も言わずに無言でむさぼり食った。


「よし、おとなしく従えば朝と晩にメシをくれてやる。わかったな」


 念を押してみたが、少年は食事に夢中で答えない。


「お、おい」


 しばらく待ってみたが、周りに目もくれずガツガツと食事をかき込んでいる姿を見て興ざめしたのか、治療師は首を振りながら助手とともに天幕を出て行った。





「行ったかな?」


 サイは食べ物から顔を起こすと、指先の脂を丁寧になめとって、おわんに添えられていた粗末なさじに手を伸ばす。


『何もそこまで暗愚を装わなくていいのではありませんか?』

『いや、あなどられているのなら、それはそれで好都合だろ? 薬でほうけた、何もできないガキだと思われて油断してもらえるのなら』

『でも、サイ自身のプライドとか……』

『どうでもいいよそんな物。今は無事にここを抜け出せればそれでいいんだ。それにおなかがすいてたのは本当だし。今なら何を出されてもうまく感じるよ』

『いえ、しかしですね——』

『しっ!』


 サイは近づいてくる足音に気づいてアーカイブの言葉を制した。


「おー、タースベレデの野良犬がいっちょうまえにエサを食ってやがる」


 乱暴に天幕をまくり上げて数名の兵士達がどやどやとなだれ込んできた。サンデッガ王の直轄軍とは違うデザインの軽鎧を身につけ、長剣の柄頭についている飾りは北部地方領主の紋章だ。


(確か、あの紋章は港湾都市ゼーゲルの建物についていた……)


 サイはほうけた表情を装いながら油断なく兵士たちを観察する。天幕の入り口を数人がふさぎ、もっとも年上と思われる兵士が一歩、歩み出ると地面にペッとつばを吐いた。

 ゼーゲルとその近郊の村々は、アルトカルの送り込んだ狂魔道士の戦闘実験で壊滅的な被害を受けている。北部領主軍の兵士たちがそれをよしと思っていないことは今さら考えずともよくわかる。

 サイは身を固くした。

 この兵士達には恐らくサンデッガ王のけん制は効かない。命令に背いてサイに危害を加えかねない。


「おい!」

「あっ!」


 先頭の兵士が長剣の柄に手を掛け、右足でサイの抱えていたおわんを勢いよく蹴り上げた。

 幸いほぼ全部食べ終わっていたが、それでもサイの服は飛び散ったスープでべったりとぬれた。


「偉そうにメシなんか食ってんじゃねえ! この悪魔がっ!!」


 兵士は激昂してサイの腹につま先をめり込ませた。動きを予想していたサイは腹筋に力を入れ、自分から後ろ向きに飛ぶことで蹴りのダメージを相殺したが、はた目には無抵抗に蹴り飛ばされたように見えたに違いない。天幕の柱に背中から激突し、うめき声とともに前のめりに倒れるサイに兵士はさらに罵声を浴びせた。


「魔道士なんか、みんな死ねばいいんだよっ!」


 兵士は叫び声とともに長剣を抜いて大きく振りかぶると、むき出しになったサイの首筋めがけて思い切り振り下ろした。


 ブンッ!!


 その瞬間、耳を圧する空電音が鳴りわたり、太刀筋がぐにゃりとゆがむと、切っ先がサイを避けてすぐそばの地面にめり込んだ。


「なっ!」


 目を丸くした兵士は地面にめり込んだ剣を抜き取ろうと表情をひずませたが、長剣はまるで地面に根を下ろしたかのようにびくとも動かない。

 顔を真っ赤にして焦る兵士を尻目に、サイはゆらりと立ち上がった。

 天幕の入り口でサイの逃げ道をふさいでいた残りの兵士達が顔色を変えてあわてて剣を抜こうと身構えた。が、突如赤熱し煙を上げはじめた剣の柄に気づいて剣帯ごと地面に投げ捨てる。


「あっちいっ!!」

「な、何が!?」


 投げ捨てられた剣はさやごと炎をあげて燃え上がり、あっという間にドロドロに溶けた金属のかたまりに姿を変えた。


「お、おまえ!」

「話が違う!! 記憶をなくして魔法を使えないって話じゃ——」

「薬漬けにしたんじゃなかったのか!? やめろ! お、俺たちに逆らってただで済むと思ってんのか!!」


 サイは強がる兵士達の言葉を無視して自分を中心に強力な電磁場を構築し、我先に天幕を飛び出そうとする兵士たちからありとあらゆる金属をちぎり取った。軽鎧の当て金、胸元の階級章、制服のボタン、そして懐にしのばせていた短剣や革靴の留め具まで。


「なんだろう。記憶を失う前よりうまく魔法が発動できる……」


 サイはそうひとりごちた。

 もしかしたら、脳が傷つき、再び記憶を取り戻すプロセスで、魔法の発現に関わる脳の回路が整理されたか、あるいは記憶そのものが最適化されたか。

 そんなことをぼんやり考えながら、ちぎり取った金物を超高周波で振動させて誘導加熱し、溶けた長剣と同様に空中を浮遊させながらドロドロに溶けた真っ赤な金属球体に変える。


「こ、こんな化け物、相手にしていられるかっ!!」


 ついに、ぎりぎり踏みとどまっていた兵士が叫びながら天幕を飛び出していった。後に残るのは、サイに剣を振り上げた最年長の兵士ただ一人。

 

「王の命令を無視して、覚悟を決めて殺しに来たんじゃなかったのか?」


 腰が抜けたようにへたり込み、ガタガタ震える兵士をサイは鋭くにらみつける。

 だが、兵士は脂汗を流しながら後ずさりするばかり。もはやまともな返事は期待できそうになかった。

 サイはさらに踏みだし、声にならない悲鳴を上げながら高速で後ずさりする兵を追って天幕を出た。


「あーあ、夜までおとなしくしてこっそり逃げ出そうと思ったのに……」


 そうグチるサイの眼前には、油断なく剣を構える数百人の敵兵の姿があった。

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