第162話 毒を食む

 最後まで顔を見せないまま、謎の人影は姿を消した。

 だが、少なくとも、彼の身を案じている人間が一人でもいるという事実が少年の心に一筋の希望の光を投げかけた。だが……。

 そんなわずかな希望はすぐに覆らされた。初日に顔を見せたきりだったサンデッガ王と弩弓兵長をはじめとする各兵科の長、治療師らがぞろぞろと天幕に入ってきたからだ。


「さて、魔道士の少年よ、記憶は戻ったかね?」


 言わずもがなの問いを口にして王はニヤリと笑った。


「ふむ、どうやら相変わらずのようだ。さて……」


 そこで言葉を切ると、治療師に向かってあごをしゃくる。


「やれ」

「は!」


 治療師はかしこまった会釈を返すと、両脇の助手らしき男に目配せをする。助手は素早い身のこなしで少年の顔を持ち上げ、端に漏斗ろうとのついた管を少年ののどに無理やり挿し込んだ。少年が涙目でえづくのも構わず、持ち込んだつぼの中の液体を漏斗に注ぐ。


「!!」


 少年が目を白黒させて声にならない声をあげる。だが、治療師はその手を止めず、つぼの中身をすべて流し込んだ。


「どのくらいで効果が出る?」

「すぐにもうろうとして参りますが、今回は初めての処方でございますので恐らく本日中には元に戻ります。陛下の忠実なしもべとするには、日に一度、最低でも二、三回は今と同じ処方が必要でございます」


 王の問いに治療師は頭を垂れながら答える。


「魔法を使えるようになるのはいつだ?」

「こればかりは、何とも言いかねます」

「なに!?」

「い、いえ。ただ、こやつが記憶を失ったのは、上空から落下して強く頭を打ったのが原因かと思われますゆえ」


 その瞬間、背後に控えていた弩弓兵長がふんと不満そうに鼻を鳴らした。それでも治療師は構わず続ける。


「ヘクトゥースの常飲により血の巡りが良くなれば、いずれ脳のこわばりがほどけます。恐らく、そう遠くない将来に……と」

「なるほど。その時には……」

「ええ、その時にはおのれの意思はほとんどございません。陛下の忠実な魔道士、いえ、狂魔道士として、命ぜられるままにお役に立てるものかと」


 サンデッガ王は満足そうに頷くと、背後を振り返って兵長らに目をやった。


「ところで、ここ数日、下級兵たちがこやつでさ晴らしをしていたようだが?」


 兵長たちはお互い顔を見合わせ、きまり悪そうに咳払いをする。


「い、いえ、私どもは誓ってそのようなこと——」

「今さら言い訳はよい。ただ、これより先、こやつに対するろうぜきは厳罰に処す。兵たちにもそのように申し伝えよ」

「はっ!」


 兵長らは冷や汗をかきながら頭を下げる。


「では、首尾良く仕上がったら呼ぶがいい」


 全員が頭を下げる中、サンデッガ王は近い将来、大陸の覇者になった自分の姿を思い浮かべながら上機嫌で天幕を出て行った。

 兵長らと治療師も無言で後に続き、天幕の中には焦点の合わない目でぼーっと虚空を見つめる少年だけが残された。




『……イ、サイ』


 少年の脳内に不思議な声が響いた。


『サイ……サイプレス・ゴールドクエスト。聞こえていますか?』


 少年はかすんだ意識の中で自分を笑う。


「ハハッ、とうとう幻聴が聞こえるようになった」


 自分がヤバい薬を飲まされたことはわかっていた。意識がもうろうとし、殴られた顔や足のケガの痛みをほとんど感じなくなる代わりに、思考がふわふわともやのように拡散して、次第にまとまりがつかなくなりつつあることにも。


『うーん、どうも思考が濁って読み取りづらいですね。一服盛られましたか? あなたらしくもない。ヘタを打ちましたね』


 脳内に響く無遠慮な声は少年の心をイラつかせる。


「うるさい! 黙れ!」

『お、かろうじて気骨は健在、と。声に出す必要はありません。考えるだけで伝わります。ご存じのはずで——』

「悪いけど、僕は自分の名前すらわからないんだ」

『あらら、全部お忘れですか? あんなに熱い夜を過ごしたというのに』

「くっ!」


 うまく考えがまとまらない。イライラした少年は舌打ちをしようとして、口がしびれて動かず失敗する。


「ふざけるなよ、君は一体何者なんだ!?」

『私の名前はアーカイブ……もしかして、それすらもお忘れですか!?』


 深刻さに気づいたのか、脳内にひびく声は途端に口調をあらためた。


『いいですか、この先は口に出さずに話してください』

『んん、これでいい? ……だめだ、頭がぼーっとしてきた』

『む、この組成はヘクトゥース……無理やり飲まされたんですね!』

『……そう。だけど、なぜ?』

『あなたが自分からヘクトゥースに手を出すなんてあり得ないんです……仕方ありません。体内のマイクロマシンを賦活化します。ものすごーく気持ち悪いと思いますが辛抱してください』

『まいくろ? まあ、今以上に悪くなることなんて……だめだ、意識が……もう……』


 目の前が暗くなると同時に、身体の中で何かがぞわりと動き始める不気味な感触と共に、少年は意識を手放した。

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