第160話 記憶喪失の少年

 空気が大きく動いた気配に少年は目を覚ました。

 どうにか上半身を起こして外の気配をうかがうと、森全体の雰囲気が慌ただしい。鳥や獣たちのけたたましい鳴き声がそこかしこで響き、やがて扉の隙間からうっすらときな臭い煙が入り込んできた。

 そのことを少年が疑問に思う間もなく、勢いよくバンと扉が開かれる。


「お兄ちゃん、大変! 火事! 森が燃えてるの!」


 知らせに来たのはまだ髪結いの儀式も済ませていない幼い少女だった。幼いとはいえ、森の入口で頭と右足の根本に大けがを負って倒れていた少年を見つけ、泣きわめいて両親に彼の受け入れと治療を迫った負けん気の強い女の子だ。


「ここもじきに燃えるよ!! 早く逃げなきゃ!!」


 そう断言すると、少年の体を支えるように寄り添い、寝台から強引に引っぱり出す。


「あ、ちょ、杖を!」


 少年は慌てて寝台の縁に立てかけていた粗末な杖を取ると、少女に半身を支えられ、右足を引きずりながら小屋を出た。

 外はさながら火炎地獄だった。

 少年が保護されたこの集落は、森の中にまるで隠れ里のようにひっそりと築かれていた。だが今、周囲を取り巻く森の木々は激しく燃え上がり、集落全体がまるでかまどの中に放り込まれたように激しい炎にあぶられている。村人は熱と煙に追い立てられるように、唯一外界に向けて開けた広場の出口を目指して我先に走る。

 だが、その時、十人ほどの武装した兵士が広場の出口に立ちふさがるようにあらわれた。

 兵士達はまるで地獄の獄卒ごくそつのように、炎から逃れようと走る村人達を追い立てては次々と槍で突き刺しはじめた。


「い、一体何を!」


 少年は叫ぶ。だが、兵士の手は止まらない。

 その時、兵士のひとりが少年の顔を指さすと、隣の兵士に声をかけた。


「あいつ、手配書の奴じゃねえのか?」

「当たりくじを引いたみてぇだな」


 兵士たちはまるで暇つぶしのように続けていた串刺しを止めると、少年を取り囲むように立ちはだかった。燃えさかる森の炎を映す兵士達の瞳は、まるで薄い膜がかかったように何の感情も浮かべていない。


「おい、お前」


 リーダーらしき一番年かさの兵が少年に槍の穂先を向けながら怒鳴る。


「陛下がお前をお探しだ!」

「陛下?」

「あんた達、村の人に何をしたの!? 私たちも刺すの!?」


 少女が、その小さな身体で少年を守るように立ちはだかった。だがリーダーは一言も発することなく槍の石突きで少女の腹を打ち、そのまま横殴りに突き飛ばす。


「ぐっ!!」


 後頭部を木の幹に叩きつけられくぐもった悲鳴を上げる少女。それをかまいもせず、リーダーは兵士たちにあごをしゃくる。小さく頷いた兵士たちは数人がかりで少年の両手を背中側にねじりあげた。


「やめろ! やめろーっ!!」


 バタバタと抵抗する少年はいきなり腹を殴られて悶絶する。そのすきに兵士たちは彼を縄でグルグル巻きにした。


「お兄ちゃんを返――」


 鼻血を流しながらなおも立ち上がろうともがく少女を、リーダーは感情のこもっていない目つきで見つめると、やにわにぶんと槍を投げた。

 次の瞬間、少女の小さな身体は肩口からざっくりと刺し貫かれ、まるで昆虫標本のように木の幹に縫い付けられた。


「おとなしくしてればケガをせずにすんだものを……」

「しかし班長、ここもすぐに火の海ですぜ」

「となれば、どっちにしても同じだったな」


 兵士達は芋虫のように身体をくねらせながらなおも絶叫する少年にさるぐつわをかませると、感情の薄いニヤニヤ笑いを浮かべながら村を離れた。





「ほう?」


 サンデッガ王は、天幕の床に打ち込まれた杭に縛り付けられた少年の顔を長剣の鞘でつつき回し、疑いの声を上げた。

 上下とも下着一枚に剥かれ、口にさるぐつわ、杭を挟んで後ろ手に手かせをはめられた少年は、ただサンデッガ王を憎々しげににらんで一言もしゃべらない。

 頭、そして下腹部から右太ももに巻かれた包帯は薄汚れ、荒っぽい扱いを受けたせいで再び赤黒く血がにじんでいる。


「これが? このような貧相な少年が? 単身城を落とし、大魔道士アルトカルを討ち取った魔道士だと? まったくもって信じられんが?」


 そのまま背もたれ付きの床几しょうぎにどかりと腰を下ろし、長剣を護衛の騎士に手渡して足を組む。

 その声に応えるように、弩弓兵の長が王の前に進み出て頭を下げる。


「間違いございません。空を飛んで包囲を抜け、国境の川にまでさしかかったところを私どもが打ち落としました。森の民がかくまっていたため発見にかなり手間取りましたが、この通り腰と太ももに矢傷がございますし、顔を知る魔道士の生き残りも間違いないと——」

「で、どうやってこやつの術を抑えておる? 聞くところによると、こやつは詠唱なしで魔法を使うというぞ?」

「は、それが、記憶を失っているようで、自分の名前すら思い出せないようでございます。もちろん魔法もまったく使えません」

「なんだ、それではこやつを兵器として使うことはできぬのではないか?」

「難しいでしょうな」

「回復の見込みは?」

「治癒師の話では、まったく予想がつかぬそうで……」


 その答に、サンデッガ王は眉をしかめて黙り込んだ。




 

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