第158話 女王の帰還

「陛下!!」

「母さま!!」


 女王セイリナが気づくと、目の前には不安そうな表情で自分を覗き込んでいるエンジュとスリアンの顔があった。女王が目を開けた途端、二人の表情はわかりやすく緩んだ


「私は……一体? それにここは?」

「川岸に漂着されているのを斥候が発見いたしました。かなり衰弱のご様子ですが、幸い大きなお怪我もなく……ほ、本当に良かったですぅ」


 エンジュが涙ぐみながら女王の身体にしがみつく。スリアンも同じように目を赤くしていたが、彼の場合はどうやら心労と寝不足で充血しているようだった。


「着ている服が血まみれだったので、大怪我をなされているのではないかと心配で——」


 しがみつくエンジュの頭を撫でていた女王は、スリアンの説明にハッと目を見開くと、身体を起こそうとして二人に慌てて押しとどめられる。


「サイは? 近くにいなかったか? 彼が私をここまで運んでくれたのだ!」


 だが、二人の表情はすぐれなかった。


「対岸からも、サイの隕石落としや電撃魔法が見えました。だから、私達も彼がすぐそこまで来ているものと確信していたんですが……」

「まだ見つかっていません。念のため下流に向けて小舟を出したのですが、痕跡さえも見つけられず……もちろん引き続き捜索は続けてます」

「……そうか」


 女王は深いため息をついた。


「捜索はもう少し続けてくれないか」

「言うまでもありません!」


 スリアンは当然のように頷いた。


「ところで、お前たちはどうしてここへ? タースベレデに向けた伝書鳥は落とされたようだが」

「ええ、鳥は届きませんでした。でも代わりに彼がお二人の動きを伝えてくれたので……」


 スリアンが目を向けた先には、こちらに走ってくる若い男の姿があった。


「そなた、確か……」

「女王セイリナ、またお会いしましたね。図書館マヤピスのナオです。まずはサンデッガから無事の脱出、お喜び申し上げます」


 こんな状況でも、彼の飄々とした態度は変わらない。何となく人をバカにしたようにも見えるその態度に、女王は思わず口を荒らげた。


「無事などではない! 従者が二人も命を落とした上に、ゴールドクエスト侯が行方不明だ。この事態を招いた責任の一端はそなたらにもあるのではないか!?」


 すると、さすがの厚顔無恥も多少は神妙な顔つきになる。


「それについては心よりお詫びします。サンデッガ王に近づいたウチの若手が誘導をミスりまして」

「どういうことだ?」

「ええ、拷問で洗いざらい吐かされ、あげくに殺されちゃったらしいんですよ」

「何!?」

「サンデッガ王みたいな薬中毒ヤク中人間クズには俺が付くべきでしたね。理想の高い生真面目な奴だったんですが、理屈の通じない人間に正論を吐いて警戒されちゃったんでしょうねぇ」

「正論?」

「ええ、サンデッガの勝ち目はもうない。速やかに講和すべきと……」

「……ああ、いきなりそれは逆効果だな。なんでそんな堅物を遣わすんだ?」


 女王は嘆息した。

 サンデッガ王と直接の面識はないが、かつて雷の魔女がサンデッガ王とアルトカルのはかりごとを抑えに動いた時の報告は受けている。

 典型的な独裁者の二世、武勇には秀でるが政治感覚はきわめて凡庸、甘い話を信じ込みやすく、一方耳に痛い諫言かんげんには反発する性格。魔女は手厳しくそう評していた。

 恐らくアルトカルの甘い言葉に乗せられ、どこかでヘクトゥースに手を出して視野狭窄きょうさくに陥ったのだろう。そんな人間に正論をぶって受け入れられるはずもない。


マヤピスウチも筆頭司書が代替わりして間もないですから、人材が足りないんですよ」

「だったら余計なことに口を挟まず、自国の運営のみに専念しておればいいものを……」


 女王の諫言に、ナオは小さく首をすくめただけでそれ以上反論しようとはしなかった。


「で、そなたは一体なに用でタースベレデに見えられた?」

「ああ、それは——」

「母さま、ナオはサンデッガとの講和をお膳立てに来てくれたんですよ」

「だから、それは失敗したとたった今聞いた——」

「いえ、彼が繋いでくれたのはサンデッガの宰相です。今はアルトカルに代わって遠征軍の総司令官を務めています。今やサンデッガ唯一の良心、ボクはそう信じています」




 その後、女王は馬車で近くの砦に移動することになった。

 サンデッガとの国境に最も近い砦の訓練場には何十もの大天幕がびっしりと並んでいる。その中では、王都の森から移され、今もタースベレデに残留する数百人のサンデッガ遠征軍兵士が捕虜として集団生活を送っていた。

 彼らは停戦と同時に宰相の指示で武装解除に応じ、持ち込んだ武装はすべて頑丈な石造りの武器庫に集められた。現在はタースベレデの兵が武器庫の鍵を管理している。

 また、聞き取り調査の結果、魔道士だけではなく、一般兵の中にも恐怖をやわらげ戦意を高揚するお茶と騙されてヘクトゥースを処方された者が多かった。現在彼らには身体から薬を抜くために毎日一度の蒸し風呂浴が義務づけられている。

 おかげで規律は落ち着いており、大人数の屋外生活の割に不潔な印象は感じられなかった。

 そして、彼らを束ねる総司令官、宰相ペルボックはそんな砦の作戦室で女王を待っていた。


「女王陛下、お初にお目にかかります。サンデッガ宰相兼内務相、ペルボック・ソンサルンです」


 宰相は素早い身のこなしで椅子から立ち上がると、落ち着いたやわらかい声でそう自己紹介し、女王に向かって深々と頭を下げて臣下の礼をとった。


「セイリナ・パドゥク・タースベレデだ。そうかしこまらずともよい。私は座らせてもらうゆえ、貴殿もどうか楽にして欲しい」

「いえ、そうは参りません。我々は負けたのです。言わば立場は貴国の属国。宗主国の王にはそれなりの礼を尽くすべきかと——」

「ふむ、どうだろうか? 貴殿らの王はまだ諦めてはいないようだが?」


 女王の皮肉に、ペルボックは露骨に眉をしかめて鼻を鳴らした。


「貴国の魔導伯に——」

「魔導侯、だ。昇爵の予定がある」

「失礼。貴国の魔導侯たったひとりにまたたく間に王都を落とされ、王の塔のみ、あえて手つかずで残されたと聞き及んでいます。それすなわち、惨めに首をさらし民に石を投げられるのではなく、みずからいさぎよく降伏せよとの慈悲と感じ入りました」

「さて、貴殿らも宣戦もなしに我が王都を陥落寸前にまで追い込んだではないか。状況はそう変わらぬと思うが。なにゆえ卑屈に負けを認める? 今よりもう一戦やれば帰結はわからん。現に貴殿らの王は国境まで兵を率いてやる気満々だぞ」


 ペルボックの渋面はますますひどくなる。


「陛下、そういじめないで頂きたい。私は、こたびの戦、我々に道理なしと考えております。そもそも、我々は貴国に攻め入るべきではなかった」

「まあ、それはそうだ。まったくもって理不尽だと思う」

「であれば、貴国は我々の兵を国境まで押し戻せばそれで勝利でございます。ところが貴国は我が方の戦闘魔道士を全滅させたに留まらず、一気に我が王都まで落とされた。仮に、あえて取った取られたの卑小な話のみに終始したとしても、我々の方がはるかに傷は大きい。これ以上の損害をこうむれば、もはや国そのものが持ちません」

「……ふむ」


 女王は少し考える仕草を見せた。


「要するに、貴殿はこれ以上戦いたくない、と?」

「あけすけに申し上げれば、その通りでございます」


 ペルボックはようやく表情をやわらげて大きく頷いた。


「この砦に寝起きする我が方の兵にもはや戦意はございません。それどころか、大部分がこのまま貴国の民になりたいとさえ申し出ております」

「……なるほどな。貴殿らの気持ちは理解した。しかし……」


 女王は脱出前の状況を思い起こしながら天井を見上げる。


「貴殿らの王は、味方の後ろから猛然と矢を射かけてきたぞ。みずからの兵がいくら倒れようとまるでお構いなしだ。城を落としたゴールドクエスト魔導侯さえ始末すれば……もはやその一念で後はどうなろうが構わないと考えているのだろうが……」

「そ、それは……」

「はっきり言うぞ。もはや正気とも思えぬ」


 その言葉に、部屋の温度が数度下がったように感じられた。


「仮に貴殿が我が国との和睦をとりまとめたとしても、貴殿らの王は聞く耳を持つまい。それはどうするのだ?」


 ペルボックはその問いに答えることができなかった。

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