第157話 脱出

「陛下、これ以上は支えきれません。馬車を捨てて丘を下りましょう!」


 サイは馬車に背中をあずけながら叫ぶ。

 その間にも、正気をなくした歩兵達が次々と襲いかかり、迎撃のため常時展開状態の多重魔方陣は十組、計百枚を超えた。さすがにここまでの同時展開は脳のキャパシティ一杯のようで、激しい頭痛がさっきから止まらない。


「わかった。どうすればいい?」


 一方、女王は冷静だった。

 冷静でなかったのは女王と共に馬車から降りたメイドの方で、眼下一面に転がる大量の死体を目にして絶叫し、立ち込めた血の匂いに体を折るとげえげえと胃の内容物を吐き戻した。


「わ、私、無理です!!」


 あらかた吐き終わった彼女は口の端を乱暴に拭うと、涙目でそう叫びながら後ずさった。


「大丈夫。落ち着いてゆっくりこっちに――」

「い、イヤ〜ッ!!」


 だが、錯乱した彼女はサイ差し出した手をはたき落とし、くるりときびすを返してそのまま丘を駆け降りていく。


「ダメだ! 待って!!」


 止める暇もなかった。次の瞬間、一本の矢が彼女の左胸に突き刺さり、矢じりの先が背中側に突き抜けたのが後後からもはっきり見えた。

 彼女は何かを掴むように両手を前に伸ばし、そのまま一言も発せず仰向けにぱったりと倒れ込んだ。


「ああっ、くそっ!! もう追いついてきたのか!?」


 木々の間にチラチラと見え隠れする旗に描かれているのは、地雷で足止めしたはずの地方貴族の紋章だった。


「どうやら、挟み撃ちにあったな」


 女王は冷静にそう分析するとサイの顔を覗き込んで言った。


「サイ、追っ手の狙いは恐らく私だ。貴殿まで無駄死にする必要はない。私を置いて逃げよ」

「しかし殿下!」

「歩くこともおぼつかない私を、その小さい体で支えるのは無理だろう? どうか生き延びて国に戻り、スリアンを支えてやってほしい」

「そんな、これで最後みたいなこと言わないでください!!」


 サイはガンガンと痛む頭で必死に打開策を考える。


「これ以上ここにいちゃダメだ。どうにか敵をかいくぐって……」


 丘の頂上で前後を大勢の敵に挟まれ、逃げ道はもはやどこにもない。

 と、どうやら前後の敵が通じたらしい。同士討ちを避けるためか、貴族側からの矢の勢いがわずかに衰えた。


「うん? これなら……行けるか?」


 サイは女王の背後に回り込み、羽交い締めするように脇の下に腕を通した。


「な!? 何を?」

「吟遊詩の英雄ヒーローみたいに格好良く抱き上げることができずにすいません。痛むと思いますが、少しの間我慢して下さい」


 サイは自身の両手を女王の胸の前で組み合わせ、そのまま一気に吊り上げた。


「サイ! 何を!! ぐぅっ!」

「舌を噛みます! 黙って、できるだけ体を縮めて!!」


 矢の勢いがさらに弱まった一瞬をついて、二人はまるで弾かれたように空に舞い上がった。


「サイ、貴殿、空を……」

「防具に仕込まれた金属板を魔法で釣り上げているだけです。残念ながら運ぶのは一人が精一杯ですし、それほど長い距離は無理そうですが……」


 サイの言葉の意味に気づいたのか、女王はそれ以上言葉を続けようとはしなかった。


 戦場の喧騒が遠ざかり、二人の耳にはぴゅうぴゅうという風の音しか聞こえなくなった。

 静寂の中、サイは歯を食いしばって必死に女王の体を支える。やがて眼下に国境の川が見えてきた。


「陛下、あと少しだけ頑張って下さい。国境を越えます」


 国境の向こうに味方が待っている可能性は低い。だが、今はそれくらいしか心のよりどころがない。


「サイよ」

「はい」

「今話す内容ではないかも知れんが……」

「何でしょうか?」


 女王は苦しげに少しだけ言葉を切ると、つぶやくように言った。


「今ここで、貴殿を候爵に任じたいと思うのだが……」

「は? いきなり何を言い出すんですか! そんなこと、戻ってからゆっくりでいいじゃありませんか?」

「いや、どうすれば貴殿のこれほどの献身に応えられるものかと……」

「僕はやりたいようにやっているだけです。それに、さすがに今回は祖国サンデッガに愛想が尽きました。いくらなんでも――」

「そのことだが、貴殿はおかしいとは思わぬか?」

「何をです?」

「ああ、どうして我々はこんな目にあっている?」

「こんな、とは?」

「ああ、サンデッガ王の動きや地方貴族どもの動きがあまりにも的確すぎるとは思わないか? 我々の動きが読まれてる」

「……伝書鳥が、敵の手に落ちたかと」


 サイは歯を食いしばりながら答える。

 魔力にはまだまだ余裕があるが、女王を支える腕のほうがそろそろ限界を迎えつつあった。

 川をあらかた渡り終え、万一に備えて緩やかに高度を下げ始めた矢先、鋭い風切り音と共に、サイは脇腹に激しい痛みと衝撃を感じた。


「……陛下」

「どうした」


 急に口調を変えたサイに、女王は心配げな口調をにじませる。


「どうやら、これ以上お守りできなくなりま——」


 その先は続かなかった。二人はみるみる高度を下げ、川面に叩きつけられるように落下した。

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