第155話 サイ、待ち伏せにあう
サイと女王がタースベレデ目指してマヤピスを離れたのはその翌日のことだった。
出立に当たって馬車以外にマヤピスから借りられたのは、サイが駆る馬一頭、そして御者とメイドがそれぞれ一人ずつだけだった。喉から手が出るほど欲しい護衛の人員は一兵たりとも手配されなかった。
「申し訳ありませんが、陛下にお貸し出しできるような自前の兵力は私達にはありませんので……」
見送りに出たアルダーはそう言ってすまなそうに頭を下げた。
絶対中立を建前とする以上、このタイミングで片方の勢力にこれ以上肩入れするわけにはいかないというのが彼女らの挙げたもう一つの理由。
だが、女王の傷はまだ完全に回復しておらず、弱音こそ吐かなかったが、実際はかなり辛そうだった。そのため馬車は歩くより少しはマシ程度の速度しか出せず、一日に進める距離はじれったくなるほどわずかだった。
その一方、どこで情報が漏れたのか、追っ手はしつこかった。
王城所属のサンデッガ兵はサイが建物ごとすりつぶしたが、タースベレデ遠征にも参加していない周辺領主の抱えた私兵は今もほぼ無傷と言っていい。
王や大貴族の弱体化を見て、隣国女王の身柄を土産に下剋上の夢でも見たのだろうか。街道を進むにつれ、そのたびに違う旗印を掲げた中小貴族の私兵が次々と現れては一行を悩ませた。
追いすがってくる兵を足留めするため、サイは夜な夜な街道に大量の地雷魔方陣をしかける作業に追われた。強力な雷撃魔法で一気に無力化することは簡単だが、余計な恨みを買って将来の停戦交渉を妨げるわけにもいかない。手加減が難しかった。
昼は森の奥に身を隠して襲い来る野獣や魔獣を倒しつつ、夜は夜で闇に紛れての神経をすり減らす逃避行は、結局、一週間にもおよんだ。
「サイ、貴殿には苦労をかけてすまない」
メイドに背中のクッションを整えてもらいながら、女王は気まずそうに言う。
「いえ、陛下をお守りするのも僕の任務ですから」
サイもまた、目の下にくまの浮いた顔で無理やり笑う。
逃げ隠れしながらの道行きは、サイに暗殺者から身を隠しつつ故郷を目指したあの頃を思い出させる。当時はほとんど飲まず食わずで、もちろん身の回りに気を遣う余裕などまったくなかったが。
とはいえ、さすがに一国の女王をあの時と同じように着たきりスズメにはできない。途中の街では可能な限り着替えのための衣服と水浴のための場所を求めた。御者とメイドに身辺の世話と買い物を任せ、その間サイはアーカイブの目も借りて警戒を行う。女王が街を離れるとすぐに背後に地雷魔方陣を設置する。そうやって追っ手の動きを地雷で抑えると、今度は馬車を森に隠し、先行して索敵。
毎日がその繰り返しで、睡眠時間は一日二時間もとれていない。
サイ自身はもう一週間着替えも水浴もできないままで、疲労はそろそろピークに達していた。自分の匂いが気になって、女王に対する時にはさり気なく距離を置いたりもしているが、微妙な表情でそんなねぎらいの言葉をかけるということは、まあ、そういうことなのだろう。
「魔道士様、そろそろ峠ですが……」
緩やかな上り坂にさしかかったところで小声で呼びかけられ、いつしか馬上で舟を漕いでいたサイははっと身を起こす。
「あ、はい!」
改めて前方を見据えれば、タースベレデとサンデッガの国境をのぞむ小高い丘の頂上がもう間もなくだった。
「この峠さえ越えればなんとか……」
サイはつぶやく。
女王の無事を知らせる伝書鳥はマヤピスを出た日の朝に放ってある。鳥が無事に王都に届いてさえいれば、この峠の向こうに広がる平原のそのまた先に、タースベレデ王直騎士団の迎えが来ているはずだ。
こずえの向こうに、うっすら白みつつある空が次第に広がる。
やがて峠の頂上が見えてきた。
「頂上だ!」
思わず声が漏れる。
眼下には、国境に向かう一本道が平原を緩やかなカーブを描きながら貫き、その向こうに国境の川が暗い筋を描いているのが見えた。
「うん?」
大きくのびをした瞬間、何かがサイの神経をピリリとなでる。
「待て、止まって!」
かすかな違和感に馬車を制止させ、うす暗い平原を目をこらして見る。
(アーカイブ!)
『何でしょうか?』
サイが短く呼びかけると、アーカイブは打てば響く素早さでサイの脳裏に返事を返した。
(僕らの前に……)
『いますね。数はおよそ一千、完全武装の歩兵が平原に伏せています』
(サンデッガ兵?)
『断言はできませんが、サンデッガ王都近郊から北側を大きく迂回して、川をさかのぼって平原に入ったようです』
(まだこんなに……伝書鳥が敵の手に落ちたのか……)
サイは大きくため息をつくと、馬車をコンコンとノックする。細く開いた鎧戸から濃い藤色の両目がのぞく。
「どうした?」
「待ち伏せです、陛下」
「……貴殿だけで立ち向かえそうな規模か?」
その問いに、サイは首を小さく横に振る。
「ギリギリかと。生き残るためには、一切手加減ができません」
「ふうむ、敵は何者だ?」
「恐らく、サンデッガ王の……」
「まだそれほどの戦力を残していたのか。もしや、王みずから……?」
アーカイブの目を借り、敵陣を高空から赤外線スキャンする。すると、陣の後方中央にそこだけひときわ温度が高く、騎兵が密集して守りの堅そうな一角が見つかった。
「陣幕の中で火を焚いている? もしかしてあれは……」
「サンデッガ王の陣幕だろう」
女王は吐き捨てるように断言した。
「どうやら、私達は巧妙にこの場所に追い込まれたらしいな。あわよくば穏便に講和を進め、和平のなったあかつきにはスリアンに譲位を……と期待したのだが」
女王の声音は心底残念そうだった。
「あくまでも戦いを求めるか……」
その時、夜明けの太陽の最初の一片が地平線上に姿を現した。
「なれば、今しばらく王権を預かる者として、私は貴殿に命じなければなるまい……残念だが」
サイは黙って
「では……サイプレス・ゴールドクエスト魔導伯、女王の名において命じる。前方の敵を殲滅し、血路を開け」
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