第152話 筆頭司書の憂うつ
「もう一つ、よろしいでしょうか?」
永遠とも思える沈黙の後、アルダーが再び口を開いた。
「今回の戦役、実はもう一つ大きな懸念があります。つまり、サンデッガにおける危険薬物、ヘクトゥースの大量流通です」
サイははっと顔を上げてアルダーの顔を穴が空くほど見つめた。
「どうしてそのことを!?」
「ええ」
アルダーは小さく頷く。
「私達
「あ、マヤピスの遠耳! スパイ組織ですよね?」
「あぅ、えー、本来彼らは諜報員ではないのですけど……長年の間にそういう性格を帯びてしまったことは事実です」
アルダーはしかめっ面で小さくため息をついて更に続ける。
「結果的に、ではありますが、ここマヤピスには大陸中からあらゆる情報が集まります。それらを分析して、時にちょっとしたおせっかいをすることもあります。今回の件もその一環ですね」
「どうしてそんな面倒な……マヤピスの本当の思惑は一体何なんです?」
「私達の望みは貴重な書籍が失われないこと。そのための世界の安定です」
アルダーは躊躇なくそう言い切ると、自慢げに胸を張る。
「動乱や戦火で貴重な図書が失われることのないよう、大陸各国家の安定をはかりバランスを取るのが究極の目的です。そのため、大昔から災害時の立て直しや紛争の調停をつとめることも多いようです。最近も、オラスピアの建国にちょっとしたお力添えを――」
「ああ! 〝魔法使いルッコ〟!?」
「ええ、ご存じでしたか」
「もちろんです」
サイは幼い頃に読んだ絵本を思い出した。
〝魔法使いルッコの冒険〟は誰でも知っている有名なおとぎ話で〝ルッコ〟はそこに出てくる伝説の大魔法使いだ。図書館の地下に引きこもる変人で、時々気まぐれにふらりと旅に出ては滞在した国の危機を救ってその国の王女とロマンスを繰り広げ、こっぴどく振られて半泣きでまた引きこもるというオチがつく。今でも吟遊詩人の定番演目だ。
大多数の人には空想上のキャラクターと思われているが本当は歴史上実在の人物がモデルで、小国家が乱立し混沌としていた時代に活躍し、たびたび各国の危機を救った、とも言われている。
「ルッコはマヤピスの人間だったんですか!?」
「そうです。本名ル・グオラ・マヤピス。かつての王族です」
「王族! 初めて知りました!」
「彼はたびたび他国に軍を派遣して治安の維持に努め、災害の時にはあわせて文官や職工なども派遣していたようですね」
「でも、マヤピスは軍を持ってませんよね? 王様もいないと聞いてますが?」
「ええ、国が落ち着いてくると、どこも次第にマヤピスから軍を受け入れることをためらうようになりました。で、ある時、侵略を疑われて大騒ぎになって以来、力による治安の維持を諦め、軍隊を解体して今のような回りくどいやり方をするようになったそうです」
「あー。なるほど」
「あと、王、というのは誤解を招きますね。マヤピスに王制はありません。実質的な国の運営は司法、行政、立法の三権の長が合議で行いますが、それとは別に、オーナーが存在するんです。それを便宜上、王と——」
「オーナー?」
「ええ、マヤピス図書館を含むマヤピス湖全体が、個人の持ち物なんです」
「へ、へ〜?」
サイはもちろん魔法使いルッコのおとぎ話にそんな裏の事情があったとは知らなかった。感心して何度も頷く彼を、アルダーはまるで姉が弟に向けるような柔らかな視線で見つめる。
「ところで、話を戻してよろしいですか。ヘクトゥースの件ですが……」
「ドラク帝国の崩壊のどさくさで大量のヘクトゥースを持ち出したドラクの残党が、南の山脈に築いた隠れ家から大量に持ち出している?」
「な!? どうしてそれをご存じなんですか!!」
アルダーが驚愕の表情を浮かべた。
「ヘクトールの流通ルートに関わった人間と色々因縁がありまして」
サイの脳裏にメープルのおもかげが浮かび、彼は胸にこみ上げてくる苦い思いをこらえながらそう切り出した。
「タースベレデのスリアン王子と——」
「あれ? 王女、ですよね?」
今度はアルダーがすかさず突っ込みを入れ、サイは額に汗を浮かべながら咳払いをする。
「そ、そうか、マヤピスには全部バレてるんでしたね」
「あ、でもご安心下さい。この件を知るのはマヤピスでもごく限られた人物だけです」
にっこり微笑まれて、サイは覚悟を決めた。
情報の出し惜しみをして腹の探り合いをするよりも、持っているネタを全部出して、相手にもそれを求めた方がメリットがありそうだ。
「わかりました。全部話します。できればそっちの持っている情報も開示して下さるとありがたいです」
「ええ、望むところです。私もそれをご提案差し上げようと思っていました」
柔らかな表情で頷くアルダーに促され、サイは話し始めた。
スリアンと共にタースベレデの国内で非合法の〝ヘクトゥース
長時間話し続けて喉がカラカラになったサイは、テーブルの上でいつの間にかすっかり冷え切っていた黒豆茶を一気に飲み干し、ソファの背もたれにドサリと身体をあずけた。
それまでずっと黙ってサイの話を聞いていたアルダーは、その途端目が覚めたように背筋を伸ばし、まるで魂を吐き出すほどの長い長いため息をついた。
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