第149話 サイ、図書館都市を訪れる
翌日の昼下がり、サイとナオはマヤピスの湖が見渡せる丘の上に馬を進めていた。
ここは街道をやって来た隊商がマヤピスに入る前の時間調整とか休憩に使う場所らしい。街道から少しそれた場所に数台の馬車が一度に野営のできる広場があり、休憩中に馬が草を
「ほら、あの、ほぼ円形の湖がマヤピス湖、そして湖の中央にそびえる円錐形の小島がまるごと、図書館都市マヤピスだ」
ナオが敷地の端に寄せた馬の鞍から景色を見下ろしながら指を差す。
言われるままに眺めれば、小島の頂上には西洋の要塞にも似た、窓の少ない石造りののっぺりとした建物が威容を誇っていた。さらに、そこかららせん状に下る街路には、大小様々の建物がびっしりとすき間なく建ち並んでいる。
島の頂上にある要塞風の大きな建物が恐らく図書館、それ以外の建物が図書館の業務を支える施設群なのだろう。
島のふもと、湖岸付近のなだらかになっている部分には旅館とおぼしき横長の建物が何軒も軒を並べ、対岸と島を結ぶ幅の広い橋がここから見える範囲だけでも五本かかっている。どの橋も中央には検問所とおぼしき背の高い門があり、昼飯時にもかかわらず門前には長い行列が続いていた。
「凄いにぎわいですね。この島に一体何人住んでいるんです?」
「さあどうだろう? 図書館職員だけで数百人、あとは商店関係、長期滞在の図書館利用者も含めてざっと七、八万人くらいかな?」
「八万!!」
サイは思わず驚きの声を上げた。
この世界の人口密度は低く、都市とは言え丘の上から全景が見渡せる程度の範囲に万を超える人口が密集してるのは相当に珍しい。
「あ、マヤピスに籍を置いて定住してるのは多くて二万人くらいだぞ。あとの六万はだいたい図書館の長期利用者だな」
「それにしたって……図書館の職員が数百人もいるんですか!?」
「ああ、筆頭司書を頭に司書職だけで二、三百人程度、あとは俺みたいな外勤の連中や事務官も入れた総数だけどね」
「司書が二百人……」
思わずため息がもれた。
理彩の世界では知識を頭に詰め込むために結構頻繁に図書館に通った。
だが、高校図書館には司書資格を持つ担当教諭がひとりしかいなかったし、市の図書館でも司書を名乗る人間は施設ごとにせいぜい数人がいいところだった。いかにこの施設が巨大かということでもある。
「少年、君にはまず筆頭司書に会ってもらう。詳しい話もそこでされると思う」
だが、ナオはそれ以上つっこんだ説明はせず、湖に向かう街道に早々に馬の向きを変えた。
「ほらー、置いてくよ〜。俺と一緒に入らないと入境待ちの行列で午後が潰れるぞ」
急かすナオに距離をあけられ、サイは慌てて馬に鞭を入れた。
それでも結局、検問所に入れたのは夕方になった。
サンデッガに籍を置く商人や村を棄ててきた難民が大量に島に押し寄せ、検問所ではそれらを選別したり追い返したりする業務でてんてこ舞いになっていたからだ。
「東のタースベレデとは戦争中、だが南のルクレチアとはメーン川で、西のメサとは海で隔たれてどちらも簡単には渡れない。となると、逃げ込む先は
ナオは検問所を出るやいなや大きく伸びをして、げっそりした表情でぼやいた。
「そんなにヤバい状態なんですか?」
「ああ、ハブストルでの味方
「でも……」
眉をしかめるサイに、ナオは同意の頷きを返す。
「そう。逃げる余裕があるだけまだましだね。ほとんどの民は今いる場所を動けない。俺達がサンデッガ王への手出し無用を申し出ているのにはそういう理由もあるんだ。これ以上国が揺らいで国土が荒れると、最後にしわ寄せを食らうのは一番立場の弱い人達だから」
「……」
だが、サイはその言葉に素直に頷くことができなかった。そんな様子をため息交じりに見つめていたナオは、その姿を認めて近寄ってきた事務官の耳打ちに小さく頷くと、パンと自分の両ほほを叩いて息を吐く。
「さて、あまり遅くならないうちに図書館に行こう。筆頭司書が待ちくたびれてる」
言いながら、らせん状に島を取り巻くメインストリートではなく、折り返しながら頂上まで伸びる狭い階段を指さした。
「よーし、じゃあ上まで競争しよう。負けた方が晩メシをおごりな! それっ!!」
「あ、ちょっ!」
そう言うやいなや、ナオはサイの返事も待たずに猛スピードで駆け上がりはじめた。またたく間に小さくなる背中を見て、サイはため息をつくと、口の中で小さく呪文を唱えた。
「はぁ、はぁ、ひぃ、ふぅ、おい少年、はぁ、卑怯だぞ! 俺は聞いてない!!」
ひんやりとした空気の満ちる閉館後の図書館ロビーで、ナオは膝に手を置いて荒い息を整えながらサイに文句をつける。
「何言ってるんですか、大人げない。僕の返事も聞かずにいきなり駆けだしたのはあなたの方です」
「いや、でもだね、ふぅ、まさかこの世界にこれほどの飛行魔法の使い手が、はぁ、いるなんて——」
「お言葉ですが、これは飛行魔法じゃないです。着ている防具の金属を磁気で引っ張ってるだけで——」
「ナオ、君の負けだ。まったく見苦しいぞ!」
天井の高いロビーに、突如ハスキーな若い女性の声が響く。
ピクリと身構えるサイの正面、幅の広い大階段の最上段に、いつの間に現れたのか小柄な少女の姿があった。
襟が高く、裾が広がった独特のデザインの白い制服に身を包んだ彼女は、ランプの光の中に一歩踏み出ると、サイの驚いた顔を見て薄い唇にうっすらと笑みを浮かべた。
「サイプレス・ゴールドクエスト魔導伯? お初にお目にかかります。私の名前はアルダー。このマヤピス大図書館を預かる筆頭司書です」
まだ顔つきにあどけなさすら感じさせる若い女性は、そう言って優雅に頭を下げた。
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