第148話 サイ、王都を脱出する
「えっ! 女王陛下を!? ご無事なんですか!?」
「しっ! 声が大きいよ」
驚きのあまり立ち上がるサイを
使い込まれて黒光りする年代物の椅子はギギーッと間抜けな音を立て、サイの大声で一瞬張り詰めた店内の空気はそれをきっかけに再び緩んだ。
「せっかく密談してんのに〜。目立ってどうするんだよ?」
「あ、でも、その……すいません」
「……まあ、驚く気持ちはわかるけどさ」
ナオは再びテーブルに身体を寄せると、大皿に盛られた串焼肉を無造作に取って串の先をサイに突きつける。
「陛下はご無事だよ。我々が保護したときには大けがをされていたけど——」
「えっ!?」
「心配するなよ。マヤピスに移送してすでに治療した。後遺症もほとんど残らないはずだ」
「……本当ですか?」
「少年、君は本当に疑り深いなあ」
ナオはうんざりしたように身体を椅子に投げ出すと、いまだ疑いの目で見るサイに向かって苦笑いめいた表情を返す。
「マヤピスが大国の狭間にあってなんとか独立を保っていられるのは、徹底した中立主義と、老化以外のどんな病気やケガでも直す門外不出の医療技術があるからなんだ。誰にでもってわけじゃないけど、マヤピスの上層部が認めさえすれば、たとえ他国の王族であっても、それなりの対価と引き換えに治療の機会が提供される」
「そう……なんですか」
「ああ」
ナオは「まかせろ」とでも言いたげにドンと自分の胸を叩いた。
「で、だ。取引の条件というのは、君達が戦争を即刻やめてサンデッガと速やかに
「ええ!?」
「もちろん、賠償金なんかは好きにふっかけてもらって構わない。けど、こっちの王家と支配体制に手は出さないことを約束して欲しい」
「どうしてですか!? サンデッガはタースベレデの王族を何人も手にかけたんですよ。少なくともその責任を――」
「うん、でもそれを判断するのは君じゃないよね?」
ピシャリと言われてサイは黙り込む。
「まぁ、何はともあれスリアン王子に会わせて欲しい。俺だってなにも好き好んでこんな腐敗した国を庇いたいわけじゃない。ただ、この国が荒れるとマヤピスも困るんだ」
「どうし……ああ、そうか」
サイはようやくナオの言い分を理解した。
マヤピスはサンデッガの国土の中にポツリと存在する独立した都市国家だと聞いている。人の足で半日もあれば一周できるほどの小さな湖の中にお椀を伏せたようなきれいな円錐形の島が浮かぶ、そのあまりにも小さい国土には、大陸最大規模の図書館と、それを支える施設群しか存在しないらしい。
そこで働く人間のための食料も必要な物資も、すべてを対岸のサンデッガ経由で手に入れている。それどころか、警備や治安維持のための兵士の派遣までサンデッガを窓口に、
サンデッガが荒廃してそれらが手に入れられなくなったり、価格が暴騰してしまうのは確かに困るだろう。
「まぁ、他にも色々面倒な話はあるんだけど、現時点で一番大きい理由はそれかな」
ナオは串焼き肉を頬張り、予想外のうまさに目を丸くしながらしきりに頷いている。
「でもね、俺がここで偉そうに言ったところで簡単に信用してもらえるとは思ってない。だから、まずは我々を知ってもらうために、君を
「えー……」
意外な申し出を受けてサイは悩む。
まだ戦争は終わっていない。サンデッガ軍の主力もまだタースベレデ王都の郊外に布陣したままだ。
このままの状態を放置して、タースベレデ王都に再び攻め込まれでもしたら相当面倒なことになる。今、あれだけの規模の部隊に対抗できる武力は、サイ自身、自分以外に心当たりがない。
「遠征軍のことを心配しているのなら
だが、ナオはサイの気持ちを見透かしたようにのほーんと言葉を補う。
「今、アルトカルの代わりに軍の指揮をとっているのはサンデッガの外務卿、ああ、今は宰相も兼ねてるよね。彼は一貫して戦争反対論者だし、一刻も早くこのバカな争いを終わらせたいと思っているはずだから」
「……なんでそこまで確信を持って言えるんですか?」
「え、だって、渋る彼のお尻をひっぱたいて軍に同行させたのは俺だもん」
「はあっ!?」
「だって、アルトカル一人に遠征軍を任せてたら危なくてしょうがないだろ? 戦争だからって好き放題に略奪されたり虐殺されたりするのは困る。それに、時が来れば遠征軍とタースベレデの上層部の間で交渉が必要になるのはわかっていたしね。理性的な人間を現場に置いておきたかったんだ。もしかしたら今ごろ……」
そこまで言いかけ、ナオは思い直したように口をつぐむ。
「今ごろ、何ですか?」
「いや、今は不確かなことは言わないでおこう。どうせすぐわかることだし」
そこでナオはいたずらっぽい表情を浮かべてニッと白い歯を見せた。
結局、サイは結論を保留したままナオに同行することにした。
アルトカルを殺害したことで半分気が抜けてしまい、またサンデッガ王にこれ以上の手出し無用と言われては、他に行き詰まりを打開する方法を思いつかなかったからだ。
最終的に決断をするのはナオが指摘した通りスリアンの仕事になるだろう。とはいえ、今やタースベレデ唯一の(と言ってもいい)王族となった彼女に素性の怪しい人間を近づけたくはない。事前にできるだけよく調べておきたかったという理由もある。
「で、本当に女王陛下には会わせてもらえるんでしょうね?」
「しつこいぞ少年。この俺が君に嘘をついたことがあるかい?」
「あるかいって……そもそもさっき会ったばかりじゃないですか?」
呆れるサイに、ナオは悪びれる様子もなくニヤリと笑った。
「まあいいです。嘘だったらトンボ返りしてサンデッガ王を殺すだけですから」
「……少年、さすがにそれは殺伐とし過ぎじゃないかい? お兄さんは君の将来が心配だよ」
今度はナオが呆れ顔を見せた。
「ほっといてください。僕らは戦争をしてるんです」
「まあ、それはそうなんだけどさ」
ナオはそれっきり黙り込んで何かを考えている風だった。
食事を終え、店を出た二人は次第に深まる闇に紛れてサンデッガの王都門を抜け出すと、そのまま都市城壁のすぐ外に店を構える
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