第147話 マヤピスの遠耳

「〝マヤピスの遠耳とおみみ〟ってのは、簡単に言えばスパイ機関みたいなもんだね。様々な身分をかたって他国に潜入し、図書館都市マヤピスの存続に影響しうるさまざまな情報を集めて分析する役割を担っている」

「そんな人が、なぜ僕に——」

「そーだなー、話してあげてもいいが、そろそろ移動しないか? いつまでもここにいちゃ無用な注目を浴びてしまう。それに腹も減った」


 あっけらかんと自分をスパイだと名乗る青年は、周囲を見渡してすこしだけ声を低くする。

 確かに、ほとんど更地になった王城跡にポツリと立つ二人の姿はかなり目立つ。

 今は遠巻きにされて誰も近づけずにいるが、アルトカル(だった)の残骸を発見されれば騒ぎになる。サイは小さく頷くと風魔法の魔方陣を呼び出し、巻き上がった砂塵に紛れてその場を後にした。





 二人が移動したのは下町にあるサイのなじみの宿屋兼食堂だった。

 注文を取りに来たエボジアはサイの顔を見た途端にはっとした表情になったが、見知らぬ青年が同行しているのを見てそれ以上声をかけるのをためらう様子だった。だが、青年はそんな様子にも構わず馴れ馴れしくエボジアに話しかける。


「おばちゃん、何だか大変な騒ぎになってるね〜」

「……あ、ああ、なんでも、空からでっかい火の玉が降ってきて、お城が完全に潰れちまったってさ」

「何だろうねえ? で、この辺は被害はなかったの?」

「雷がすぐそばに落ちたような凄い音と地響きで今にも店が崩れそうだったよ。あと半刻も続いていたらここも危なかったねえ」

「へえ、じゃあ?」

「ああ、お城とその周りのお貴族様の屋敷はあらかた潰れちまったけど、城下には大した被害はなかったってさ。まあ、神罰だとしたらえらく気配りのできる神様さね」

「神罰?」

「ああ、ウチのバカな王様が隣の国に戦を吹っかけたろう? 神様はそれが気にいらなかったんだろうって噂だけど……」

「ふんふん」

「神様は、わたしら下々に迷惑がかかないように、お城だけ潰したんだって……」

「へえぇ」


 相づちを打ちながら、青年はサイに向かってわざとらしくウインクをするとニヤリと笑った。

 確かに、サイの全力攻撃で城の大半と貴族街には壊滅的な被害が出たが、貴族街と下町の間には出入りを制限する名目で背の高い壁が設けられており、それが逆に幸いして庶民の暮らす下町にはそこまで大きな損害が出ていない。


「気配り上手な神様だって、さ」

「なんですか?」

「いやー、別にー。あ、おばちゃん、俺は肉が食いたいな。何かガッツリした肉料理、ないかな?」


 そのまま慣れた様子で何品か注文すると、エボジアが調理場に姿を消すのを待ってサイに向き直る。


「さて、と。色々聞きたいことがあるよね?」

「ええ、そもそも、あなたは何のために——」

「あ、待った待った。この際そういう他人行儀なのはやめよう。俺の名前はナオ。ナオ・ハマサキという」

「ナ……もしかして、あなたは!?」

「だから〝あなた〟じゃなくてナオだって。それに何を聞きたいか、だいたいわかる。お前は日本人か? この世界の外から来たのか〜? だろ?」

「え……」

「ま、結論から言うと答えはイエスでもありノーでもある」

「は? はぐらかさないでくださいよ!」


 いきり立つサイを、ナオと名乗った青年は苦笑いしながらいなす。


「複雑なんだよ、そのあたり」


 答えながら、胸元をはだけてサイに見せたのは、心臓の真上に埋め込まれた魔法結晶そっくりの宝玉だった。


「な……」


 まるで脈動するようにチラチラと光る魔法結晶。結晶の周りはクレーターのように肉が盛り上がり、そこから放射状にミミズ腫れのような筋が胸全体に伸びている。

 サイはその異様さに息を飲んだ。


「……ナオ、あなたも魔道士なんですか!?」

「いや〜、残念ながら俺は魔法に適性がないんだよ」


 だが、ナオの返事はあっけらかんとしていた。


「でも、魔法結晶を——」

「確かに魔法結晶って呼ばれてはいるけど、別に魔道士しか使えない訳じゃない。これはそんな単純なシロモノじゃないんだ」


「え……」


 混乱して黙り込むサイ。ちょうどそのタイミングでエボジアが料理を運んできた。


「はいよ。あと、飲み物は別料金だ。どうするね?」

「あ、僕は水で」

「じゃあ、黒豆茶を」


 どうみても成人しているナオだが、彼はなぜか酒精アルコールを頼もうとしなかった。エボジアは少しだけ顔をしかめ、だがそれ以上何も言わず二人のテーブルに大ぶりのマグをドスンと置いて去って行く。


「エールくらい頼んでくださいよ。おかみに嫌われます。料理だけじゃ大して儲けにならないんですから」

「いいんだ。アルコールは苦手、というか、この手の薬品全般が嫌い」

「薬品って言います?」

「それよりも、君の所の姫に急いで連絡を取りたい。マヤピスを代表して取引がしたいんだ」

「姫? 第一王女ならまだ意識が——」

「違う。俺が会いたいのは第二王女。スリアン・バドゥク・タースベレデ」

「えっ!」

「何驚いてんだ? スリアンが性別を偽っていることは魔女から聞いて知ってる」

「魔女! もしかして、魔女の想い人っていうのは——」

「ああ、そのあたりはノーコメントね。まあ、彼女と親しいということだけは認めるよ」

「ええ? でも、魔女と親しいならスリアンとも面識が……」

「それが、どうやら一方的に嫌われているみたいで」

「どうして?」

「俺がスリアンから魔女を取り上げちゃったからじゃないか?」


 ナオは澄ました顔でそう言うと、サイの脳裏にさらなる爆弾を放り込んできた。


「スリアン王女が我々との取引に乗ってくれるなら、こちらで保護している女王の身柄を引き渡してもいい」

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