第六章

第146話 サイ、謎の青年と出会う

 どのくらいそうしていただろうか。

 不意に強く吹き付けてきた風に、低くたゆっていた粉塵が一気に吹き払われた。

 太陽はすでに傾きかけ、雲の隙間から夕日がさっとサイの目を射る。

 サイはそれをきっかけに息を吐き、血まみれた短剣を投げ捨てると、よろよろと立ち上がった。

 視線の先には、少し傾いたものの、あれほどの爆撃にも耐え、サンデッカ王宮の中枢、白亜の塔が夕日を浴びて真っ赤に照り映えていた。

 その毒々しいほどの赤さは、サイがこれまで何度も見つめてきた血の色に少し似ていた。


「メープル……仇は討ったよ」


 ポツリとつぶやく。

 アルトカルに人生を狂わされ、気づけば最愛のメープルに敵対していたサイ。様々な行き違いと誤算の果て、よりによってサイの目の前で身体を切り裂かれて息絶えたメープル。

 瞼の裏ににこびりついて片時も離れない彼女の最後の表情が、サイの脳裏に鮮やかによみがえる。

 幼い頃からずっとお互い相手を思いやっていたはずなのに、どこかでボタンを掛け間違えた。

 もしあの時、お互いをもう少しだけ信じることができていれば……サイは、これまで何百回も繰り返した後悔を改めて自分に突きつける。

 あんなことさえなければ、二人はここサンデッカの王都の片隅に小さな家を構え、つつましく、それでも幸せに暮らしていたはずだった。

 もしかしたら今ごろ、子供のひとりくらい生まれていたかも知れない。


「それなのに、こんな……」


 むなしかった。

 吹く風が、身体の中心にぽっかりあいた穴を通り抜けていくように心が冷たく冷えた。


 ぼんやりと見つめるその先で、サンデッカの王が住まうとされる白亜の塔の中ほどに、小さな灯りがポツリとともった。

 その瞬間、サイの心に狂暴な殺意が膨れ上がる。


「僕らが……なのに」


 自分達が好き放題にもてあそばれ、人生を大きく狂わされたその一方で、その元凶とも言える支配者はあの高みから民を見下ろし、なおのうのうと生きている。

それが許せなかった。


「終わりにしてやる!」


 サイは膨れ上がる怒りに任せて精密照準の魔法陣を生み出した。はるか高空、大気のない宇宙空間を周回させている大砲の弾はまだ半分近く残っている。それをまとめて撃ち込めば、どんなに丈夫な建物でもひとたまりもないだろう。


「キリシ、アルケイオン・イ・ル・グオラ!」


 普段は唱えない頭句を念入りに唱え、精神を魔方陣に集中する。


「なあ少年、このあたりで手打ちにしておかないかい?」


 突然背後から声をかけられ、サイは跳び上がらんばかりに驚いた。

 せっかく練り上げた多重魔方陣は、サイが集中を切らした瞬間、空中に溶けるように消えてしまった。

 振り向きながら慌てて飛び退ると、周囲に無造作に転がしていた馬上槍ランスを電磁場で振り上げて声の主に狙いを付ける。と、そこには胸の前で両手の平をサイに向け、苦笑いする若い男が立っていた。


「そう睨むなよ、少年。俺は君の敵じゃない」


 サイと同じ、この世界では珍しい黒目、黒髪の青年だった。


「あなた、何者ですか!?」


 ランスの槍先を男に向けながらサイは鋭く訊ねる。


「名前は今の時点では明かせないかな。どうだろう、マヤピスの遠耳と言えばわかってもらえる?」

「マヤピスの……?」


 マヤピスと言えば、確かこのサンデッガの領内にある小さな都市国家の名前だったはずだ。


「そう、図書館都市マヤピス。一切の軍隊を持たず、警察を持たず、湖の中の小島に、ただ図書館とそれを支える施設群だけを備えた特殊な都市国家。そうだなあ、君の知識の範囲でよく似たものをあげるとすれば、モナコやバチカン市国みたいな——」

「モナコ! バチカン市国!!」


 サイは驚いて叫び声を上げた。

 理彩の世界で〝桧枝佐為ひえださい〟としての戸籍を経歴を偽造するため、彼が住んでいたとする国の周辺の地理についてサイは一通りの知識を詰め込まれた。だが、そのことを知っている者はこの世界には存在しないはずなのだ。


「あなた、一体……」

「フフ、少しは俺の話を聞く気になってくれたかな?」


 そう言うと、黒髪の青年はにっこりと笑った。



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