第144話 反撃の狼煙

「門を開け!!」


 魔道士団専用の豪華な馬車でひたすら走り続けることおよそ一昼夜。

 大魔道士アルトカルはようやくサンデッガ王城の前に到着した。


「長官、凱旋おめでとうございます」

「うむ。それよりも至急王に面会の申し入れを。すぐに軍議を開いて降伏式典の段取りを決めねばならん!」


 アルトカルは迎えに出た王宮詰めの魔道士に伝令を命じると、馬車から降り、長時間の乗車でこわばった背筋を大きく伸ばす。


「長官、お食事はお召し上がりになりましたでしょうか?」

「いや、まだだ」

「ではご準備いたします。先にお部屋にお入りになりますか?」

「ああ、それもそうだな」


 言われるままに王宮の門をくぐると、魔法庁長官の執務室に入り、自席の背もたれにどっかりと身体をあずけて親指と人差し指で両まぶたを押さえる。

 

「疲れたな」


 思わずつぶやきが漏れる。

 今回の侵攻ははなから誤算続きで、サンデッガ魔道士の損害も大きかった。

 一番の誤算は北岸の港町、緒戦、ゼーゲル近郊での作戦ミスだろう。

 元々は開戦にあたり急きょ一般の魔道士を戦闘魔道士に配置換えするための下準備だった。適量のヘクトゥースを投与して善悪の判断を揺るがせた上で、国境近くの小村で無力な農民相手に安全に戦闘と殺人の経験を積ませ、彼らから人殺しへのタブー意識を取り去るのがそもそもの目的だった。

 だが、輜重しちょう部隊のくだらないミスで想定の十倍量のヘクトゥースを投与された魔道士達は一気に狂魔道士化して予定した作戦地域を逸脱し、ゼーゲルの街になだれこんで制御不能の大虐殺を引き起こしてしまった。

 大騒動になったおかげでタースベレデの王子とあの忌々しい敵の魔道士をおびき寄せ、逆に王都の守りを削ぐことができたのはもっけの幸いだったが、そのせいで貴重な戦闘魔道士を多く失ったのは惜しかった。


「しかし、まあ、戦争は結果がすべてだからな」


 懲罰ちょうばつ的な意味合いでタースベレデに潜り込ませ、最初はなから当てにしていなかった魔道士学校校長ガマガエルの小隊が王配の殺害に成功し、さらに第一王女の拘束に成功したのは大きかった。

 その後敵の反撃にあって全滅した様だが、どうせそろそろ切り捨て時だったからそれ自体は惜しくはない。

 だが、せっかく拘束した第一王女を奪取されたのが悔やまれた。

 王女の身柄をうまく使えば、いまだ独身のサンデッガ王に形だけ娶らせ、もっともタースベレデ国民の反発のない形でタースベレデ併合を実現できたはずなのだ。


「……だが、それはまあ、いい」


 タースベレデに残した潜入工作員からの伝書鳥で、かの国唯一の王族である王子の身柄を拘束することに成功したことはすでに聞いた。大至急サンデッガに移送するように命じ、すでに移動を開始したという第二報も受け取った。恐らく今日明日中には追いついてくるだろう。


「これであの国は終わりだな」

 

 このチャンスを見逃がすべきではない。

 各国の大使臨席の降伏式典を大々的に開いてその場でタースベレデの王子に降伏を宣言させ、その場で戦争犯罪人として処刑する。各国に鮮烈な印象を植え付け、同時にタースベレデは名実ともにサンデッガの足元にひれ伏す。

 何かとサンデッガに批判的な周辺各国も、自分たちの目の前でタースベレデの王子がみずから降伏と退位を宣言したとなれば、それ以上文句のつけようもないだろう。


「後は、あのクソ忌々しい魔道士のガキさえ始末できれば……」


 アルトカルは不意にサイプレスの顔を思い出し、思わず手元にあった羽ペンを握りつぶす。

 あの魔道士見習はとうの昔に死んだはずだ。アルトカルの元で下働きをしていた若者とは歳も見た目もまったく違う。偽物に違いないのだ。

 それなのに、多重魔方陣の使い手としていつの間にかタースベレデの王室にすり寄り、大魔道士に迫る、あり得ないほどの魔力で今もサンデッガに膨大な損害を強いている。


「何が魔導伯だ! まあ、宰相閣下とあの魔道士ガキでせいぜい潰し合えばいい! いや、運が良ければ共倒れもあり得るな」

 

 アルトカルはそのことに思い至ってニヤリと口元を歪ませる。

 サイプレスの跳梁ちょうりょうで魔道士部隊が瓦解し、優位を失って揺らぎ始めた軍の指揮を一方的に宰相に押しつけて本国に馬車を走らせたのは、魔道士部隊について都合の悪い報告が宰相から王に伝わらないうちに、今後の方針について詰めるためだ。

 決して不利を悟って逃げたわけではない。内心でアルトカルは自己弁護する。

 この際、宰相が命を落としてくれればなおいい。アルトカルにとって不利な報告をする者は永遠にいなくなる。


「長官、よろしいでしょうか」


 その時、ノックと共にドアの外から女の声がした。

 秘書として公私ともにアルトカルに仕える女魔道士。タースベレデ戦役にも同行し、ついさっき同じ馬車で戻ってきたばかりだ。


「入れ」


 秘書はすぐに入ってきた。旅装を解き、馬車の旅で埃まみれだった髪も軽く整えたようだ。

 アルトカルは、女性らしい曲線を描く彼女の身体をジロジロと眺め回し、不意に男の本能が疼くのを感じた。

 遠征中はプライバシーのかけらもない天幕住まいで事に及ぶこともできなかったが、今夜にでも久しぶりに……そう思いかけ、彼女が深刻な表情をしているのに気づく。


「どうした?」

「ええ、実は……」


 彼女が両手に掲げるトレイには伝書鳥の足につける通信筒が乗っていた。秘書の手ですでに開封されたようで、広げられた通信文も一緒に添えられている。


「何だ? タースベレデ王子の到着日時でも連絡してきたのか?」

「いえ……まずはご覧下さい」


 通信文を手に取って指の間に挟み、巻きぐせを延ばしながら読み進む。

 工作員は神経質な男だったはずだが、薄くなめされた細長い皮紙に記された暗号文字は解読が困難なほど乱れている。


「な、何だと!?」


 記された文面は短く、そして衝撃的だった。アルトカルは一読し思わず驚きの声を上げる。


〝サイプレスマドウハク ニ オソワレ ヒトジチ ウバワレタ〟


 唖然とするアルトカル。

 そんな彼の頭上に、どこからともなくヒュルヒュルという神経を逆なでする音が近づき、次の瞬間、轟音と共に執務室の床が激しく揺れた。


「な、何だ!?」

「わ、わかりません!!」


 再び轟音が轟いた。玻璃窓がすべて内側にはじけ飛び、破片が雨あられと二人に降りかかる。


「敵襲だ!! 敵の魔道士が攻めてきた!!」


 誰かが大声で叫ぶ声が、窓枠だけになった窓からかすかに響いてきた。 

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