第131話 要塞術式

「へえぇ、こんな部屋が」


 夕闇に沈む埃だらけの屋根裏部屋を見て、スリアンが最初に漏らした感想がそれだった。


「僕も入ったのは初めてだよ。塔に住んでしばらく経つけど、なかなか全部を見て回る暇もなかったし」


 サイも同意の声を漏らす。

 物置代わりになっていた魔女の塔の四階、そこからさらにはしごを登り、天井に設けられた狭い潜り戸をくぐり抜けた先にこの部屋はあった。

 四階と同様随分長いこと使われていなかった様子で、埃まみれクモの巣まみれなのは予想通りだったが、分厚い板を打ち付けて厳重に塞がれていた四方のよろい窓を開け放つと、そこから見る黄昏たそがれの王都の風景は息を飲むほどに美しかった。

 少し高台になっているおかげで、王都内にここより高い建物は王宮くらいしか見当たらず、しかも魔女の塔の方が都市城壁に近いのでサンデッガ軍が陣取る正面の森のかがり火もここからはよく見えた。


「王都に何かあれば魔女の塔に、っていう言い伝えが謎だったんだけど、この眺めと立地なら納得だね。古代の砦の一部だってスリアンは言ってたけど、見張り塔か何かなのかな?」

「さあ、どうだろう? 元々タースベレデができる前からあった古い塔だからね。ボクも詳しくは知らないんだ」


 答えながら、スリアンは居心地悪そうに身体を揺らす。


「ともかく明日の朝までに軽く掃除してもらおうよ。いくらなんでもこの汚れようはちょっとね。ボクはあんまり長居したくない」


 スリアンは靴のつま先で床板が見えないほど砂埃の積もった床にずずーっと線を引く。


「で、ここでならやれそうかい?」


 スリアンの問いにサイは大きく頷いた。


「四方の空が広く見渡せるから雲の変化もわかりやすいし、屋外じゃないから敵の攻撃を気にしなくていい。落ち着いて魔方陣が組めると思う」

「本当だね? 万一にも失敗とかないよね?」

「まったく心配性だなあ、スリアンは」


 かつて、魔道士学校で強く戒められたのは、自分の実力を大きく越える術式は絶対に使ってはいけないということ。多少のキャパオーバーくらいなら何日か寝込む程度で済むらしいけど、数倍、数十倍の魔力を必要とする術式をうかつに発動すれば最悪廃人だし、そこまで行かずとも魔力を失い魔道士生命を絶たれると脅された。

 実習のたびに調子に乗った学生の事故事例末路を何度も何度も耳にタコができるほど聞かされ、それでも挑戦しようとする命知らずはさすがにサイの同期にはいなかった。

 六年前の天候改変術式では貴族領一つ分ほどを覆う大規模な雷雲を生み出した。そのための術式はアルトカルとサイに加え、魔道士団の中でも魔力容量に自信のある魔道士が十数人サポートに入ってどうにか発動するレベルだった。

 だがその一方で、あの時に比べればサイの術式制御のスキルは格段に上達しているし、術式の対象範囲もそうとう絞り込める。おまけにサイが今使っているタースベレデ王家の魔法結晶はかつて使っていたゴールドクエスト司祭の魔法結晶よりはるかに格上で、発動できる魔法の規模も発動スピードも段違いだ。

 そんなわけで、うまくいくかどうかは五分と五分。もちろん失敗すれば後はない。

 それでも、サイはとっくに覚悟を決めていた。


「明日の夜明けと同時に術式を編むつもり。騎士団の皆さんには雷雨がおさまるまでの待機と、雨が上がると同時の攻勢を指示して……あー、スリアン、何なの? 足元のそれ」

「うん?」


 サイは相変わらず居心地悪そうにつま先でズルズルと床の砂埃を削るスリアンの足元を見て思わず目を見開く。

 日が暮れて、そろそろ暗闇に沈もうとしている屋根裏部屋。

 その埃にまみれた床に、淡く銀色に輝く一本の線が浮かび上がっていた。


「セラヤ! ランプを!」


 サイは階下に向かって大声で叫んだ。





 ランプと共にデッキブラシとモップを持ち込み、予期せぬ夜更けの大掃除が始まった。

 分厚い砂埃を慎重に取り除いてみると、屋根裏部屋の床には一面にびっしりと魔方陣が刻まれていた。


「これ、一体何の魔方陣?」


 スリアンは銀色に輝く複雑な文様を指先でなぞりながら訊ねてくる、が、サイにも確実なことはわからない。


「これ、所々意味の通らない部分があるんで、多分床板の裏とかに別の魔方陣が刻まれているんじゃないかな」

「どういうこと?」

「ええ、床板の表と裏で一対の魔方陣になっている感じ、といえばわかる?」

「サイがよく使う多重魔方陣を物理で実現している?」

「うん、そんな感じ。例えばここは防護術式なんだけど、塔を何から守っているのかという部分がすっぽり抜け落ちてるんだ。多分このあたりの……」


 言いながらサイは床板をつま先でコンコンと蹴る。


「床裏あたりに弓矢とか、槍とかを意味する古代文字が書かれていると思う……いや、違うな、この連結式の編み方、もしかして……」


 サイは不意に立ち上がり、ランプを自分の背より高く掲げた。


「スリアン、上!」

「え?」


 指さされ、ランプの揺れる光に照らされた天井を見上げたスリアンは思わず息を飲む。

 煤けてかなり見えにくくなっているものの、天井板にもびっしりと魔方陣が描かれ、ランプの弱い光を受けてキラキラと輝いていた。


「凄いな、これ。もしかしたら、下の階にも壁紙の裏とか、天井裏とか、探せばもっとあちこちにあるのかも……」

「……で、つまり、これは何なんだよ?」


 ブツブツつぶやきながら魔方陣を指で追い、ひとりで感動して打ち震えているサイに、スリアンは素朴な疑問をぶつける。

 

「あー、ちょっと待って!」


 だが、興奮したサイはすぐには答えない。ふらふら歩き回りながら天井と床板の魔方陣を交互に見やり、手元の皮紙に古代文字を殴り書きする。そんなことを十数分繰り返し、ほうと長いため息をついたあげく、ようやくスリアンのそばに戻ってきた。


「全部調べてないから半分は想像……なんだけど、この魔女の塔は建物全体が恐ろしく複雑な多重魔方陣の塊なんだと思う」

「へ?」

「まず、この屋根裏部屋で魔法を使う魔道士の魔力を地脈レイラインから吸い上げた魔力で何十倍にも増幅ブーストする機能があるみたい。あとは何重にも構成された鉄壁の防御術式と複数の攻撃術式……」

「ごめん、サイ、もう少しわかりやすく言ってくれない?」

「うーんと、要は術式でゴッテゴテに武装した魔法の要塞……とでも言えばいいのかな?」

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