第127話 誓約
息苦しさを感じて目覚めた時にはもう窓の外は薄明るく、夜明けも間近だと思われた。
サイはゆっくりと身体を起こし、自分の両手が包帯でグルグル巻きにされていることに気づいた。両手だけではない、全身がそんな感じだった。だがそのおかげで、気を失う前まで狂いそうになるほど全身を苛んでいた痛みと灼熱はもうほとんどおさまっていた。
お腹の上ではスリアンが上半身突っ伏して寝息を立てている。どうやら、夜通しサイのことを看病してくれたらしい。が、サイが目覚めた息苦しさの原因もどうやら彼女だ。
「まあ、ありがとう」
サイはスリアンのさらりとした短髪に指をくぐらせて頭を軽く撫でると、彼女を起こさないように身体をずらして慎重に寝台から滑り降りた。
隣の寝台では、エンジュもまるでミイラのように全身包帯まみれで仰向けに横たわっている。だが、その呼吸は王宮で助け出されたときよりも深くしっかりとしていた。どうやらもう、生死の峠は越えたようだ。
「セラヤ? いるか?」
厨房では大鍋一杯に大量の麦粥が湯気を立てているが、人影はなかった。
サイは厨房の隅の素焼きの壺からカップに水を注ぎ、ゆっくりと時間をかけて飲み干した。随分喉が渇いていたようで、ただそれだけでずいぶん気分がすっきりした。
「あ! 旦那様」
振り返ると、セラヤが手ぬぐいとたらいを持って立っていた。その顔には隈が濃く刻まれ、几帳面なセラヤにはあり得ないほど、服も髪型もヨレヨレだった。
「第一王女様?」
「え、ええ。お身体を清めさせていただきました」
「で、どうなの?」
サイの問いに、セラヤは長い沈黙の後、悔しそうに口を開く。
「致死量に近い量のヘクトゥースを無理やり飲まされたのだと思います。命の危険はもうないと思いたいですが、恐らく、目をお覚ましになることはもう……」
そこで言葉を切ると、鼻をすすってゴクリと息を飲み込んだ。
「でも、御身に起きたことを考えれば、むしろその方が良いのかも知れません」
「ということは……」
「どうか察して下さい。相手が旦那様でも、私の口からこれ以上のご説明ははばかられます」
「そうか……」
サイはため息をついて飲み干したカップを流しに置く。
「女王陛下は?」
「階下の騎士団員達が交替で街へ出て探索をしていますが、手がかりはありません。ただ、王配殿下については先ほどご遺体が見つかったとの報告が」
「ああ、だとすると……」
サイは振り返って寝室の扉を見やる。
「残されたタースベレデ王族は」
「はい、今やスリアン殿下ただお一人です」
セラヤの言葉に、サイは肺の空気をすべて吐き出すほどの深いため息をついた。
その後セラヤを手伝って階下の騎士団員に麦粥を配ったり、ケガ人の血のしみた包帯の交換を手伝ったりしているうちに完全に夜が明けた。
起き出してきた騎士団の若手が仕事を引き継いで暇になったサイは、なんとなく街の様子が見たくなった。
「サイ。悪いが外出は許可できん」
だが、相変わらず門前に頑張っている副長がそれを押し留めた。
「敵の部隊がいつ戻ってくるか知れん。それに、王直騎士団がこの通りのざまでは、スリアン様を十全にお守りできるのはサイ、貴殿だけなのだ」
そう言われては諦めるしかない。
「で、敵は戻って来そうなんですか?」
「ああ、最終的には王都の占領が目的だろうからな」
「だとすれば、逆に一旦引いたのはなぜなんでしょう?」
「さあ、それはわからん。まあ、それだけの用心を迫るくらい我々の抵抗が根強かったと思わせたのであれば、多少なりと
敵士官を捕虜に取って尋問中とのことで、後でその結果を教えてもらうことを条件にサイは塔に戻った。
「上から見てみるか」
せめて遠くから眺めるだけでもいいから街の様子を知りたいと思ったサイは、三階の自室の隅にある、これまで登ったことのない螺旋階段を登った。
「うわ、すごいなこれは」
四階は基本物置として使われているようで、部屋の隅によせられた家具類にはホコリよけの布がかぶせられ、それにすら茶色くホコリが積もっている。床も同様で、歩き回るサイの足跡がくっきりと残った。
「……へえ、まだ上があるのか」
部屋の隅に上に向かうはしごのような階段を見つけたサイは、さらに上に登る。
天井を狭く切り抜いた正方形の扉を押し上げ、五階に半分頭を突っ込みかけたところで、階下からサイを呼ぶスリアンの声が聞こえた。
「上にいます」
階下に向かって答えると、すぐに息を弾ませてスリアンがかけ登ってきた。いつも飄々とした彼女とはとても思えない、余裕のない表情に少し驚く。
「サイまでいなくなったのかと思った!」
「何言ってるんです? そんなわけないじゃないですか」
「でも、ボクの周りにはもう誰も……君だってこんなに傷だらけで……」
くしゃりと表情を歪ませたスリアンを見て、サイは唇をかみしめ、無言でゆっくりとはしごを下りる。
「……大丈夫です。僕は何も言わずにいなくなったりなんかしません」
少しためらい、サイは覚悟を決めて彼女の肩を引き寄せる。小さく震える彼女の身体を、自分の身体で暖めるように密着させ、背中に両腕を回して抱きしめる。
大きく息を吸い、自分の気持ちがもはや揺るぎないことを確かめてゆっくりと息を吐く。
「スリアン、僕はいまだにこんなちびっ子だし、剣の腕では貴女にとてもかなわない。でも、僕は魔道士として、この身が及ぶ限り貴女の杖となって魔法を操り、貴女のローブとなってかかる困難から貴女を守る。いつか貴女が僕に飽きて、どこなりと行ってしまえと言うまでは、いつまでも、ずっとそばにいる。誓うよ」
「どこかに行けなんて……そんなこと、ボクが言うわけ……ないじゃないか」
スリアンはそうつぶやくと、サイの身体をぎゅうと抱きしめ返した。
「ありがとう、ありがとう……」
スリアンの目からボロボロと涙がこぼれる。
「サイプレス・ゴールドクエスト。君は……君こそは、ボクの魔法使いだ」
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