第126話 撤退
「サイ、大丈夫――」
「じゃ、ありません。死ぬほど痛いです!」
尋問を終えたスリアンが火傷で灼けただれた顔に触れてこようと手を伸ばすのを、サイは大きくのけぞってかわす。戦っているときは変なホルモンが出て痛みを感じなかったが、気持ちが落ち着くにつれ、痛みは次第に耐え難いものになりつつあった。
「あ、ごめん」
「僕のことより、先に扉の裏に仕掛けられている魔方陣を焼き切ります。いいですよね」
「……あ、うん」
サイは半分無理やりスリアンの同意をもぎ取る。彼女の気持ちを考えれば、一刻も早く扉をあけるべきだろう。
ガマガエル校長の言葉が事実かどうかはわからない。こちらを撹乱する虚言の可能性も高い気がする。が、モタモタしているうちにまた新しい敵が現れないとも限らない。
それに、自分がいつまで痛みに耐えて正気を保っていられるかもわからない。生存者を救出し、早く治療をして態勢を立て直したかった。
「じゃあ、いきます」
サイは両手を扉につけ、待機状態の魔方陣に際限なくどんどん魔力を注いでいく。動作を制限された状態で過大な魔力を注ぎ込まれた魔方陣は不安定な魔力の波動を返し、やがて砕け散るようにその存在を雲散させた。
「ふう」
大量の魔力を魔方陣ごと砕かれて頭がクラクラするのを必死でこらえ、セラヤに目配せして扉の前から下がる。
「いきます!」
セラヤは戦杖を大きく振りかぶり、スリアンの解除した壁の仕掛け鍵部分を叩き割る勢いで一撃する。
何かが落ちるようなゴトンという衝撃が壁の中から響き、それまでびくともしなかった扉がわずかに開いた。
「姉様!!」
スリアンの動きは速かった。扉を突き破る勢いで部屋に突入し、続くセラヤも「旦那様は入室禁止です!」と言い捨てて彼女に続いた。
それから十数分。
サイは門番のように扉を背に立つと、散発的に襲ってくる敵の雑兵を鉄魚を放って退け、二人が戻るのをジリジリと待つ。やがて、それぞれが女性を背負って部屋を出て来る。
「エンジュ!!」
セラヤがおぶっているのは全身刀傷だらけで血まみれのエンジュだった。恐らく、敵を第一王女に近づけないために奮戦し、意識を失ったのだろう。
「大丈夫、まだ息はあります」
セラヤはそう言って階段を降りていく。
続いてスリアンがおぶって出てきたのは、スリアンによく似た容姿の小柄な女性だった。
「スリアン……」
「ごめん、サイ。今はちょっと話をする心の余裕がない」
スリアンは厳しい表情のまま彼女の身体を揺すり上げ、セラヤに続いて階段を降りていく。
サイは急いで二人を追い越し、エントランスに放置したままの馬車の扉をあけて意識のない二人を収容した。
「でも、どこへ……?」
思わずつぶやいたサイに、御者台によじ登ったセラヤは大きく頷き、確信を持って言った。
「こういう時は魔女の塔へ。昔からそう言い伝えられています」
王宮の敷地は、まさに死屍累々といった表現がぴったりだった。
突入の時には夢中で気づかなかったが、タースベレデの一般兵に混じってサイの同僚でもある騎士団の面々があちこちでこときれていた。恐らく、最後の最後まで敵狂魔道士部隊の王宮への侵入を阻止しようと激闘を繰り広げたのだろう。
一方、通りには敵の魔道士や鎧兵の死体も数限りなく転がっていた。敵の王都攻撃部隊も大きく損耗したようで、一旦どこかに退いて立て直しを図っているらしく、街の中にその姿は見えない。
そのおかげか、焼け落ちた王宮とは異なり、街はそこまで大きな被害を受けてはいなかった。
あちこち焼き討ちされ、一部の商家は略奪の被害を受けているものの、街全体が焼け野原になるような最悪の事態だけは免れている。
いくつかの商家が中心になって炊き出しを行い、家や家財を失った街の人々が力のない表情で炊き出しの列に並んでいるのを眺めながら、サイはずっしりと重い足を引きずって魔女の塔に向かった。
「おお、サイではないか!」
魔女の塔の門前では、騎士団副長が自ら門衛を買って出ていた。
「副団長、皆さんは?」
「残念ながら、まだほとんど戻っていない」
副長は悲痛な表情を浮かべながら首を振って短く答え、門を開けてサイを迎え入れた。
一階の厩には包帯だらけの騎士団の面々がずらりと寝かされて、いくらかマシな団員が彼らの手当を行っている。だが、マシとはいえなんとか動ける程度で、すぐに剣を取って第一線で戦うことは到底できそうにない。
「サイ、お前も酷いケガじゃないか。治療を……」
その声に首を振り、サイは黙って階段を上がる。二階の厨房では大鍋に沸かされた大量の湯が湯気を上げており、メイド達の部屋の寝台には傷だらけのエンジュが横たえられていた。出血はもうほとんど止まっていたが、血をぬぐわれて露わになった全身の刀傷が、激闘の痕跡を生々しくあらわしていた。
さらに階段を上る。サイの部屋の扉は大きく開け放たれており、ソファには疲れ果てた表情のスリアンが呆然と天井を見上げていた。
「……スリアン」
「ああ、サイ。悪いけど君の寝台を勝手に借りた。
「当然です。気にしないで下さい」
サイはそう答えてスリアンの向かいに腰を下ろした。
気を抜いた途端に、これまでどうにか耐えていた激しい痛みと熱が彼の全身を襲う。
「サイ、君もひどい火傷だ。治療を……」
「その前に……」
痛みのあまり視界がチカチカするのを意地でこらえ、サイはさっきからずっと気になっていた疑問を口にする。
「なぜ、魔女の塔なんですか?」
「ああ、タースベレデが今の形になる前、まだここが一地方領主の領地だった頃からの古い言い伝えがある」
「へえ」
「国が滅ぶほどの危機にはこの塔にこもって再起をはかれって。そもそもこの塔は、大昔に築かれた砦の一部なんだよ」
「なるほど」
「それよりもサイ。君も治療を……」
「そうですね、僕もさすがに疲れました。少し眠いです」
スリアンが何か言ってるが全然頭に入ってこない。視野が急速に闇に覆われ、サイはそのまま意識を失った。
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