第111話 永遠の別れ
「貴様! 刀の錆にしてくれるっ!」
まだふらふらしている頭をブンと振って強引にめまいをおさめ、サイは壁に寄りかかりながらなんとか立ち上がった。だが、目の前には曲刀を大きく振りかぶった巨漢の女護衛。絶体絶命のピンチだった。
「どうやってここまで入り込んだ! 薄汚いネズミがっ!!」
「いやいや、正面から招いてもらったんだけど?」
サイはせこく相手を挑発しながら隙を探る。だが、縫い傷の男が噂していた通り、女護衛の構えにはどこにも隙がない。石弩の名手だと言うことはわかっていたが、曲刀の使い手としても相当な腕前のようだ。
「よい覚悟だ。では死ねっ!!」
自分をにらみつけるサイを見て挑戦と取ったのか、女護衛はまるで疾風のように飛び込んできた。
サイはとっさに身体にまとう電場を強化して曲刀を弾く。ブゥンという電磁音と共に太刀筋をぬるりと逸らされ、一瞬驚いた表情を浮かべた女護衛だが、ニヤリと笑うと柄をぎりりと握り直して再び大きく振りかぶる。
「怪しげな術を使う! 悪しき魔道士のガキめ!」
一瞬の躊躇も見せず、女護衛は再び大きく踏み込んできた。電場をさらに強化してかろうじて曲刀の切っ先を右に逸らすが、踏み込んできた勢いそのまま強烈な体当たりをくらい、左後方に大きくはね飛ばされた。体格差がありすぎて踏みこらえることもできず、サイはそのままゴロゴロ転がってサイドボードに激突する。
「くうっ!」
激突の衝撃でサイドボードは大きくひしゃげ、降り注ぐ玻璃の破片でサイの顔は傷だらけになる。
崩れたサイドボードの柱をつかんでなんとか立ち上がるが、額に流れた血が目に入って左側の視界が大きく損なわれる。女護衛はその隙を見逃さず、曲刀を右脇に抱えるように構え、サイの死角を狙うように猛烈な勢いで突きを入れてきた。
「はうっ!」
三たび電場を最大に強化して横っ飛びに逃げるが、突き入れられた曲刀をうまく弾くことができず、左腕をざっくりと切り裂かれた。
「くうっ!!」
「ほう、お前のその怪しげな術、突き技にはあまり効かないようだな」
腕を押さえてうめくサイに女護衛は勝ち誇ったように笑う。
電場による防御は相手の武器が電場の中で大きく振られるほど強い反発力が働く。逆に、ほとんど位置を変えず最小の変位量で突き入れられると、十分な防御効果を発揮できないのだ。
弱点をあっさり見抜かれ、サイの額にびっしりと汗がにじんだ。
それでもサイはどうにか息を整え、ほとんど力の入らないぶらぶらの左手を懐に差し込み、腰の短剣を抜いて右手前に構えた。
魔道士であるサイの剣技はセラヤにすら笑われるほどのへなちょこだ。体格でもスピードでもまさるこの凄腕の女護衛にまともにぶつかっても、勝ちの目はほぼない。
「来い!!」
それでも、サイはこの一手にかけた。
「ふーむ、一寸の虫にも五分の魂というわけか」
感心したように口笛を吹き、女護衛は一歩体を引いてサイの目をのぞき込むように腰をかがめた。
「よし、ならば、こちらも小細工なしでお相手しよう」
女護衛はそう言うと背筋をビシリと伸ばして曲刀を正眼に構え、サイに向かってニヤリと唇を歪ませた。
一瞬の静寂。
「はあっ!!」
女護衛は鋭い気合いと共に猛烈な勢いで振りかぶり、ブチブチと腕の筋繊維がちぎれる音すら聞こえる勢いで曲刀を振り下ろした。
ガキンッ!!!
サイの頭上、こぶし一つあけた空中で激しく火花が散る。女護衛が驚愕の表情を浮かべたまさにその瞬間、扉を蹴破って二つの人影が室内に走り込んできた。
「サイっ!!」
「無事ですかっ!?」
飛び込んできたのはスリアンとエンジュだった。
「無事じゃないよっ!!」
懐の鉄魚を空中に放った血まみれの左手はぱっくり開いた傷口から骨が見えているし、頭の深い傷からはだらだらと血が流れて全然止まらない。
その傷だらけの姿を見てエンジュは息を飲み、スリアンの瞳には激しい怒りの炎が燃え上がった。
一方、いきなり三対一の不利に持ち込まれた女護衛はさすがに顔色を変えた。慌てて曲刀を構え直そうとした彼女は、柄から先がなくなっていることに気づいてギョッと目を剥く。
「あっ!!」
女護衛が渾身の力を込めて振り下ろした曲刀は、サイが身にまとう電場の力を一カ所に集中して空中に縫い止めた鉄魚の群れに激突し、根本から折れ飛んでしまったのだ。
柄だけになった曲刀を放り捨て、腰の短剣に素早く手を伸ばそうとする女護衛。だが、その隙を見逃すスリアンとエンジュではない。流れるようなモーションでエンジュがまず攻め、その背後からスリアンがエンジュごと貫く勢いで猛然と長剣を繰り出した。互いの動きを熟知していなければ同士討ちになりかねない危うい連携だが、二人の息はぴったり揃い、スリアンの放った渾身の一撃は、まるで吸い込まれるように女護衛の左胸を貫いた。
「ぐはっ!!」
声にならない声を上げ、女護衛は破裂した水風船のように鮮血を吹き出しながら仰向けに倒れた。
「サイっ!!」
ぶんと一振りして剣を鞘に戻したスリアンは、今にも崩れ落ちそうなサイに飛びついてその肩を支え、膝をついて血まみれの顔をのぞき込んだ。
「大丈夫かいっ!」
「いえ、今にも死にそうです」
サイは軽口を叩いて無理やり白い歯を見せるが、さすがに血を失い過ぎてそれ以上は冗談が続かなかった。目の前がクラクラして、その上視界が極端に狭い。
「それよりも、メープルは……」
気がつくと、室内はまるで大嵐の直撃をまともに受けたようにズタズタだった。家具の大半がひしゃげ、床には食器や玻璃の破片が一面に散乱している。
「メープル!!」
巻き添えを避けて室外に逃げたのかと扉に目を向け、壁際に張り付いている黒衣の人影を見つけてふらふらと歩み寄る。
「おい、メープル、メープル!!」
その時、人影はどさりとその場に崩れ落ちた。
「メープル!!」
サイは彼女のそばに膝を突き、抱え起こそうと右手を伸ばした。途端にぬるりとした感触に気づき、反射的に手を引っ込める。
「あれ、メープル?」
改めて彼女の体の下に腕を差し入れ、黒衣がびっしょりと血濡れていることに息を飲む。
「あれ? まさか、怪我をしてるのか? おい!!」
ドサリと仰向けになったその顔にはすでに生気はなく、あらわになった首筋にはざっくりと切り裂かれた傷口があった。
「あれ? え? どうして? なんで?」
「……サイ」
混乱するサイの背中を暖かい感触が包み込んだ。スリアンだ。
「サイ……」
サイは反射的にはっと顔を上げ、壁がべっとりと血に染まっているのに気づく。
そのまま上を見上げ、壁に突き立った曲刀の刀身が目に入った瞬間、サイはすべてを悟った。
「ええ、ウソだろ? そんな偶然!」
喉に物が詰まったように言葉が出ない。
その時、腕の中でメープルがかすかに身じろぎした。
「……ああ、サイ」
薄く目を開けた彼女は花のように微笑み、かすれ声のようなささやきを漏らす。
「やっと戻ってきてくれた……サイ」
「ああ、帰ってきた。だから――」
「ずっと、ずっと待ってた……サイ、私、あなたを愛して――」
「僕もだよ。だからしっかりして! メープル!!」
だが、彼女の目の光はそれっきり失われた。まるで今のやり取りがすべて幻だったかのように。
「ウソだろ? そんな、バカみたいな、あり得ない……メープル!! メープル!!!」
声を限りに幼馴染の名前を叫ぶ。
だが、応える声はもはや戻らない。
血を失いすぎていたサイは、絶望のあまりそれきり意識を失った。
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