第101話 カンアーミ通り

 変装して顔も変える。そう宣言して寝室にこもり、しばらくしてリビングに姿を現したスリアンを見て、サイは驚きのあまり言葉をなくした。


「え? エンジュ、じゃないよね?」

「……私はここにいます。が、一瞬目の前に鏡でもあるのかと疑いました」


 言うまでもなくエンジュ自身が一番驚いていた。エンジュの特徴でもある吊り目気味の大きな瞳までもが完璧に再現されている。


「念のため確認ですが、殿下、ですよね」

「えへへ、本人がそこまで言うのなら成功だね」


 ニヤリと笑う、そのいたずらっぽい表情でようやくスリアンだとわかるくらい、その変装は完璧だった。


「これから期間中はボクがエンジュとして動くつもりだ。ボクとサイがカンアーミに張り付いている間、エンジュはカランタスの動きを張って欲しい」

「しかし、殿下……」

「適材適所だよ。君はボクよりはるかに諜報任務に長けていて、逆にボクは剣技にはそれなりに覚えがある。それは君も認めるだろ?」

「それは、そうですが……」

「今回の場合、サイのそばにはより直接的な暴力に対抗できる人間が必要だ。わかるね?」

「……はい」

「自分の手でサイを守りたい気持ちはわかるけど、任せてくれないか?」


 何だか背中がむず痒くなりそうなセリフが飛び出してきたが、エンジュの真顔は崩れなかった。


「わ、かりました」

「カランタスの方だって、今回見逃した分は仕方ないけど、これ以上のオドリグサの流入は絶対に阻止したいからね。調査には万全を期したいんだ」


 そういうスリアンの口調は少し悔しそうだった。


「……多少手間をかけても、あの荷を全部焼いておけば、こんな憂いはなかったのにね」

「しかし、あれ以上撤収が遅れていれば、もっと大きな被害が出ていた可能性もあります」


 エンジュの言葉に、スリアンは不承不承頷く。


「そうだね。後悔はしないよ。じゃあエンジュ、カランタスの方はくれぐれも頼んだね」

「承知しました」





 カンアーミ通りは、王都の下町のさらに外れ、都市防壁の外側に広がる広大なスラム街だ。

 カンアーミ〝通り〟というのは、スラムのほぼ中央に走るねじくれた通路を便宜上そう呼んでいるだけで、正式につけられた名前ではない。その証拠に、通りの両側に広がる巨大迷路のようなスラム街も同じ名前で呼ばれている。当然そんな名もないスラムに立ち並ぶバラック建築には番地すらついていない。

 王都で食い詰め、住処を追い出された人間、他国で罪を犯してここに逃げ込んだ人間、そして、そんな半端者を使って様々な犯罪を画策する人間などがスラムにあふれ、さらにそんな後ろ暗い連中相手の商売女やいかがわしい物売りなど、およそ都市の暗部のほぼすべてがここに集約されていると言っても言いすぎではなかった。


「いや〜、凄い凄い」


 そんなスラムの路地を歩きながら、スリアンは何が嬉しいのか始終ニコニコと周りを見回している。おっかなびっくり歩くサイとは対照的に、その足取りはまるで観光でもしているように軽やかだった。


「こんな怪しげな場所を歩くのに、どうしてスリアンはそんなに楽しそうなんですか?」

「え、なんだい?」


 問われてスリアンは笑顔を顔一杯に貼り付けたまま後ろを振り返る。


「えー、だってサイと二人きりでデートだよ。天気もいいし、これが嬉しくないわけないじゃないか」

「どこまで本気なのやら……他の場所ならいざ知らず、こんな物騒な場所でも楽しげに笑っていられる、その神経を疑います」

「デートだってところは否定しないんだ」

「だからそんなわけないじゃないですか! そもそも大前提からして間違ってますっ!!」

「あはは、サイは辛辣だなあ」


 スリアンはそう言うと両手を広げて周囲を指し示す。


「サイはさ、このスラムに自分を上回る魔道士が隠れ住んでると思うかい?」


 質問の意味がわからず、サイはキョトンと立ち止まる。


「妙な謙遜はしなくていいよ。魔道士はそもそも数が少ないし、一流の魔道士はその中でも群を抜いて貴重な存在だ。こんなところに隠れ住まずとも、表舞台で活躍するチャンスはいくらでもある」

「あー、まあ。でも、僕みたいな例もあるわけですし」

「それは周りが大バカなんだ。ボクなら君みたいな存在を絶対に放っておかない。実際、そうだろ?」


 間髪入れずに真顔でそう言い返され、サイの頬が照れくささでポッと熱をもつ。


「ほめていただけるのは嬉しいんですが、それと何の――」

「つまり、確率的に言っても、君はこのスラムに住む誰より強い魔道士だ。それはボクだって同じ」


 言いながらスリアンはローブの裾をはだけ、剣の柄を露出させる。


「タースベレデでも一流の剣術指南について幼い頃から十年以上も真面目に訓練した。その辺りのチンピラに負ける気は全然しない。これはうぬぼれでも何でもなく、単なる事実として」

「うん、まぁ」

「だとすればボクらがこのスラムの腕自慢に負けてるのは何? 恐らく人を害することへの躊躇のなさ。でもさ、サイ。君は人を殺したことあるでしょ?」


 その瞬間、サイの背筋にビリリと寒気が走った。

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