第100話 魔窟へ

「あとは、あれだけ大量のオドリグサを一体誰が欲しているか、という所なんだけど……」

「それならアルトカル大魔道士一択ですよ。カランタス伯爵が何度も魔道士団を訪ねてきてますし、アルトカル自身が荷物の到着を心待ちにしている様子でしたから」

「ふむ」


 サイの言葉にスリアンはあごに手を当てて考え込んだ。


「そういえば、魔道士学校でもオドリグサが使われているという話だったよね?」

「ええ、でも、それは校長や一部の教官が私的に気に入った生徒に横流ししている感じで」

「組織的犯行ではない?」

「うーん。教官達が事情を全然知らないとは思えませんが……」

「……でも、まあ、そもそも量が全然合わないかな」


 スリアンはそう結論づけた。


「馬車一杯のオドリグサからは数百人を一度に狂戦士化できる量のヘクトゥースが抽出できるんだ。魔道士学校の生徒より、たとえばサンデッガ王立魔道士団の全魔道士を狂魔道士にするとか、どっちかというとその方がつじつまが合う」

「数百人の狂魔道士!」


 エンジュが息を飲んだ。


「これはゆゆしき事態だね。いざ開戦して、タースベレデウチに大隊規模の高出力な戦闘魔道士が一気に攻め込んできたら、ボクらには恐らく防ぐ手立てがない」

「でも、サイがいるじゃないですか」

「無理だよ。いくらサイが規格外の魔法を使うと言っても、相手が一カ所に固まって攻めてくるという保証はないし、数を頼みに押しまくられたら手数が圧倒的に足りない」


 その言葉に、部屋に重苦しい沈黙が満ちる。


「ところで、サイはさっきから何を悩んでいるんだい? ボクに相談してごらんよ」


 煮詰まった空気を一掃しようと、スリアンは大きく伸びをして、くだけた口調でサイに微笑みかけた。


「さっき、話の途中で顔をしかめていただろ?」

「……いえ、悩みというか、もう一台の馬車に乗っていた黒衣の女についてなんですが……」

「ああ、マッチョな女戦士の陰に隠れていた? 前に話したカランタスの養女じゃないのかな」

「ええ、あの女、実は僕、見覚えがあるんです」

「「「えっ」」」


 目を丸くしたスリアンだけではなく、エンジュとセラヤまでもがそろって驚きの声を上げた。


「前に話した僕の幼なじみなんですが」

「ああ、大魔道士に寝取られたっていう?」


 スリアンの直截すぎる指摘に、サイは口をへの字にして顔を伏せる。


「殿下、そういうデリケートなことはもう少しやわらかくですね……」


 見かねたエンジュが抗議するが、スリアンは大して気にする様子も見せず、逆ににっこりとウインクを返した。


「大丈夫だよ、サイにはボクという存在がいるじゃないか」

「だから、そういうたちの悪い冗談は……ほら、サイがヘコんじゃったじゃないですか!」


 その時、サイが顔を上げた。その目つきの剣呑さに、さすがのスリアンも思わず動きを止める。


「彼女のことはもう吹っ切ったつもりなので別にいいです。それより、なぜ彼女がオドリグサの密輸に絡んでいるのか、そっちの方が気になるんです」


 サイの問いには答えが出なかった。

 結局その日はそのままお開きになり、スリアンは「じゃあまたね」と言い残すと、窓からひょいっと飛び降りて宵闇に消えた。





「で、なぜ帰ったはずのスリアンが朝っぱらからここにいるんです?」


 翌朝、サイが朝食を食べようと寝室を出ると、そこにはセラヤの淹れた黒豆茶をうまそうにすすっているスリアンの姿があった。


「いや、街に見回りに行くんだろ? それにボクも同行させて欲しいと思ってさ」

「何を言ってるんですか! よその国の王族が、敵国の、しかも治安最悪の場所にのこのこ足を踏み入れるなんて!!」

「大丈夫だよ、姿を変えて行くから」


 さすがに全否定されて腹が立ったのか、スリアンはいつもよりいくぶん低い声でそう言い訳して口を尖らせた。


「姿を?」

「そう、ほら」


 すっと立ち上がり、両手を広げてその場でくるんとターンするスリアンの服装は、よく見れば魔道士学校の制服ローブにそっくり、というか、どう見ても本物だった。


「実はあの後、古着屋巡りをしたんだ。さすがに昨日の今日で新品は手に入らなかったけど」

「でも確か、魔道士のローブは譲渡禁止って……」

「規律が緩んでるんだろうね。破れて処分したことにして小金にかえる奴がいるんだよ。それからこれ――」


 そう前置きしながら、懐から濃いブラウンのウィッグを取り出して頭にかぶる。もともと童顔のおかげもあって、魔道士候補生と言っても十分通りそうだ。


「……いや、でも」

「変装もするからさ。絶対にボクだとわからないように顔も変える。だから同行させてもらえないかな」


 予想以上に食い下がるスリアン。その様子があまりにも真剣なので、サイはそれ以上反対をする気力を保てなかった。


「……まあ、そういうことでしたら」

「やった!」


 両方の拳をギュッと握りしめてポーズを取ると、ローブの裾をはだけて長剣の柄をあらわにする。


「もし悪いやつが襲ってきてもこれがある。君の安全は僕が守る。大船に乗ったつもりでいてくれていいからね」



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