第97話 サイ、毒矢に倒れる

「サイ! サイ! 大丈夫か!?」


 頬をペシペシと叩かれる感覚にサイは薄く目を開く。


「大丈夫です。このくらいのケガは前にも経験が……でも変ですね。さっきから全身の震えが止まらないんです」


 サイのその言葉に、スリアンは眼球がこぼれ落ちんほどに目を見開き、たった今包帯を巻いたばかりのふくらはぎの傷口を再びあらわにする。


「くそっ!! まさか毒矢か!?」


 スリアンは毒づいた。

 この大陸の山岳地帯に生息する唯一の毒蛇、バーチヴァイパーが持つ神経毒は、獲物の身体中の血管を急激に収縮させる作用がある。

 その結果、噛まれた獲物は血のめぐりを阻害されて体の自由を失い、体温が低下して震えが止まらなくなる。わずか数分で意識を失い、そのまま放置すれば間もなく呼吸が止まり、やがて心停止するという猛毒中の猛毒だ。だが一方、分解も早く、死んだ獲物の体内からバーチの毒が検出されることはほとんどない。

 そんな特性から要人の暗殺に使われることも多く、スリアンは幼い頃からその対処法を叩き込まれていた。


「やるしかないか」


 まずはももの根本を手ぬぐいで強く縛り上げる。傷の周りはすでにどぎつい紫色に変色し始めていた。スリアンは二の腕のホルダーから短剣を抜き、サイの腰に馬乗りになって叫ぶ。


「サイ、少し痛いよ! ごめんね!」


 そのままサイの傷口を短剣でえぐる。

 痛みにうめき、跳ねるサイの体を全体重をかけて抑え込み、毒で変色した肉片を取り除くと、傷口に直接口をつけてジュクジュクとしみ出す黒っぽい血液ごと毒を吸い出し、床に吐き捨てる。


「エンジュ! 近くで浴室が使える宿を探すんだ。できれば個室。サイがバーチの毒にやられた!! すぐに全身を温めないと死ぬっ!」

「ええ!? はいっ!」


 短い返事と共に、緩やかになっていた馬車の速度は再び跳ね上がった。

 スリアンはそれだけ確認すると再びサイの傷口に向かった。追加でさらに肉片を取り除き、クレーターのように大きく開いた傷口に最上級のポーションを惜しげもなく振りかける。


「できれば飲んだほうが効きがいいんだけど」


 だが、その時すでにサイの意識はもうろうとし始めていた。

 その小さな身体は機械じかけの人形ようにガタガタと震え、半開きの緩んだ口元からは言葉ではなくガチガチと歯の鳴る音だけが漏れてくる。


「サイ! ポーションを飲むんだ!」


 だが、口元に瓶の口をあてがっても、サイにもはや飲み下す力はない。


「殿下! サイはポーションを飲めないんです。以前毒を盛られたトラウマで本能的に――」

「そんなの関係ない!! いいから早く飲め!!」


 スリアンの怒鳴り声は聞こえているのかいないのか、もはやサイは痙攣のように小さく首を振るばかり。

 スリアンは忌々しげにチッと口を鳴らすと、みずからポーションを口に含み、サイの頭を持ち上げて口移しで強引に流し込んだ。

 そのほとんどがよだれのようにダラダラ流れ落ちるが、何度もしつこく繰り返すうちに、サイの喉が鳴り、ほんのわずかな量のポーションが飲み下される。


「よーし、いい子だ、サイ。その調子!」


 スリアンは小さく頷いて新しいポーションの栓を抜き、同じ動作を何度も何度も繰り返した。

 限界速度で馬車を駆り、それでも時々振り返って状況を確認するエンジュの目には、その行為はまるで親鳥がヒナの口に餌を与えるようにも、あるいは恋人たちが互いについばみ合うようにさえ見えた。





 突然、まるで水面に浮かび上がるようにぽかりと目が覚めた。


「ここは……?」


 ぼーっとほの明るい天井を眺め、サイはそれがまったく見覚えのない景色であることに気づく。

 無意識に身動きしようとして、自分の身体が誰かにがっちり抱きすくめられていることにも。


「え? あれ?」


 自分は毒矢にやられた。その認識はあった。全身がしびれて力が入らず、そのくせ寒気が収まらずガタガタ震えていたはずだ。

 だが、今、抱きすくめられた身体はポカポカと暖かく、再びまどろみに引き込まれそうな居心地のよささえ感じている。

 サイは隣の人物に向き直ろうと身体をゆすり、自分が裸であることに驚いた。


「う、んん」


 その時、サイの身動きで目が覚めたのか、サイを抱きすくめていた人物がゆっくりと身体を起こした。

 かけられていたブランケットが肌を滑り、その人の身体をあらわにする。


「ええっ!?」


 瞬間、サイは言葉を失った。その人物が一糸まとわぬ姿の、しかも年若い女性だったからだ。


「やあサイ、どうやら峠は越えたみたいだね」

「あ、ええ? あれ!?」

「どうしたの? 鳩が豆鉄砲食らったような顔をして」

「え? いや、だって……スリアン!?」

「ああ、そうだよ」

「ええ? でも、ほら」


 真っ赤な顔でしどろもどろのサイに、スリアンはニヤリといたずらっぽい微笑を浮かべる。


「けっこうエッチだな、君は。人のおっぱいにそんなに興味があるのか?」


 そう言って慎ましやかなそれを誇示するように寄せて見せる。


「ちがっ……スリアン、いつから女に!?」

「何言ってるんだい? ボクは元から女だよ。スリアン・パドゥク・タースベレデ。タースベレデ王国の第二王女さ」


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