第96話 黒衣の女

「すみません! 本当にごめんなさい!」


 みぞおちを両手で押さえ、涙をにじませて悶絶するスリアンに、サイはコメツキバッタのようにペコペコと頭を下げる。


「いや……サイが普段ボクのことをどう思っているかとってもよ〜くわか——」

「だからごめんなさいっ! 別に根に持ったりなんかしてません。本当に事故なんです!」

「いや〜効いた。昔魔女につまんない冗談を仕掛けてぶちかまされた時よりずっと効いた」

「うわー! ごめんなさいごめんなさい!」

「いいや、ここは一発ぐらい殴らないと気が済まないな」


 その言葉に限界まで縮こまって顔を伏せたサイの頭に、スリアンはやわらかく右手をのせてそのままわしゃわしゃとかき回した。


「え?」

「君でも魔法で失敗することがあるんだねえ。逆に安心したよ」

「へ?」

「何だか、自分は完璧じゃないといけないってガチガチに思い詰めているみたいだったからさ。少しは肩の力抜けた?」

「いえ、別にそこまで思い詰めているつもりはなかったんですけど……それより、あの?」

「ああ、ボクなら平気だ」

「だったらいいんですが……」


 ほっと息をつきながら最近の自分を振り返り、やはりどこが張り詰めていたと思い直す。


「……何だか、スリアンにはいつもみっともないところばかり見られているような気がします」

「いいんじゃない? 君らはどこか危ういからさ、どこかで抜けてるくらいがちょうどいいんだよ。まぁ、本番でもこんな感じだと生命の危機だけど」

「大丈夫です。今度こそちゃんとやります……ところで、本当に大丈夫ですか?」


 心配顔のサイに、スリアンはニヤリと笑ってさっとサイの手を取ると、ぺたりと自分の腹部にあてがった。


「あれ? これ」

「下に肌甲冑を着てるんだよ。普段は少し弾力があって、衝撃が加わると瞬間的に硬くなる。さすがにさっきのはかなり堪えたけど、短剣程度なら防げるんだ。うちの家宝だよ。見たい?」


 そう言って躊躇なく服のボタンを外そうとし始めるので、サイは慌てて押し留めた。


「結構です! 男の裸なんてわざわざ見たくありません!」

「えー、別に減るもんじゃないし」

「それ、言葉の使い方間違ってますから」


 気を取り直して深呼吸すると、サイは再び手のひらに鉄魚を載せる。今度はひと睨みでなめらかに離陸させ、狭い戦闘馬車の車内を縦横無尽に飛翔させることができた。

 しばらくして御者席からエンジュが目的地到着を知らせる頃には、ほぼ完璧な制御を会得していた。





「じゃあ、もう一度タイミングをおさらいしておくよ」


 明かりを落とした戦闘馬車の内。スリアンの目が窓から差し込む月光を反射してキラリと輝く。


「ターゲットの馬車は倒木に遮られて停車するはずだ。このサイズの倒木を押しやるには一人じゃ無理だから、護衛は馬車を離れて総掛かりになる。そこで、君は彼らが木に気を取られているすきに一人を残して全員を昏倒させる」

「なぜ、あえて一人だけ残すんです?」

「ああ、彼らに〝雷の魔女〟の姿を目撃してもらうためだよ」


 スリアンは得意そうに解説する。


「相手が雷の魔女を認識したら後は全員の意識を刈り取って馬車の荷を改める。今夜の目的は荷物の正体を確認するまでだから、特に略奪の必要はない。それがわかったら大急ぎで撤収。とまあこんな感じ」

「……どう聞いてもやってることは山賊と大差ないですよね。それに、雷の魔女が派手に動くとタースベレデとしてまずくはないんですか?」


 サイは手の中で鉄魚をもてあそびながら素朴な疑問を発する。雷の魔女がタースベレデのために動いていることは昔から有名だった。それが他国で暴れまわることで問題が出ないわけがない。


「あ、大丈夫大丈夫」


 スリアンはあくまで軽く答える。


「彼女は日常的にこういった警告業務をこなしてたし、やられた相手だって後ろ暗いことがあるんだ。おおっぴらに抗議なんてしてこないって」


 そう言ってのほほんと笑うスリアンにサイは深いため息で返す。


「ホント、スリアンって悪い王子様ですよね」

「えへへ、ありがとう〜」

「ほめてません!」

「えー」


 あまりの緊張感のなさを見かねてエンジュが口を挟む。


「お二人共、いい加減まじめにやってください!」

「あー怒られた。サイが悪いんだぞ」

「そん——」


 子供じみた難癖に反射的に言い返しかけたところで、サイの感覚に響くものがあった。


「来ました! 人数は五、あるいは六、二頭立ての馬車が二台!」

「へえ、そんなことまでわかるんだ。じゃあやるか」


 スリアンは表情を引き締めるとひらりと馬車から飛び降り、サイを抱え下ろすようにして素早く道の脇の茂みに走る。一方エンジュはそのまま馬車を走らせて少し先の脇道に車体を隠すとすぐに駆け戻ってきた。


「見えたよ!」


 スリアンのささやき声に頷くまでもなく、サイの目でも二台の真っ黒な箱馬車が確認できた。倒木の前で馬が立ち止まり、騎乗して馬車の周りに付いていた護衛たちが馬を下りてブツブツ文句を言いながら集まってくるのが夜目にもはっきりと見える。


「サイ」


 そのささやきを合図に、サイは倒木めがけてズドンと雷を落とした。まばゆい電光が周囲を真昼のように照らし、轟音があたりを聾する。雷撃の巻き添えで二人が倒れ、残りの二人も感電したようにその動きを止めた。


「行きます!」


 サイは素早く立ち上がると護衛の前にあえて姿をさらす。


「おまえ!! まさか雷の魔女!!」


 その言葉が聞ければ後は言うことない。

 サイは無言のままニヤリと笑うと右手を軽く振って鉄魚を浮かべ、電磁加速して二人のこめかみをしたたかに打つ。護衛達はあっさり意識を失ってバタバタと倒れ、すぐにあたりは元の静けさを取り戻した。

 そのすきにエンジュが素早く立ち回って護衛達の武装を剥ぎ取り、両手を背中に回して親指同士をなめした皮の細紐で硬く縛る。


「ゴールドさん!!」


 それを合図に、今度はスリアンが先頭の箱馬車に駆け寄って封印された扉を開く。中には麻袋がぎっしりと詰め込まれていて、スリアンが長剣を一閃すると、袋が裂けて中から紅茶の葉のような細かい薬草がサラサラと道にこぼれ落ちた。

 彼はそれをすくい取って匂いを嗅ぎ、ひとつまみ口に入れて噛むとすぐさま吐き出した。


「うわ! 撤収しよう!!」


 だがその時、放置されていたもう一台の扉が細く開くと、小型の石弩の先端がわずかに覗き、短い矢が立て続けにスリアンめがけて放たれた。


「危ない!!」


 一瞬の判断だった。

 サイはありったけの鉄魚を飛ばして最初の矢を弾き、そのままスリアンに体当たりするようにして茂みに倒れ込んだ。だが、続く第二射は避けきれず、スリアンに覆い被さるようにしていたサイの左ふくらはぎに突き立った。


「ぐうっ!!」

「馬鹿っ!! どうして!?」

「早く……撤収を……僕は平、気っ!」


 次の瞬間、敵の馬車と二人の間に割って入るようにエンジュの操る戦闘馬車が飛び込んできた。


「乗って!! 早く!!」


 その間にも石弩の矢は立て続けに飛来し、馬車の装甲で跳ねてガンガンと甲高い金属音を響かせる。

 サイはスリアンに放り込まれるようにして馬車に乗せられ、続いて飛び乗ってきたスリアンが扉を閉めきらないうちにエンジュは遠慮なく馬に鞭を入れた。

 猛烈に揺れながら高速で走り出した馬車の座席でサイはどうにか体勢を整え、後部窓から遠ざかりつつある敵の馬車を垣間見る。

 その時、突然の風に煽られて敵箱馬車の扉が勢いよく開いた。

 そこには、石弩を二丁構えて仁王立ちする大柄な女護衛と、その陰で風に煽られるスカーフを押さえてこちらを見る黒衣の女の姿があった。


「そんな! まさか!」


 黒衣の女。

 その顔は間違いなく、六年前にサイを捨ててアルトカルの元に走ったはずのメープルその人だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る