第95話 サイ、出動す

「いえ、カランタス伯爵は今も王都にいらっしゃいますよ。今週も何度かアルトカルに面会に来ていました」


 ようやく高熱から回復したサイがベッドから口を挟んだ。


「それにしてもこのクスリ、僕には結構キツいです。まさか変な後遺症とかはないですよね?」

「ええ? それは大丈夫だと思うよ。現にボクは何ともなかったけど。それに、クスリが効いてるときもそこまでしんどくないでしょ?」

「ええ〜、かなり個人差あるなあ」


 途端にエンジュがキッとまなじりを吊り上げた。


「ほら、やっぱりお使いになられたこと、あるんじゃないですか!」

「あ、いや、誤解誤解。試してみただけだから。実際に仮病に使ったことはいっか……いや、ないない! ないから、ホント!」


 続くスリアンとエンジュの遠慮のないガチンコやりとりをぼんやり眺めながら、サイは、メープルとは仲は良かったけど、お互いどこか相手に気をつかっていて、こういう遠慮のない言い合いというか、ほとばしる本音のぶつけ合いみたいなことは一度もなかったなあと思う。

 今になってみれば、メープルがサイを捨ててアルトカルに走ったのも仕方のないことだったのかも知れない。恐らく彼女は、きっとそんな終わりのない気の探りあいに疲れたのだ。


「で、サイ、出れるかい?」


 そんなことをぐるぐる思案していたところ、スリアンにいきなり問われて返事に詰まる。


「は、すいません。ぼーっとしてて聞いてませんでした」

「んー?」


 スリアンは首をかしげると、すいと手を伸ばしてサイの首筋に触れる。


「ひっ!!」

「もう熱は下がってるよね。何か悩みでもあったのかい?」

「い、いえ、悩みというか、ちょっと考え事を」

「どんな? ボクで良ければ相談に乗るけど?」

「いえ……」


 思っていたことをそのまま口にすれば、また「慰めてあげる」とか真顔で言い出しそうだったので、慌てて言い訳を考える。


「えーっと、そう、さっき話していた黒衣の女性の正体は誰なんだろうって」

「あー確かにね。運んでいるブツがおおっぴらにできない物だとすれば、相当に信頼できる部下か、あるいは……」

「でも、カランタスの妻は早くに亡くなっていると言ってませんでしたっけ?」

「カランタスが数年前にとったという養女かも知れません」


 そこにエンジュが口を挟んできた。


「私の調べでは、カランタスにはすでに係累はありません。もともと子宝に恵まれず、親も早くに亡くしています。屋敷に出入りしている人間で彼が心底信用できそうな者といえば唯一それくらいですね」

「それは……ずいぶん寂しいな」


 スリアンは少しだけ同情するようにつぶやいた。





 寮の留守番はセラヤが引き受けてくれることになった。

 サイの在室を偽装し、場合によっては扉越しにではあるが他人とやりとりもするという。


「大丈夫です、こういう時のために私は声帯模写を極めています」


 そう、サイ本人が聞いても違和感のない自分そっくりの声で請け合われて驚いた。


「実はね、今回、サイが襲撃に参加していないというアリバイがとっても重要なんだ」


 襲撃地点に向かって疾走する戦闘馬車の中でスリアンが解説する。


「恐らく君は、アルトカルにある程度疑いの目で見られている」

「え?」

「前回サンデッガを脱出する時に、サンデッガの戦闘魔道士の前で派手に多重魔方陣を使っただろう? その時の人相風体の報告がアルトカルに上がってないはずがないんだ」

「ああ! そうか!」


 サイにとってはすでに記憶の彼方のことで、まったく気にも留めていなかった。


「これは根拠のない憶測だけど、アルトカルが中途入学の君を例外的に身近に置いた理由の一つは君の監視にあるとボクはにらんでいる。多分、報告のどれかの項目が君に当てはまってるんだよ」

「うわ、嬉しくないです」

「サンデッガ国内で魔法を使ったテロが発生したら真っ先に疑われるのが多分君だ。だから、今回君には雷の魔女に化けてもらいたい」

「ああ、それでこの……」


 スリアンが持ち込んできたのはセラヤがあしらえてくれた騎士団の制服ではなく、さらに特別感のある、輝くような白地にオレンジが大胆にあしらわれた恐ろしく目立つ騎士服。ブーツは今回用にまるで竹馬のように上げ底が施され、それを履くとサイの身長はほとんど頭一つ分水増しされる。


「雷の魔女はその通り名の通り強力な雷撃を好んで使った。あと、護身用と対人戦闘にはこの鉄の魚を使ってた」


 と、ポケットから親指ほどの魚のマスコットをひとつかみ取り出してサイに渡した。


「ブラスタム山脈を越えた大陸の南では、女性が貧血予防のためにこれを料理と一緒に煮込んで使うんだ」

「これ、食べるんですか?」

「まさか! まあ、しゃぶるくらいはするかも知れないけど。料理に溶け出した微量の鉄分が貧血に効くんだって」


 渡された鋳鉄の魚はザラザラとした鉄肌の素朴なデザインで、理彩の世界で見かけたマスコットキーホルダーにも似ている。


「魔女はこれを武器として自在に飛ばしていた。サイにも同じことができる?」

「うーん、どうかな。ちょっと練習してもいいですか?」


 手のひらに鉄魚を載せ、重さを確かめながらサイはちょっと自信なげに答える。


「人目につかないところでなら」

「じゃあ、とりあえずこの馬車の中で」


 サイは手のひらの上に鉄魚を数匹乗せて、浮かび上がらせる仕組みを考える。鉄という所がポイントなのだろう。だとすれば、磁気か電気誘導を操作できればどうにかなりそうだ。


「ちょっと浮かべてみます」


 そう断ると、脳裏に電磁誘導に繋がりそうな呪句をいくつか思い浮かべながら精神を集中させる。


「……キルシ…アルケイオン……」

「へえ、サイでも呪文を使うことはあるんだ」

「すいません、集中したい」

「あ、ごめん」


 ばつが悪そうに黙り込んだスリアンが見守る中、サイはさらに数十秒、頭の中で呪句をこねくり回し、しっくりとくる古代の呪句と理彩の世界で学んだ科学の理論を組み合わせる。


「行けるかな……よし、浮上せよ」


 言葉が終わらないうちに鋳鉄の魚はわずかに浮上し、次の瞬間、猛烈な勢いでスリアンのみぞおちめがけて突撃した。

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