第91話 気づき

「大魔道士の元に身を寄せてから、あの子メープルは屋敷の別棟に住まわされていたらしいんだけど、そんなある日、サンデッガ王がお忍びで大魔道士の屋敷に訪ねてきたらしいんだよ」

「え!」

「ところが、二人が密談を始めたところに突然、雷の魔女が現れたとさ」

「えーっ!」


 驚くサイのかたわらでうんうんと頷くセラヤ。一方エンジュは斜め上を見上げたままじっと黙っている。彼女が当時からスリアンの警護を担当していたのなら当然魔女ともつながりがあったはず。恐らく当時の記憶を呼び起こしているのだろう。


「詳しい内容は誰も知らないけど、魔女は何かの警告を王と大魔道士に与えたみたいだね。その後天から真っ赤に焼けた鉄の柱が降ってきて、屋敷の庭に突き立った。もちろん魔女の仕業だろうけど、メープルはその一部始終を目の前で目撃していたはずなのさ。それがどうにもマズかったんだろうねぇ。その後すぐに暇を出されたと聞いたよ」


 エボジアは顔をしかめて首を左右に振る。


「そ、それで、その後はどうしたんですか?」

「さぁてねえ。実は私の所にいたのもほんの数日で、その後はすぐに、南部のなんとかっていう侯爵だか伯爵だかのところに移されちまったんだよ」

「え!」


 サイはスプーンをガチャンと音を立てて取り落とし、エンジュに非難のこもった目つきで睨まれた。


「一体どういうことなんです?」

「どうやら、こっそり逃げてウチに来たのはいいが、大魔道士様としては不要になったあの子に何か別の使い道を考えていたんだろうね。まるで引っ立てられるように連れ去られて、あとはそれっきりさ」

「そうですか」


 セラヤに新しいスプーンを手渡されながら、サイはわかりやすく肩を落とした。


「あ、そう言えば、もしサイが私を訪ねてきたら、伝言ことづけをして欲しいって言い残してたね」

「何をですか?」

「ああ、何て言ったかね……。確か〝雁の使いに二面おもてうらあり〟だったか。全然訳がわからないんだよ」

「雁の使い?」

「そう言えば……」


 エンジュが頬に人差し指をあてながら口を挟んだ。


「このあたりには戦場で負け戦を悟った将軍が渡り鳥の足に文を結んで、二度と戻れぬ故郷の妻子に別れを告げたという古い吟遊詩があります。そのことでしょうかね」

「手紙……二面……ねえ」


 サイは首をひねった。六年前のあの日、メープルはエボジアに、サイに宛てた一通の手紙を託してアルトカルの元に走った。

 手紙はメープルに何の相談もなく学校を辞め、勝手に魔道士団を退団したサイをなじった内容で、だから私がアルトカルに応えても別にいいよね、的な、かなり一方的な内容だったことしか覚えていない。

 もちろん、退学も魔道士団からの退団も何者かのたくらみで、サイ自身は逆らうこともできず強引に追い出されたのだが、それに対する言い訳すらも許されない、極めて身勝手な絶縁状だった。


「まあ、あの子に関してはそれで終わりさ」


 エボジアは首をふるふると横に振ると、料理を運んだ盆を胸に抱く。


「あとは、そう。不確かな風の噂で、サイも魔獣に食われて死んじまったと聞いたね。サイが学校を卒業しさえすれば二人はすぐ結婚の流れだったのにねえ。みなしごの二人が、ようやく人並みの幸せを手に入れられると私も喜んでいたのに。一体どこで運命の歯車が狂っちまったんだか」


 ふっとため息をつきながら天井を見上げるエボジア。恐らく、若い二人に理不尽を強いた天上の神に内心恨み言を言っているに違いない。


「わたしゃ、田舎から出てきたばかりのあの二人を馬車溜まりで拾って以来、ずっと自分の子のつもりで世話をしてきたんだ。だから、二人の式を心から楽しみにしてたんだがね。本当に残念なことだよ」


 そう言い残すと、エボジアは深いため息をつきながら調理場に引っ込んでしまい、テーブルにはお通夜状態の三人だけが残された。


「サイ、貴方あなた、そのなりで実は婚約者いいなずけまでいたんですね、やーらしい」


 エンジュはサイと目も合わせずにぼそりとなじる。


「やらしいって何だよ、孤児院からずっとお互いだけを見て一緒に育ったんだ。そうなるのはごく自然な流れだ。それに、なりは今関係ないだろう?」

「でも、それほど執着してたのに結局振られたんですね? 金に目がくらんだのか、それとも地位か」

「執着言うな……でも」

「なるほど、旦那様がアルトカルを恨んでいたのはそのあたりの私怨が原因と……」


 セラヤはセラヤで、淡々とした口ぶりでサイの心の傷口をぐりぐりとえぐる。


「あ、セラヤ、まさかシリス経由で殿下に報告したりしてないよな?」

「もちろん神速でお伝えさせていただきました。なになに、僕が慰めてあげるから泣かないで……だそうです」

スリアンに慰められても嬉しくもなんともない!」


 サイはそう吐き捨てると、あとは脇目も振らずに料理をかき込んだ。





 魔道士団での午後の仕事はとんでもなく苛つくものになった。

 あの日以来、心に蓋をして強引に抑えつけていた感情がエボジアの昔語りですっかりよみがえってしまい、執務室の奥の扉が目に入るたびに、その中でふんぞり返っているであろうアルトカルの姿を想像してムカムカしてしまうのだ。


「くそっ!」


 サイは強引に気持ちを切り替えようと、気合いを入れて机に向き直る。

 そして、書類箱からくしゃくしゃの裏紙に書かれたサイ自身のかつての殴り書きを一枚取り出す。新しい皮紙に単語を丁寧に書き写し、すでに忘れられた古代文字と古代魔法の作法で前後を補い、ひと繋がりの呪句に仕上げてペンを置く。


「あれ、これって、もしかして……」


 じっと眺めているうちに、この文法構成がサイにとって馴染み深いものであることに気づかされる。


「いつもは呪句の文字起こしなんてしないから気付かなかった……」


 複雑に交差する縦線と横線のみで構成された古代文字。長い年月の間に原型が忘れられ、より幾何学図形的に変化はしているが、それでもわずかに面影は残っている。

 とはいえ、サイがずっとこの世界で生活していたのであれば恐らく一生気づくことはなかっただろう。


「これって、どう見ても理彩の世界の……」



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