第89話 意図しない遭遇

  数日後、サイは六年ぶりに魔道士団の本部前に立っていた。

 六年前、最後にここを訪れた日、サイは下賤の者とさげすまれ、アルトカル直々に追放宣告を受けて建物を追い出された。その同じ建物の同じ門の前で、今日はアルトカル本人が両手を広げてサイを出迎えていた。


(あれ、こんなに古ぼけた小さな建物だったかな)


 サイは魔道士団の本部を見上げて思う。ほんの六年の間に石造りの豪奢ごうしゃな建物はなんだかすすけて色あせ、緑青ろくしょうの生えた屋根の隅や土ぼこりのたまった出窓の角など、そこかしこに干からびかけたコケが繁茂しているのが目立っていた。

 あるいはあの日、サイの目にあれほど豪華で威圧的に見えた魔道士団本部は、実は最初からこの姿だったのかも知れない。ただただ大魔道士の権力に圧倒され物事がちゃんと見えていなかっただけで、曇りのない目でちゃんと向き合えば、また別の姿が見られたのだろうか。


「……でも、あの時の僕にはその気概がなかった」


 サイのつぶやきにアルトカルは不思議そうな表情をする。サイは慌てて首を振ると作り笑顔でアルトカルの差し出した右手を取った。


「うん、何か言ったかね?」

「あ、いえ、独り言です」

「そうか……ゼンプ・ランスウッド、待っていたよ。早速君を執務室に案内しよう」


 そのまま先に立つアルトカルに付いていく。案内されたのは、かつてサイが同僚から嫌がらせのように資料を積み上げられた、まさにその席だった。


「ここが君の席になる。われわれは今、魔方陣の多重生成について研究していてね、かつてただ一人その技術を習得した魔道士が残した資料から、なんとか術式を復元しようとしている。君にはぜひともその仕事を手伝ってもらいたい」

「ひとつ質問なんですが、その、過去ただ一人だけ習得した魔道士というのは一体誰で、どこに行ったんですか? 情報が必要ならその人本人に聞くのが一番手っ取り早いと思うんですが?」


 サイはすっとぼけて聞いてみる。案の定、その瞬間アルトカルは苦虫をかみつぶしたような表情になった。


「残念ながら、彼はもうこの世にいない。君と同じ黒髪のヤーオ族だったんだが、魔獣討伐のため南部の農村地帯に出向いて、そこで命を落としたんだ」

「まさか、魔獣に食われたとか?」

「ああ、前途有望な若者だったんだがね。なんとも痛ましい話だ」


 自分の死因について、他人から話を聞くのは何とも不思議な気分だった。しかもそれが口からでまかせとあっては、もう違和感しかない。


「……わかりました。それは残念です。では資料を見せていただけますか?」

「ああ、彼の死があまりに突然だったから、資料らしい資料もほとんど残っていないんだが……」


 そう前置きして開けた書類箱に残っていたのは、サイが覚え書きとして書き殴った呪文の欠片や、魔方陣の概念を整理するため雑に描いた構成図の落書き。サイ本人すら覚えていなかった些末なメモの山で、よくもまあこの程度の紙くずが捨てられずに残ったと感心するべきだろう。

 試しに数枚つまんで裏返してみると、いずれも部外秘の印が押された何かの申請書の書き損じだったり、インクで汚れた経費精算の書類だったりした。恐らく機密保持の理由で、メモ代わりに使った裏紙が処分待ちでとっておかれ、それがたまたま残ったという感じだろうか。


「……たったこれだけ、ですか?」

「ああ、彼の死後、慌てて探したんだが、数が少ないこともあってほとんど解読が進んでいない」


 そりゃあそうだろうとサイは思う。だとすれば、この程度の些細な手がかりから、たとえ一瞬でも多重展開を実現したアルトカルの魔力ばかぢからはやはり侮れない。


「わかりました、では、今日から取り組みます」


 最初から答えのわかっているパズルをもっともらしく解いていくのは逆に大変だな、と、サイは小さくため息をついた。





 その日の昼食は、魔道士団本部から歩いて十分ほどの近所にあり、セラヤが滞在しているという宿屋兼酒場兼食堂でとることにした。スリアンへの報告がたまっているし、エンジュを通した伝言のやりとりばかりでなく、久しぶりにセラヤの顔も見てみたかったからだ。

 だが、エンジュにともなわれて店に近づくにつれて、サイは次第にいやな胸騒ぎがしてきた。


「エンジュ、ちょ、ちょっと待って」


 サイの切羽詰まった声にエンジュは何ごとかと振り返る。


「もしかして、セラヤの泊まってる宿というのはこの先の……」

「ええ、大通りを渡って、右に折れてしばらく行ったあたりで一本裏通りに入った場所にあります。あとほんの数分で着きますよ」

「ヤバい、そこはちょっとヤバい!」

「え? とってもいいお店ですよ。おかみさんが親切で——」

「よく知ってる! そこ、おかみさんの名前は!?」

「ええ? 確か、エボジアさんだったかと——」

「!!」


 サイは偶然の一致に息が止まりそうになった。


「悪い。僕はその店に顔を出すわけにいかない。エボジアは古い顔なじみなんだ。見つかっちゃまずい」

「えー、でもセラヤが待ってますよ。どうするんです?」

「エンジュだけで行ってくれないか」

「えー、でも顔なじみって言っても六年以上前の話でしょう? アルトカルだってサイの正体に全然気づいていないじゃないですか。きっと大丈夫ですよ」

「いや、アルトカルは十六才の僕しか知らないからまだごまかせるけど、エボジアは僕らが王都に出てきた十才当時の顔も知ってるんだ。絶対にばれる!」

「ええ? 大丈夫ですって」


 その時、二人の背後から、中年女性が震える声で二人に呼びかけた。


「サイ? もしかして、サイじゃないかい?」

「え!?」


 慌てて振り向くサイとエンジュ。

 その視線の先には、買い物用の籐かごを地面に取り落とし、まるで幽霊でも見たように呆然と立ちすくエボジアの姿があった。


「まさかそんな……」


 取り落とした籐かごから、昼メニュー用のヤルダ芋が石畳にコロコロとこぼれ出て坂を転げ落ちていった。

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