第88.5話 閑話 〜エンジュのお説教〜

 サイが寮の自室に戻ると、エンジュが勝手に入り込み、まるで自分の部屋のようにくつろいでいた。


「エンジュ、また勝手に入り込んで——」

「別に入ってはダメとは言われてませんよ」


 手に持ったカップをソーサーに戻しながら、エンジュはすました顔で答える。


「でも、あの扉、開けたらコロスって」

「それは、仮にサイが開けたら、の話であって、私が開けたからといってどうなるものでもありません」

「そんな、理不尽な」

「それに、サイが教官室から無事に戻ってくるか、少々懸念がありましたので」

「……ああ、それは確かに」


 代表生徒や上級生達がサイの使った魔法について少しでも覚えていたら面倒なことになるところだった。本当に覚えていないのか、あるいは話すのが恐ろしいのか、どちらにしても当面は大丈夫そうだと報告すると、エンジュは目に見えてほっとした表情になった。


「場合によっては私が裏で動かざるを得ませんでしたから、心配ごとが一つ減って良かったです」

「……本当にね。何だか面倒ばかりでごめんよ」


 つい申し訳なくなってサイは思わず頭を下げる。と、エンジュは急に真顔になって手に持っていたソーサーをテーブルに戻し、空いた両手でいきなりサイの両ほほをつねり上げた。


「あ、ちょ、いた、いた〜っ! ねえ僕怪我人なんだけど、痛いって!」

「だ・か・ら! これも任務だって何度も言っているでしょう! あなたが面倒ごとを起こすのは今回任務の性質上、最初から想定内なんです! そうやって、誰に対してもごめんごめん言うのは止めなさい!」

「わ、わかったわかった、痛いってば」

「ふん! わかればいいんです」


 エンジュはふうーっと大きく息を吐き、ソファに座り直すと、わずかに表情を和らげて続ける。


「そうですね、この際です。ちょっと話をしましょうか」

「あ、ええ? はい?」


 再びカップを持ち上げたエンジュは、サイの困惑顔にお構いなく、どこか遠い所を見つめるように窓の外に目をやった。


「あのですね、まず最初に、あなたの実力、方向性こそかなり違いますが、私は雷の魔女の本気の魔法にも迫ると思っています」

「え?」


 出会ってからずっと、ひたすら辛らつなことしか言わないエンジュに急に褒められて、サイはますます困惑する。


「……かつて魔女は、その卓越した力を持って、国という、本来一人の人間に抗うことなど不可能な巨大な力からタースベレデわたしたちを護っていました。まだ年若い女性の身にそれがどれほどの重圧だったか。そんなことは想像しなくてもわかりますよね」

「……うん」

「だから、彼女は個人としての〝トモコ〟と、役割としての〝雷の魔女〟をきっちり切り分け、魔女として振る舞うときにはたとえ相手が強国の王であろうと決して弱みを見せず、何人なんぴともかなわない強大な力の具現として振る舞っていました。ある意味〝雷の魔女〟を演じていたといってもいいかも知れません」


 そう話すエンジュの表情は、まるで神を崇めるがごとく恍惚としていた。


「彼女の権能は一人でタースベレデ一国の軍隊にすら匹敵します。それだけの力を持ちながら、普段の彼女はどこか自信なさげで……というか、むしろ寂しがり屋で、人のぬくもりや優しさを人一倍欲していたように感じました」

「エンジュ、君は……」

「だから、彼女が想い人と再会できて、共に彼女の世界へ戻ったこと自体は本当によかったと思っています……あ、いえ、今はそんな話をしたかったのではありませんでした」


 エンジュははっと我に返ると、小さく咳払いをして向き直った。


「サイ、あなたは魔女の後継を目されて王直騎士団に抜擢されました」

「……そうなんだろうな、とは感じてました」

「たとえそれがあなたの小さな身体には重すぎるとわかっていても、誰もがあなたに魔女に匹敵する活躍を期待してしまいます」

「うん、まあ、はい」

「だから、表向きは無理にでも強い魔法使いを演じなさい。誰もが恐れて、その力にひれ伏すような、そんな魔法使いを演出するんです」

「はあ、でも……僕はそういうのあんまり向いて――」

「裏では殿下やカダムに弱音を吐いても構いませんから。それに、まあ、私も、たまになら、その、まんざらやぶさかでないというかですね……」


 語尾を濁すと、彼女はそのままついと顔をそむけて立ち上がる。


「部屋に戻ります」

「あ、エンジュ!」


 呼びかけたが彼女は止まらず、中扉はばたんと音を立てて閉じた。

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