第87話 校舎裏の攻防

「さて、ゼンプ・ランスウッド。覚悟はできているだろうな」

「覚悟? 一体何のだよ? まったく理解できないんだけど」


 体格差のある上級生に四人がかりで両手両足を押さえつけられ、ほとんど身動きの取れないサイは、片眉をわずかに上げてそう尋ねた。


「散々俺をコケにした報いを受ける覚悟だよっ!!」


 叫ぶやいなや、シタンはズボンのベルトに挟んで背中に隠し持っていた乗馬用の鞭を抜き取ると、その勢いのまま思い切り振り下ろし、サイの額をはたいた。

 パァンという激しい炸裂音と共にサイの額に斜めにミミズ腫れが走り、腫れに沿ってプツプツと赤い血の珠がにじむ。


「……悪いけど、僕は君をコケにした記憶が全然ない。悪いがいつ、どんな無礼があったのか教えてくれないかな?」


 サイは少しだけ顔をそむけ、ビリビリとした痛みに耐えながら再び尋ねる。


「何より、お前のその態度だ! 年下のくせに、偉そうに代表生徒であるこの俺を見下しやがって!」

「別に見下したつもりなんてない」

「うるさい!! 中途入学の半端者のくせに、どの実技実習でも練習もなしに涼しい顔をして俺よりいい結果を出しやがって! なんでお前が! お前のような汚い血の山岳民が、生まれつき貴族の俺より優れた魔法を使えるんだ!?」


 シタンは顔を真っ赤にして目を剥き、サイに顔を突き出しつばを飛ばしながら叫んだ。

 サイは貴族ではないが、今は商業都市ペンダス屈指の大商人の養子を装っている。自分が貴族階級であっても普通なら多少は気を使う相手だ。それすら構わずひたすら絶叫するその姿に、彼の精神の危うさを感じずにはいられない。


「さあ。生まれつきの才能の差じゃないかな?」


 だが、サイは謝る気配もこびる気配も、ましてや説得する様子も一切見せず、あっさりとそう断言した。

 

「何だと貴様!! もう一度言ってみろ!!」

「才能の差。半端な努力では埋められない」


 サイはいきり立つシタンに引導を渡すようにきっぱりと言い放ち、彼の目をきっと睨み据えた。


「そう言って突き放せば諦めがつくかい? どんなに頑張っても、容易に越えられない壁というものはある。どんなに理不尽だと思っても、生まれつきの肌の色や髪の色が変えられないように、持って生まれた魔法のセンスにもそれぞれ違いがある。それは簡単に埋められるようなものじゃない。ただ……」

「それが何だってんだ、オイ!?」


 再び鞭が振り下ろされた。サイの下くちびるがぱっくりと切れ、血しぶきが舞う。

 サイは痛みに耐えながら、自分を拘束している上級生たちの様子を冷静に観察していた。

 およそ人間離れした膂力りょりょく。まるで砂漠狼の前脚で押さえつけられたように、小柄なサイの腕力ではびくともしない。だが、彼らの目はどこかうつろで、薄笑いを浮かべる口から吐く息にはほんのわずかにヘクトゥースの匂いが混じっている。

 恐らく、この異常な力はヘクトゥースによる狂戦士化の結果だろう。


「俺はちゃんと努力している!! お前にそれを否定される言われはない!!」


 シタンは再び吠えた。


「それなのに、教官も、校長も、俺を代表生徒にまつりあげただけで満足しやがって! 俺はもっともっと強くなりたいんだ。なのに、魔法構成力が落ちるからって良くわからない理由で増強薬の割り当てから俺を省きやがって。こんなことじゃ——」

「え!? 増強薬? 君らはレンジ茶のことを増強薬って呼んでるのか?」


 サイは驚きの声を上げた。まさかここでヘクトゥースの手がかりが出てくるとは思いもよらなかったからだ。

 とはいえ、いきなりヘクトゥースの名前を出すと警戒されそうだったので、昔から学生の間で密かに出回っていたレンジ茶の名前でカマをかけてみた。ダメ元だったが、シタンは途端に誰が見てもはっきりわかるほど顔色を変えた。


「……な、何のことだ!?」

「こいつらが……」


 言葉を切り、サイは四肢を押さえつける上級生達にあごをしゃくる。


「いや、君達が校長の指示で摂取しているクスリのことだよ。飲んだ? それとも沸かせた湯気ゆげを吸っているのか?」

「お前、何でそのことを知っている? このことは一部の生徒だけの……」


 今までいきり立っていたシタンの顔に、わずかな怯えの色が浮かぶ。


「僕は鼻が効くんだよ。だから、寮の貴賓室から変な匂いがするのは入学初日から気づいていた。それと同じ匂いがこいつらの吐息からも。僕の知っている中じゃレンジ茶の匂いに一番よく似てる」

「お、お前……」

「図星か? というか、こいつらあからさまに変だろ。人とは思えないとんでもない馬鹿力だし、それにさっきから一言も口をきかない。きけない? それとも口を開かないように君が命じたのか?」

「そ……」


 シタンは顔色を青くして一歩後ずさった。


「お前、本当は何者だ? 本当にただの学生なのか?」

「レンジ茶の日常的な飲用は飲むものの魔力をかさ上げする。だけど、確実にそいつの精神をむしばんでいくんだ。現に、ここにいる上級生達はもうダメだ。クスリのやり過ぎで人格が半ば壊れはじめている」

「そ、そんなこと、並外れた魔力と引き換えなら惜しくない……」

「そうかな? だから教官や校長は君にクスリを禁じたんじゃないか? 珍しく見込みのある代表生徒がクスリ漬けでろれつも回らないんじゃさすがにシャレにならないからね」

「そ、そんなことは……」


 サイの強気な態度と鋭い追求で、いつの間にか両者の立場は逆転していた。相変わらずサイは四肢を拘束されてまるで身動きが取れないのだが、シタンはそれでもサイのかもしだす言いようのない不気味さと底知れなさを本能的に恐れ始めていた。


「君に一つ教えてあげるよ。魔法の力はその人間が持つ魔力総量で決まるんじゃない。多分、魔力総量だけで比べれば、僕より君の方がずっと多いと思う」

「え!?」


 シタンは驚いたように身動きを止めた。


「僕は体が小さいし、持久力に問題ありっていつも言われてる。それなのに君が僕にかなわないのは、魔法を使ってどんな結果を現出するか、その手順を一つ一つ具体的に、詳細に想像する力の差なんだ。多分」

「手順……」

「魔法というのは、学校で教えられているような、呪文さえ正確に唱えればポンと現出するようなモノじゃないんだよ」

「何だと! お前、デタラメを言うな! なぜそう言い切れる!?」


 シタンが思わず上げた問いかけに、サイは小さく頷きながら続ける。


「実のところ、呪文なんてものは精神集中のためのただの道具に過ぎない。本来、魔法の発現に呪文なんて一切必要ないんだよ」

「おま……一体……」

「だからホラ、呪文なんて唱えなくても——」


 サイがすっと指を立てた瞬間、一同の頭上には数え切れないほどの魔方陣が現出した。

 大小様々のうす青く輝く魔方陣は、高速で回転しながら浮遊して同一軸線上に十数枚が並び、四人の上級生とシタンの後頭部にピタリと照準を合わせた。


「ひっ!!」

「せっかく秘伝のコツを教えたんだから、目が覚めたあともちゃんと覚えていられるといいね」


 サイはにっこり笑ってそう締めくくると、パチンと指を鳴らして錐のように細く絞り込んだ電雷を魔方陣から打ち出した。

 鋭い電撃は彼らの頭蓋を貫通して大脳辺縁系に突き刺さり、短期記憶の保管場所とされる海馬にまで届いて彼らを昏倒させた。



 


 

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